「ゴホッ!ゴホッ!」

だが本人の意志とは逆にその病状は日に日に悪化していった。

「組長・・」

ナマエは咳き込み続ける総司の背中をひたすらさすった。それしか出来ない自分にもどかしさを感じながら。

「大丈夫、すぐ・・治まるからっ」
「無理、しないで」

右手でさすって、左手で総司の手をギュッと握った。彼の咳に朝も夜もない。

引っ切り無しに訪れる発作に睡眠すらまともに取れずにいた。

先日の島原での件については新選組を潰そうとしていただけあって、多くの藩士が潜伏していた。

店内にいた者は総司やナマエ、斎藤、平助が応戦した。思った以上の数に斎藤や平助は苦戦していたが外に副長である土方がいるとの事で中にいた半数がそちらに向かった。

その事によって一人でも応戦出来、その後は二人共援護へ行き、外にいた山南、左之達と挟み討ちにし事なきを得た。

結果、薩長の藩士を削っただけの戦いになってしまったが、幸い新選組に大きな被害は出なかった。

そしてあの場にいた南雲薫。あれは千鶴の双子の兄だと言う。

それを聞いてナマエは薫の言動に合点がいった。何故千鶴の名前を知っていたか、何故千鶴を連れ去ろうとしたか。それは一重に兄妹だから、で済んだ。

「組長、」
「どうしたの、そんな顔して」

総司の言葉に僅かに疑問を覚えるが、自分の表情どうのの話しはしていられなかった。

「近藤さんが、怪我をした」
「!」

それは今日の事だった。馬に乗り駆けていた所、待ち構えていた者に銃で右肩を打たれた。

忍びで出ていたにも関わらず待ち伏せをされた事に、恐らく情報を流した者がいる事も推測された。

「私が、必ず見つける」

僅かにナマエから殺気が漏れた。それは最早抑えられない、と言っている様だった。

「だから、貴方は」

ナマエは言葉を止めた。総司が懐から出した物が目に入ったからだ。

「変若水って、労咳も治るのかな」
「どうして、それを」

力なく手の中の赤い液体を見つめる総司に、ナマエは神経を集中させた。

「飲む気、」
「さぁ、どうかな」

総司はナマエを見る事はない。総司の目は虚ろで、ナマエはギュッと手のひらを握った。

「!」

一瞬だった。ナマエは総司のその手の中の物を奪い立ち上がる。

「なにするの」
「・・っ」

総司の感情のない瞳がナマエを捉える。その瞳からは病人と思えない程の殺気が溢れていた。

「貴方が飲むくらいなら、」
「なに」

そう言ってナマエはその蓋を開けた。それに総司は目を見開く。

「私が・・っ!」

そしてそれを口に含んだ。

「ぐっ・・!」

だがそれを飲み込む事は叶わなかった。ギリッとナマエの首が音を立てる。

「君、馬鹿なの」

総司が膝で立ちながらナマエの首を締めていく。飲み込めなかったそれが僅かにナマエの口元から溢れた。

「でも、そんな君が好きだよ」
「ゃ・・っ」

溢れたそれを舐め取られ、そのまま引き寄せられる。

「・・っ」

ごくり、と総司の喉が鳴った。口の中の全ての変若水が総司へ流れ込む。ナマエの涙と一緒に。

「かはっ・・!」

そしてようやく解放され、ナマエはゴホゴホと咳を繰り返した。

意識が途切れる直前だった。床に崩れ、そのまま立ち尽くした総司の裾を握った。

「だ、め・・!」

その手を総司は掴んで、ナマエの頬に触れた。

「!」

優しい、口付けだった。

「ありがとう、ナマエ」
「・・っ」

目の前に映ったのはいつもの彼ではなく、白髪に赤い目をして哀しく笑うその人だった。

「ごめんね」

意識を手放したナマエの頬に口付けをした。首元には僅かに自分が握り締めた跡があって、そこにも口付けを落とす。

「でももう、僕にはこれしかないんだよ」

瞳を見ればそこには涙の跡があって、胸を締め付けられる。

「羅刹になったら、君はもう僕を好きじゃなくなるのかな」

聞こえる事のない答えの代わりに、総司はギュッとその身体を抱いた。

「それでも僕は、君が好きだよ」

髪を撫でて口付けをする。そしてゆっくりと下ろして刀を手にした。





「おい!ナマエ!!」
「・・っ、」

耳元で大きな声がしてナマエは意識を取り戻す。

「総司はどこ行った!!」

目の前には血相を変える土方とその後ろで心配そうに見つめる千鶴の姿があり、土方の手には空になった瓶があった。

「何があったか」
「・・っ!!」

ようやく意識がはっきりして、ナマエは立ち上がる。土方の言葉を無視して、そのまま走り出した。

「組長・・!!」

そんなナマエに異常を感じ、二人もナマエの後を追う。

「はあ、はあ・・!」

肩で息をしながら、それでも走り続けた。

(どうしてっ・・!)

分からない訳じゃなかった。彼が変若水を手にした事。だけどそう思わずにはいられなかった。

「!」

すぐ隣の通りで銃声が聞こえた。すぐに走り込む。すると見慣れた、でも変わってしまった後ろ姿を見つけた。

「お前ならこう来ると思ったよ、沖田」
「・・っ」

目の前で、彼が崩れて行くのが見えた。ドサッと他人行儀な音がして、ナマエは足が竦んだ。

動かない目の前の見慣れた背中。思考が麻痺した様に動かない。力なく伸ばされた手、その手が一つの声によって動きを止めた。

「お前、あの時の花魁」

視界に入れた人物は先日の島原にいた千鶴の兄で、薩摩にいて、名前は

「南雲、薫・・」
「へえ、僕の名前覚えてたんだ」

瞬間、彼の腕に一本の刀が刺さった。

「な!?」
「殺す」

腰にあったもう一本の刀を抜いて走り出す。咄嗟に避けきれずに薫はナマエごと背後に打ち付けられた。

大きな音がして、土方と千鶴が呼ぶ声が聞こえた。

「っ!くそっ・・!」
「!」

そして薫を中心に風が起こると、その髪が白く染まり瞳が金に光る。額には二本の角が生えた。

僅かに出来た隙に薫は屋根へと飛び乗る。

「お前も、僕が殺してやる」

そう言い残して薫は逃げて行った。

「ナマエちゃん!沖田さん!!」

千鶴の声にハッとした。直ぐに倒れたままの総司に駆け寄る。

「組長!!」

返事がない。息はしているが撃たれた腹部から血が流れていた。

「ナマエ!お前頭から血が!」
「私はいい!早く・・!早く彼を助けて!!」
「お前・・」

土方の言葉にナマエは悲鳴に近い声を上げた。そして千鶴によってその場で止血され、土方に担がれて屯所へと急いだ。

事は思ったよりも重かった。総司が撃たれたのは銀の玉。それは羅刹の治癒能力の範囲外のものだった。

処置は終わったものの、彼がこの新選組にいる事は難しくなった。

「土方さん、ナマエちゃん知りませんか!?」
「なに?あいつなら総司の所じゃないのか」

千鶴の焦った声に土方は眉を寄せる。

「さっきまでいたんです。でも沖田さんの処置が終わって、次にナマエちゃんと思ったら姿が見えなくて」

そう言って千鶴は目に涙を浮かべた。

「あの、馬鹿野郎・・っ」

そして土方は屯所内を探し回り、ようやくその姿を見つけた。それは総司の部屋の前で、そこから空を見上げていた。

「ここにいたか」
「・・・」

土方が声を掛けてもナマエはピクリとも動かない。月明かりに照らされているはずの表情も髪で見えなかった。

「お前も怪我してんだろ、千鶴が探してるぞ」

それでもナマエは動かない。ギュッと握り締められた手のひらに土方は顔を顰めた。

「何があった」

その言葉にピクリともナマエの肩が揺れた。

「私が、彼に飲ませた」
「何・・?」

ナマエの呟きに土方は眉を顰めた。

「お前自分が何したか・・!」

肩を掴んで振り向かせた。そしてその表情に、土方は言葉を詰まらせた。

顔は涙で赤くなり、髪が張り付いてる。握り締められた拳からは血が滴っていた。

「彼が変若水を飲むくらいなら私が、そう言って変若水を口にしました」
「まさか、お前も・・!」

土方の言葉にナマエは首を横に振る。

「全部、取られました」
「・・そうか」

その言葉に土方は僅かに肩の力を抜く。

「私があんな事しなければ・・!」

彼は飲む、とは言っていなかった。自分があんな行動に移らなければ彼は飲まなかったかも知れない。その可能性を自分が潰してしまった、とナマエは言う。

「あいつは、飲んでただろーよ」
「そんなの・・!」

分からない、その言葉は土方の表情を見て言えなくなった。

「お前も思ったんだろ。絶対飲む、って」
「・・っ」

だから自分が、と思った。それが間違いだった。でも土方は言う。

「お前は総司を護ろうとしたんだろ」
「・・それは」
「てめぇを責める事なんか何一つねぇよ」

土方を見れば悲しそうに月を見上げていた。

「あいつは馬鹿が付くほど近藤さんを慕ってる。その近藤さんが傷付けられて黙ってられなかった」

自分にだって予測出来なかった訳じゃない。だから止められなかったのはナマエのせいだけじゃない、と土方は言う。

「私、は・・っ」
「もうやめとけ。それよりてめぇの怪我治療して、あいつの傍にいてやってくれ」

頼む、そう困った様に微笑まれて、ナマエは思わず首を縦に振った。

「よし、ほら行くぞ」

ポンっと一つナマエの頭に手を置いて土方は歩き出す。

ナマエはその主のいない部屋を見つめた。

「私は、私に出来る事は」

微かに戻った瞳の光に、土方は危うさを感じた。

どうかそれが杞憂であれと、願いながらその姿を見つめていた。