「沖田さん、ナマエさん知りませんか」
廊下にて千鶴が総司に声を掛ける。振り向いた総司はやだな、と笑った。
「だいぶ前に君の所に行くって言ってたけど」
一緒じゃないの?と聞く総司に千鶴は首を横に振った。
「最近お台所にも顔を出さなくて、甘味屋さん誘っても忙しいって」
「へえ、初耳だね」
心配そうに眉を下げる千鶴に総司は僅かに表情を変える。
「どこか、具合悪かったりするんでしょうか」
「そうかもね」
意味深に呟いて空を見上げる総司に千鶴は首を傾げる。
「僕が探しておくから他の人には言わなくていいよ」
「・・はい」
心配掛けたくないからね、と有無を言わせない総司の言葉に千鶴は渋々来た道を帰って行った。
「本当、面倒だな」
そう呟いた総司の顔は珍しく険しかった。見つめた先に彼女を映して顔を顰める。
そして服を靡かせて何処かへ向かう。刀に手を添えながら。
◇
それから数週間が経過した。ナマエは任務がある時以外、外へ出払っている様だった。
屯所にいる事はめっきり減り、皆が何処へ行ってるのか問い掛けても町をふらついていると言うだけだった。
新八や平助は他所に女が出来たのかと騒いでいたが、ナマエは首を横に振る。それ以上誰も問い詰めることはしなかった。
ある晩、玄関の方が騒がしくなる。部屋にいたナマエは異変に気付き刀を手にして襖を開けた。
「!」
「こんな所にいたのか」
奴らの情報は当てにならん、と呟く金髪の男。それを見るなりナマエは直ぐさま刀を抜く動作に移った。
「お前・・あの時の」
「ほう、人間風情が俺を覚えているとはな」
小馬鹿にした様な言い回しにナマエは駆け出す。
「血の気の多い女だ」
ガキン!と高い音が響く。交わる刀に男は笑みを浮かべた。
「仲間が探しているぞ」
「!」
その言葉にナマエは後ずさる。
「俺も訳あって貴様と同じ場所に出入りしている」
しかし、そう言ってそいつは眉間にシワを寄せた。
「貴様、よくあの様な奴らの元で生きながらえたな」
「・・っ」
そいつの言葉にナマエは手にした刀により力を込めた。
「風間千景、貴様に俺の名を教えておいてやろう」
また会う事もあるだろうからな、と風間は笑う。
「なんの話しかな」
「!」
僕も混ぜてよ、と風間の背後から声がした。
「組長・・なんで」
その人物にナマエは顔を顰める。何故なら総司は最近体調が悪く、床に伏せることが多かったからだ。
そしてナマエは知っていた。彼が労咳を患っている事を。
松本に宣告されたそれを、偶然聞いてしまった千鶴に口止めをしているのを影から聞いた。それはナマエが考えていた最悪のものでもあった。
「千鶴ちゃんが鬼が来たって言うからさ」
騒ぎのど真ん中へ行こうとした矢先、二人に遭遇したと総司は言う。
「こいつは私が・・」
「遊んでやりたいが、仕事はもう終わった」
「!」
ナマエに一瞬目配せをして、風間は塀を軽々と飛び越える。
「逃げる気?随分意気地なしな鬼だね」
「そんな安い挑発には乗らん」
さらば、と短く言葉を残して風間はそのまま夜の闇へと消えて行った。
「・・で、」
風間の気配が完全に遠ざかった事を確認して総司はナマエに身体を向ける。
「あの鬼と、なんの話しをしてたのかな」
「・・・」
総司の言葉を耳に入れつつも、返答はせずに刀を鞘へ収める。玄関の騒ぎも治まったのを感じるとナマエは無言で自室へ戻る。
「僕の質問、聞いてるかな」
後を追って総司もナマエの部屋へ足を踏み入れる。
「!」
そのまま出掛ける支度をするナマエに総司は彼女の腕を掴んだ。
「どこに行くの」
緊迫した声で総司は詰め寄る。ナマエは総司の顔を見ようとはせず、俯いたままだった。
「答えを聞かなきゃ、離してあげられないな」
そこでようやくナマエが顔を上げた。その瞳に総司は僅かに顔を顰める。それはナマエがここに来たばかりの時の瞳と、よく似ていたから。
「気が変わったよ」
「!?」
総司はそう言って力任せにナマエを壁へと押し当てた。
「っ・・!」
突然訪れた痛みに思わず顔を歪めるナマエ。目を開けると総司はナマエの肩を掴んで俯いていた。
「なにす、」
発しようとした言葉は、そのまま総司に飲み込まれた。
「んんっ!」
いつもと同じで唐突な、だがいつもとは全く違う荒く乱暴な口づけに、ナマエは総司の腕をギュッと握った。
「!?」
そして唇を重ねたままナマエの帯に手が掛けられる。咄嗟に総司の手を掴もうとしたが遅かった。
スルッと帯が解け、袴が開ける。そこには固く巻かれたサラシが露わになった。
だがそれに慌てたのはナマエだけで、総司はそれさえも引きちぎる様に剥がしていく。
その間も激しい口づけが続いて、ナマエの手は力なく総司の腕に添えられていた。
「や、め・・っ!」
ナマエの抵抗も虚しく、総司は無言で袴の中へ手を伸ばし、背中を撫でる。ぴくっとナマエの身体が僅かに仰け反って、総司はようやく唇を離した。
「はぁ、はあっ」
壁伝いに座り込むナマエはその場に立ち尽くした総司を見上げた。
「!」
今にも泣き出しそうな瞳が目に入って、ナマエの瞳が一瞬にして揺らいだ。
そしてその場に力なく座り込む総司。ナマエには分からなかった。彼が何故こんな事をして、こんな表情を浮かべているのか。
「組長・・」
「・・っ」
短く手を伸ばせばキツく抱き寄せられた。ナマエの肩に顔を埋める総司の背に、ナマエはぎこちなく手を回した。
その手を感じて総司が抱き締める腕により力を込めた。まるでどこにも行かないで、と泣き付く子供の様に。
そんな総司にナマエは切なくなった。胸が締め付けられて苦しくて、総司を抱きしめ返した。何故か、なんて分からなかった。
ただ気付いたらそうしていた。そうしなければ自分の心が潰れてしまいそうだったから。
「・・ごめん」
彼に謝られたのは二度目だ。抱き締める腕を少し緩めて総司とナマエの額がこつん、と音を立てる。
「・・私こそ」
あの風間千景に言われた言葉に動転して、頭に血が上って思考が止まった。昔の、考えも感情もない自分へ一瞬で戻った気がした。
でも先ほどの総司の瞳を見てハッとした。正に我に返った気分だった。
「ナマエ、」
名前だけで呼ばれるのも二度目だ。真っ直ぐ見つめる彼の瞳はさっきとは違う、優しい瞳。愛おしむ様な瞳にナマエは息を忘れた。
「君が好きだよ」
いつから、なんて忘れた。女の子だってのは最初から分かってた。それは総司だけでなく口には出さずとも土方や斎藤、原田もそうだ。
ただ、いつか斬るかも知れない存在でしかなかった。興味を持ったのは入隊後の仕合い。
斎藤と仕合いをする時の様な高揚感を感じた。目に見えて腕の上がるナマエにワクワクしていた。でもその程度だった。この時は。
見廻りを並んでして、たわい無い会話をして、最初こそ人を殺す事しか頭にない様な瞳だったのに、急速に色々なものを吸収していくナマエを気付いたら目で追っていた。
そんな自分に気付いた時、バカバカしいと思った。斬る事しか出来ないはずのこの手で、彼女に触れたいと思うなんて。
だけどあの夜、男装した女の子の葛藤が余りにも可愛くて手を出した。軽い気持ちだった。
茶化すぐらいの気持ちだったのに、その日の二度目の口づけでどれほど彼女を求めていたかを自ら思い知った。
思わず自分に笑った。だけど、そこから気持ちは止まる事はなかった。例え彼女が、新選組の敵だったとしても。
総司の役目は怪しければ斬る。即ち監視役だ。気付いたら怪しい行動をする彼女を見張るはずが、怪しい行動をしない様に見張っていた。
彼女が喋ることもそう。独り占めしたかっただけではない。それは新選組が彼女を敵と認識しない為の行動だった。
だけど先ほどのナマエの昔の様な瞳に焦った。今行かせたらきっと戻って来ない、直感でそう感じた。
言葉が見つからなかった。だって自分の口から、ナマエの口から"間者"の文字が出て来てしまったらもう止められない。斬らずにはいられない。
だから無理矢理奪った。奪おうとした。だけど出来なかった。こんな形で触れたくなかった。
でも、一つだけ言葉が見つかった。それはお互いが抱きしめ合ってようやく気付いた。
「僕は、君が好きだ」
「組長・・」
それは初めて口付けをした時に言った好きとは、重さが違った。この短期間でこの言葉はこんなにも痛く、苦しく胸を締め付ける。
それをただ伝えたくて、触れたくてこうしている。それだけでいい。
彼女の言葉はいらない。聞くのが怖いから。だから何かを言いかける唇をいつも咄嗟に塞いでしまう。
「ん・・っ」
今だってそうだ。何かを言おうと息を吸い込んだ途端、唇を塞ぐ。
今度は優しく、この気持ちが彼女に伝染する様に。伝わるだけじゃ足りない。
同じ気持ちに染まればいい。それがただの我が儘だろうと構わない。君がこの腕の中にいるなら。
だからこの腕の中にいる時は唇を塞がせて。
君が、さよならを言わないように。