「またか、ナマエ」
巡察から戻って来たナマエの姿を見て土方は頭を抱える。
真っ赤に染まった元は浅葱色をしていた羽織を靡かせてナマエは俯く。
総司が本格的な療養に入って一番組はほぼナマエに任されていた。それに他の者からの異論はなかった。
だがここ最近巡察に出れば人を斬って帰って来るナマエに土方は頭を悩ませていた。
幸い他の一番組の隊士からの証言もあり正当防衛、もしくは不逞浪士の排除と言う形は保たれているがこうも毎度となると評判云々も関わってくる。
「怪我はしてねぇか」
土方の言葉にナマエは黙ったまま頷く。そんなナマエに溢れそうになるため息を飲み込んで土方は ならいい、と呟く。
「着替えて来い、いいな」
それにもう一度、今度は深く頭を下げてナマエは自室に戻る。
「まだ四人」
手の中にある名簿。二十名近い数の名がそこには刻まれ、四名の名は線で消されている。
そこにはあの鬼の一族と言う風間千景の名も記されていた。
その紙を四つ折りにして懐へしまう。赤く染まった羽織を脱いで井戸へ向かった。
水を汲んで桶に開ける。そして羽織を浸して手洗いをしていく。
「あれ、ナマエさん」
そこに通り掛かった千鶴が駆け寄る。
「!」
そして既に真っ赤になった桶の水を見て思わず言葉を失った。だがそれを見たのは今日が初めてじゃなかった。千鶴は拳を握りしめ、ナマエの横へと屈んだ。
「私も、手伝います」
袖をまくり水に入れようとした手をナマエが止めた。
「ナマエさん・・」
ただ見つめて首を横に振った。そんなナマエに千鶴は胸が痛くなる。
「お怪我、してませんか」
ならば、と問い掛ける千鶴にナマエはまた首を横に振る。そしてまた冷たい水に手を浸し黙々と洗うナマエに千鶴は言葉を探した。
最近のナマエの事は新選組幹部の中でも噂になっていた。一番組組長が倒れたと言う情報が漏れて、ナマエの巡察の際襲われているのではとの考えもあったがそうでないものもあった。
何より総司が倒れてからと言うもの、ナマエの表情が暗くなった様な気がして千鶴は心配していた。
「ナマエさん!」
「!」
突然千鶴はナマエの手を掴んでギュッと握った。ナマエは驚いて千鶴を見つめる。
「私で良ければ、いつでも頼って下さい!」
力を込めて真っ直ぐにそう言う千鶴に、ナマエは目を瞬かせる。そしてその千鶴の瞳を見て微笑んだ。
"ありがとう"
僅かに口を動かしてナマエがそう音に出さずに言えば、千鶴も少し安心したかの様に微笑んだ。
「じゃあ私お夕飯の支度して来ますね」
千鶴の言葉に頷いてその背中を見送る。眩しかった。何よりその笑顔が。
自分もあんな風に笑えたら、あんな風に誰かを励ます事が出来たなら
そんな考えが頭に浮かんで一人の顔が過ぎった。それはいつも意地悪で性格は最悪。だけど悔しい事に剣で勝てた事はない。
それに、
『君が好きだよ』
あの日の言葉が思い浮かんで血まみれの羽織をギュッと握った。
彼女ならなんて返しただろうか。きっと、彼の求めている言葉を伝える事が出来るのだろう。
(・・だけど、私は)
何も伝えられていない。何を伝えたらいいのかも、まだ分からない。
だから床に伏せてる彼に会いにも行けずにこんな毎日を繰り返している。
(でも、それももう終わる)
きっと、こんな風に悩む事も考える事もなくなる。そう思うと少し気持ちが楽になった。
あと少し、ナマエが呪文の様にその言葉を唱えていたそんな夜、再び鬼の襲来があった。
「わざわざ人気のない場所で待ち構えているとはな」
風間千景、その声にナマエはゆっくりと振り返る。鬼が来たと山崎から伝令があった。ナマエは分かっていた、きっと自分を探しに来ると。
「一つ聞く」
ゆらりと刀を抜いてナマエが呟く。風間はなんだ、と呟く。
「仲間の復讐、なんかで来た訳じゃないでしょ」
ナマエの言葉に風間はやはりと声を漏らす。
「当然だ、人間同士の争いに口を挟むつもりはない」
「良かった、鬼が三人も増えてるって聞いて面倒だと思ったの」
瞬間、ナマエが駆け出す。
「化け物三人殺すのに、今度は打撲以下で済ませたいからね・・!」
過度な執着心は時に面倒なものだ。それはそいつの力量以上のものを放つ事がある。だが彼らにそれはない。
興味がなければ離れるのも早い。運が良ければ戦わずとも身を引く事もあるだろう。
「舐めた女だ」
ナマエの言葉に風間は表情を僅かに歪めた。
「でも平気、お前は殺すから・・!」
「フッ」
刀を振り抜けば華麗に後ろへ舞い上がる。
「!」
着地と同時に風間の視界に刀が映る。それは先程までナマエの手の中にあったもので、思わず目を見開いた。
「貴様、刀を投げるとは・・それでも武士か」
「残念」
咄嗟に交わして怪訝そうに呟く風間。だがその時既にナマエは走り出していた。
「!」
「私は武士じゃない」
刀を避けた事によって体制を崩した風間に生身で突っ込んで行く。首元を掴んで、勢いそのままに地面に押し倒した。
「貴様・・!」
「ただの、殺し屋だよ」
仕込んであった短刀を風間の首に押し当てる。首が落ちる、はずだった。
「・・チッ、」
風間を中心に風が舞う。それにナマエは小さく舌打ちをした。
突然変わる髪と瞳の色。ナマエの手を掴む風間の手。そして笑う口元が見えた。
「俺は貴様を侮っていた様だな」
ギリギリと短刀の押し合いが繰り広げられる。だがナマエは分かっていた。これ以上、押し込めない事が。
「貴様が門の所にいた筋肉馬鹿であったなら俺の首は落ちていただろう」
だが、そう言って風間は最も簡単に短刀を弾いた。
「貴様は女であったが故に俺を殺せん」
咄嗟に後ずさったナマエはゆっくりと起き上がる男を忌まわし気に見つめた。
「着物が汚れた。今日は帰るとしよう」
「あんた、何しに来た訳」
ナマエの問いに風間は笑う。
「ただの散歩だ」
「・・・」
そんな男の言葉の真意は分からず、ナマエはただそいつが去って行くのを眺めた。
「また殺し損ねた」
呆然と見上げた空には、月がナマエを嘲笑うかのように光り輝いていた。