朝、ナマエは色んな意味で頭が痛かった。

その原因は考えなくとも一人しかいない、とナマエは頭を抱えた。

(組長が、男好きだったなんて・・!)

それはナマエにとって余りにも想定外の事だった。いや、正確にはそうではないのだが、ナマエにその頭はない。

(女だと言えばいいのか?いや駄目だ。そしたら)

ここに、居られなくなる。その言葉にナマエは肩を落とす。落ち込んだ理由すら気付かないままに。

頭を抱えていた手を見つめた。自分は何を考えているんだろ。そんな根本的な事が分からない。

自ら考え、行動して、そんな誰もが普通に意識もせずにする事がナマエには出来ない。いや、ここに来るまでした事がなかった。

そこに想いも感情もありはしない。そんな世界に彼女はいた。

(・・眩しい)

襖から漏れる朝日に手を翳した。何かも、彼女には眩しかった。皆の優しさも千鶴の女の子らしさも、そして

(なんか、腹立ってきた)

昨日の事を思い出してそんな事を思った。月の下で半ば無理やり唇を奪われて、奪った本人は悪びれる様子も、ましてやめる様子もなくて

「・・やめっ!」

苦しさに僅かに空いた唇の隙間から思わず声が漏れた。それに総司が反応してようやく唇が離れる。

「驚いた。君、しゃべれるんだね」
「!」

無意識に漏れた声に口を塞いだ。だが遅かった。誤魔化すには相手が悪過ぎる。

「・・わた、僕はしゃべれないとは言ってない」
「ふーん」

視線を逸らして苦し紛れの言い訳をする。それを総司は楽しそうに聞いていた。

「じゃあお話しでもしようか」
「しない」

キッパリと言うナマエに総司はニヤりと笑う。

「なら、僕は部屋に戻ろうかな」

そう言って総司は立ち上がる。それをナマエは無言で聞いていた。

「あ、そう言えば近藤さんから貰った金平糖が」
「話す」

その言葉と同時に袴の裾を掴まれる。その返事が分かっていたかの様に総司は笑って再び腰を下ろした。

「で、なんの話しをしてくれるのかな」

金平糖の瓶を抱えて色とりどりのそれを無言で一つずつ口に運んで行くナマエ。総司はそんな横顔を見つめてパッと腕を取った。

「それ、僕にちょうだい」

それとはナマエの指に摘まれた小さな粒。ナマエは怪訝そうな顔をして腕に力を込めた。

「イヤ」
「あれ、おかしいな。それ僕のなんだけど」

その反応に総司もギュッと掴む手に力を込めた。ギリギリとナマエの手にある金平糖が左右に揺れる。

「ぱく」
「あ」

長期戦は不利だと判断したナマエは顔を近付けて金平糖を口にしてしまった。その横顔はやけに勝ち誇っていた。

「じゃあ僕はこっちでいいや」
「!」

顎を掴まれ自分の意思とは関係なく視界が揺れる。

「・・っ」
「ご馳走さま」

触れられた唇に腕を当てて総司を睨みつける。本当、何考えているんだ、と。

「組長は、よく分からない」

ポツリと溢した言葉はざっくりしていた。

「二度と、この声で誰かと話すなんてないと思ってた」

そう言って一粒の金平糖を月に翳して見た。その様子を総司はジッと見ていた。彼女の気持ちを、取りこぼさない様に。

「僕は捨て子だ」
「ふーん」

総司の言葉に思わずフッと笑った。そうだ、この程度で驚く様な人間じゃない。そう思ったから。

「暗い世界だった。多分」
「多分って、君そこにいたんでしょ?」

ナマエの言葉に総司は笑う。そんな総司の言葉にナマエは確かにな、と思う。でも本当に分からない。今となればそんな気がするだけ。

「そこしか知らなかったから、」

一つの場所しか知らなければそこが暗いか明るいか、善か悪かなんて知る由も無い。それに、それを判断するにしてはナマエは幼過ぎた。

「そこでの女の扱いは酷かった。毎日違う女が連れて来られ玩具にされて殺されてた」

当時十にも満たなかったナマエはよく男の子に間違われた。顔立ちもそうだがその剣の腕がそれを肯定的なものにしていた。

怖かった。腕は立つと言ってもまだ幼い。女だとバレること。それはそこでは死に等しかった。

「こんな声だ、男たちの余計な気を引かない為にも喋るのをやめた」
「・・だから、千鶴ちゃんと一緒にいるの?」

彼女をその女たちと同じ目に合わせない様に、総司の言葉にナマエは俯いた。

「分からない、気付いたらそうしてた」
「そう」

ポンっと総司はナマエの頭に手を置く。

「君は、君のしたい事をしたら良いんじゃない」
「僕のしたい事」

総司言葉を復唱しても、答えは出て来なかった。

「そうだよ、ナマエ」

初めてちゃん付けじゃなく呼ばれた。ゆっくり顔を上げれば、微笑んだその瞳とぶつかる。

「・・本当、組長は良く分からない」
「それ褒められてるのかな」

はは、っと笑う総司と眉を寄せるナマエ。二人のその影は夜更けまでそこに居続けた。





「はあ・・」

思い出しただけでも深いため息が出た。

「無用心だね」
「!」

そして襖の向こうから声が聞こえた。

「おはよ、ナマエちゃん」
「・・・」

出た、と言わんばかりの顔を総司に向けるナマエ。

「入るな」
「んー何か言ったかな」

後手に襖を閉める総司に、ナマエはまたため息を吐く。

「昨日言うの忘れちゃったからね」

ナマエが座っている布団の横に腰を下ろして総司はそう言う。ナマエはなんの事だ、と首を傾げた。

「しゃべるのは、僕の前だけにしてよね」

釘をさす様に鋭い瞳で言う総司にナマエは頷く。元々皆の前でしゃべる気なんてなかった。それは自分の立場を危うくするだけだからだ。

「良い子だね」
「!」

そう言って肩に手を掛けられた。気付いたら目の前には総司の顔とその先に天井が見える。

「なっ・・!?」
「あーあ、思ったよりマズイね、これ」

フッと笑う総司を下から押し退けようとするがビクとも動かない。

「・・んっ!」

その腕を掴まれて、そのまま唇が重なる。

(本当、なんなんだ・・)

昨日ですでに学んだ。こうなったら抵抗は逆効果だと。

「・・っ」

昨日より長い口づけ。酸素を求めて口を開けばそれを許さない彼の唇がナマエを襲う。

「も、・・やめっ」
「・・っ」

僅かに開いた視線の先には、僅かに表情を崩した総司が見えた。

「・・はぁっ!」
「残念、もうおしまいだよ」

ようやく酸素を取り込めたナマエは肩で息をする。そんなナマエを見て総司は笑っていた。

「ナマエ、まだ寝ているのか」
「起きてるよ」

外から聞こえた声に総司が言葉を返す。それを聞いて襖が開いた。

「総司?随分早いな」
「おはよ、はじめくん」

その予想外の人物に斎藤は目を丸くする。

「ナマエは、どうしたのだ」

背を向けて未だ息を整えてるナマエに斎藤は首を傾げる。

「あー、なんか過呼吸みたい」
「っ!」

その言葉にナマエは枕元に合った刀を抜いた。

「・・なんなんだ、あいつらは」

そのまま襖を壊し部屋を飛び出した二人を呆然と見つめる斎藤。

その日、二人は襖を壊した事を土方にこっ酷く叱られた。