三話


「どう考えても一年に務まる任務じゃない」

 不満はつい口から漏れていた。東京の空よりも近く感じるそこから燦々と降る光は、この大きな施設内とて感じることができた。それはここが空港という特殊な建物ということもあるが、繰り返される館内放送と、段差ひとつないタイルの反射さえもが気が重くなる要因に成り代わっていた。

「今呪術師は繁忙期だから仕方ないんじゃん?」
「僕は燃えているよ!! 夏油さんにいいとこ見せたいからね!!」
「あいつらはどーでもいいけどさぁ、どうせなら襲ってこないかな」

 来ないんだったら海行きたい、なんて彼女は警戒心もなにもなく飛び立つ飛行機のその先に想いを馳せた。来るか来ないかが分かっているなら、そもそも私たちは配置されないだろうに。

「それにいたいけな少女のために先輩たちが身を粉にして頑張ってるんだ!!僕たちが頑張らないわけにはいかないよ!!」
「台風が来て空港が閉鎖されたら頑張り損でしょう」
「ってか私にはあの二人が身を粉にして頑張ってるのがどーしても想像できないんだけど」

 確かに。急遽沖縄に行けと言われたこの任務は、特級呪術師であり私たちの先輩でもある五条さんと夏油さんが受け持った“星漿体”、高専初め、帳などの結界術において欠かせない存在である不死の術式を持った天元様との適合者であるその少女の護衛任務のバックアップだ。

 失敗すれば一般社会にも影響を及ぼす程の任務をたかが二年にやらせることもどうかと思うが、そこは国内に三人しかいない特級呪術師。理解は出来なくもない。だがそのバックアップが私たちというのは、やはり腑に落ちないところがあった。

 何事もなければいい。もうすでに敵組織の一つはあの二人が楯突く間も無く解体したようだし、残るのは規模は大きいといえど非術師の宗教団体だ。まぁそいつらに関係者を拉致されこんな所まで遠路遥々赴くことになったのだが、彼女のいう通り繁忙期だったとしたってもっと適任がいただろうに。

「浮かないねぇ相変わらず。大丈夫だって。三人いるんだしさ」
「そうだよ七海。僕らも二級に上がって、彼女なんて準一級だ」
「そういう問題じゃない」

 特級二人との特訓、というのは蓋を開ければ昇給試験のようなモノだった。あの日の数日後、私たちの階級はそれぞれ上がり、彼女は一人で任務を受けることもある。まぁそれでも一年ということもあるのか、やはり三人で少し難易度の上がった仕事を熟す日々だった。あのあと本当に遠慮のかけらもなく転がされ続けたが故に、数日間全身が痛みを訴え続けたことは、もう思い出さないようにしている。

「ねえ、もしかして私たちここにいるだけ?」
「見張りとはそういうものでしょう」
「クッッソつまんないんだけど。私お土産見て来て、」
「いいわけないだろう」

 颯爽とサボりに行こうとする彼女の腕を掴み、制止する。ここで野放しにしたら軽く一時間は帰って来なさそうだ。予定では十五時の飛行機に乗って高専へと向かう。今の時刻からだとあと二時間ほど。そろそろあの二人がこちらに向かい移動して来てもいい頃合いだ。

「あ、電話。夏油さんだ」

 噂をすれば。その連絡に、この地味に見えるも異常に重苦しい任務に終わりが見えたと思えば僅かに肩の力が抜けた。この任務の重さも然る事ながら、隣の彼女をここに留めておくのはそれ以上に骨が折れる。

「七海!! 滞在一日伸ばすって!!」
「はぁ!?」
「なんかあったのかな!!」
「……」

 最悪だ。拉致犯の捕縛も尋問も終わってると聞いたのに、わざわざ帰りを引き延ばす意味。何かの考えあってのことなのかも知れないが、普通に考えていち早く結界のある高専に帰ることが最善だろう。なのに、それをしないということは何かトラブルがあった、もしくは、遊んでいるか、だ。容易くあの軽薄な男がはしゃいでいるのが想像出来て、私のこめかみはぴくりと震えた。

「どーすんの。まさか明日までここってわけじゃないよね?」
「手に余るとはいえ、いつなにが起こるかわからない以上ここから離れるのは憚られるな」
「ここに寝泊まりするってこと?」
「嘘でしょ!?」

 その後吐き出された彼女の溜め息は地を這い足元に蔓延していく。と思ったらくるりと踵を返すものだから繋ぎ止めるタイミングを失ってしまった。

「どこ行くんだ」
「お腹空いたの。さすがに飲まず食わずでなんか戦えないっつーの」
「あ、なら!」
「灰原は米、七海はパンでしょ。テキトーに買ってくる」

 ちらりと見せた横顔は聞かずとも分かってるとでも言いたげで、彼女の背中を呆然と見送る。残された私たちは、同じ顔で、同時に視線を絡めた。

「彼女に好きなもの言った?」
「……いや、」
「だよね。いつバレたのかな」

 そう言う灰原は微かに赤くなった頬を指で掻くから、私はゆっくりと目を逸らす。視線は見えなくなった背中を映し出すように細められ、灰原にバレないように溜め息を吐いた。面倒だ。だって灰原は強く、私は無意識に、彼女の特別になりたいと思っているのだから。

「七海、」
「……悪い、彼女からだ」

 どれくらいの沈黙が続いたか、ポケットの振動に携帯を開くと彼女の名前が映し出されていた。何かを言いかけた灰原にそう断りを入れれば「うん、出てあげて」とはにかむから、そのまま鳴り止まない携帯のボタンを押して耳にあてた。灰原の普段とは違う意を決したような声音だったことからも、安堵したのは、言うまでもない。

『荷物多い! 持てない!』
「どれだけ買ったんだ君は」
『この後食べるお菓子とか暇つぶしのおもちゃとか、っていいから来て! マックのとこ!』

 プツ、と音を立てたあと聞こえたのは、彼女がこちらの返事も聞かずに通話を切ったことを告げる無機質な音だった。一方的すぎるそれに自分が行けばよかったな、と思いつつパタンと閉じた携帯を再びポケットにしまえば、隣の灰原が何かを察したようにくすくすと笑いながら「彼女、なんだって?」と首を傾げる。

「余計なもの買ってるみたいだ。持ちきれないから来いって」
「彼女らしいね」
「仕事中だって言うのに、全く。だから……灰原、行って来てくれないか」

 え、と言った灰原の言葉は、聞こえなかったふりをした。

「わかった。すぐ戻るよ」
「頼む」

 なにもなかったかのようにそう小走りで彼女の元へ向かう背中を見送る。灰原にほっつき歩く彼女を強制的に連れ戻すなんて強引なことは出来ないだろう。きっと、仕事のことを考えれば私が行くべきだった。

 だけど、彼女の見透かされていた時の灰原の顔が、一瞬脳裏を過ったと思えばそう口にしていた。五条さんと夏油さんに呼び出された時は、気付けば当て付けのように彼女の腕を掴んでさえいたというのに。

──……考えるなって言ってるだろ。

 そう思うのに、反抗的な指先は不満げにぴくりと動き、鼓膜の奥深くでは、彼女の自分を呼ぶ声がこだましていた。



「バカなのか?」
「バカって言う奴がバカなんだよ七海」

 戻って来た二人の予想を遥かに超えた手荷物の量に、やっぱり自分が行くべきだったと後悔した。それに加え高専の制服に身を包んでいたはずの二人は“海人”なんてどでかく書かれたTシャツに灰原は青の、彼女はピンクのアロハシャツを着て頭にはシャツと同じ色したハート型のサングラスが装着されている。自分の眉間には明確なる不満を記したシワが刻まれていると言うのに、彼女は五条さんと口喧嘩する時のように子供じみた減らず口を叩くから、酷い頭痛がした。

 後悔先に立たず。だからこそ感情に囚われず、流されることなくその場の最適解を常に選択していると言うのに、その根底を崩す目の前の彼女はいつものことながら非常に厄介だ。

 この如何にも浮かれきった格好を彼女にどう止めさせるか、いや勝手にやる分には構わないが、万が一高専関係者に見つかりこんな大きな仕事をきちんとやっていたのか問われたら面倒でしかない。連帯責任を負わせられるシステムさえなければ、同期がどんな頭の悪そうな服を着ていようともどうでもいいと言うのに。仮に、二人が観光に来てはしゃぐバカップルに見えようとも、決して。

「!」
「七海捕獲完了!」
「でかした灰原!」
「は、!?」

 そんなことを思案している間に背後に立った灰原の腕が両脇から伸び私の動きを固定する。待て、まさか、と思う間もなくジッ! と音を立てジャケットのファスナーが下されたかと思えば、頭の形に沿って何かが通過した。

「……」
「あ、これこれ」

 先ほどより深く深く、深淵のごとく刻まれたシワのある目元が暗転する。知りたくもないが、きっと着せられたアロハシャツが黄色いことから、同色の、彼女たちと同型のサングラスがかけられたであろうことが予想された。……悪夢だ。悲劇だ。仮に今宗教団体が襲ってきたら私たちはこれで戦う羽目になる。そんな滑稽なことあるのか? その三人のうち一人が自分なのかと思うと、やはり頭が痛くなった。

 結局何事も起こらなかったこの日、彼女を挟んで座ったベンチにて夜を過ごすことになった私は、彼女に寄りかかった灰原の重みと、無遠慮に私の肩を枕にする彼女の体重を一身に受けることになった。耳には常に彼女の寝息が聞こえ、鼻腔には絶えず彼女の香りが漂う中で見た夢は、ムカつくことに酷く、穏やかだったような気がした。





「君たち、随分楽しそうだね」
「ちゃんと空港は見張ってました!!」
「おいオマエそのグラサンよこせよ」
「はぁ? ダブルグラサンかよ本当頭大丈夫?」
「……」

 翌日、そのままの格好で出迎えた私たちの前に、ようやく現れた任務終了の鐘はそう疑心暗鬼の眼差しを向けた。が、もうどうでもいい。例え、護衛対象と思われる少女に「高専ってこんなアホばっかなのか?」と言われようとも。もう、どうでも。