一話


 呪術専門高等学校の授業というからには、まぁ当然の如く普通の高校のように国語や数学などをひたすら学ぶわけじゃないと思ってはいた。が、まさか入学して一ヶ月で、しかも一年三人だけで早速任務に行かされることになるとは考えもしなかった。

 おまけに補助監督に車から下ろされてからそれなりに歩いたが、目的の呪霊らしい気配はない。今回は三級の退治。そもそも呪霊自体の気配が薄い上に辺りは草木で覆われていた。探す手間はいいとしても、手掛かりがなさすぎて嫌になる。それ故もあるが、後ろを歩く二人は初めての三人だけの任務に遠足気分なのだから、頭が痛くもなるという訳だ。

「……なにしてるんだ」
「あ、バレた」
「見てよ七海、綺麗な桜だよ」

 すぐ近くで二人のコソコソする気配を感じて足を止め振り返れば、案の定車間距離ならぬ人間距離のバグったそこで、指に淡いピンク色の花を持つ二人がなにやら私に悪戯をしていた。私の動きに合わせ、肩に背負った鉈に置かれていた桜がハラハラと地面へと落ちていく。

「そんなことしてないでさっさと終わらせて報告を、」
「硬いなぁ、もう。三級でしょ? 大丈夫だって」

 ねえ灰原? なんていう彼女の言葉に、灰原がうんうんと頷く。その自信は、なにも若さから来るものじゃなかった。

 高専に登録されている呪術師には、須く階級が与えられる。大丈夫だと宣う彼女の階級は、私や灰原より高い二級。それはもう一人でも任務を請け負えるようなもので、一年の入学時点で二級以上を持っていることは珍しい。

 現に、この前授業で手合わせをした際、私たち男二人が仲良く床に這いつくばる羽目になったのはなかなかに屈辱的だった。なにがって、女性だからとかいう以前に、「クソ弱」と高らかに笑う彼女のクソみたいな性格に、その原因はあった。

「そうじゃなくて、早く帰りたいんだ」
「あー、帰ってなにしよっか」
「マリパしようよ!!」
「それ小学生の時死ぬほどやったわ」

 違う。なんで帰ってからも一緒に過ごす気なんだ? 折角今日はこの仕事が終われば自由だっていうのに。そうしたらこの前買った本を読んで、夜はなにを食べようか。……いや、それもこの呪霊退治が終わってから考えることにしよう。と、思ったのに。

「はい、これあげる」
「!」

 私の露わになった耳に、少し冷たい指先が触れた。それは瞬く間に離れたモノの、耳の上にある僅かな違和感と、カサッと何かが自分の肌に擦れる音が近くで響く。

「似合ってるよ、七海」

 木々の間から漏れる光の下だからか、やたら彼女が眩しく、柔らかく笑って見えた。

「……こんなもの似合うわけ、!」
「可愛いよ七海ちゃん」
「うん、似合ってる似合ってる」
「!?」

 左側を彼女が、そのもう片方の腕を灰原が、呆けていた私をガシリと掴んで口元に弧を描く。やられた。呆れを含んだ表情は気怠げに、不機嫌に歪む。

「一体なにが楽しいんだ……」
「なんだろうね?」
「だろうね?」

 左右から顔を出した二人がけらけらと鈴を転がしたように笑う。これじゃ、耳元の桜を払うどころか呪霊を祓うことだって出来やしないだろ。噛み締め歩く足元は春の終わりが敷き詰められているかのように柔らかく、鼓動は夏の気配に少し、逸っていた。



 ◇



「ほら、早く終わったじゃん」
「なに言ってるんだ。君たちが遊ばなきゃもっと早く終わってた」
「でもあんなところに公園あったら普通遊んじゃうよね!」
「そうそう」
「普通は遊ばないでしょう」

 君たち一体自分を幾つだと思っているんだ。おかげで予想より時間を費やしてしまい、私まで心配したんだと補助監督に注意を受ける羽目になってしまった。とはいえ彼らのペースは一週間で慣れた。溜め息を吐くことすらもはや無駄な作業にカテゴライズされ、早々にあるかどうかも分からない幸せを逃すことをやめた。

「三人いれば余裕だよ」
「そうだね、でも僕たちの一つ上の先輩たちはもっと凄いらしいよ」
「ああ、“あの”五条家の」

 灰原の言葉に、彼女はわずかに顔を顰める。五条家といえば呪術界御三家の一つ。そして私たちの一学年上にいる五条悟という男は、五条家相伝、無下限術式と、六眼を併せ持つ百年に一度の神童だとか。加えて同期に呪霊操術と、できる人材すら稀有な反転術式をもうすでに使いこなす人がいるらしい。口振りからもこの程度の情報は二人も持ち得ているらしく、唾さえ吐きそうな彼女と対照的に、灰原の大きな瞳は期待に満ち溢れていた。

「ひと世代に特級二人に反転術式使いなんて、ただのバケモン集団じゃん」
「素直に力の差を認めた方がいい」
「今だけだもーん」

 高専の入り口にある鳥居を潜り、結界の中へと入りようやく帰還だ。石畳を歩きながら、ベーと舌を出す彼女に子供か、と呆れてしまう。この一ヶ月で灰原のことも、彼女のこともその基本的性格くらいは把握することが出来ていた。彼女の術式、呪力はその自信に直結しているし、確かに彼女であれば本当にそのバケモノ集団に並ぶ力を得ることができるのかも知れない。何より、意外と努力する。本当、意外と。

「大体さ、」
「おかえり」
「!」

 聞き慣れない凛としながらも穏やかさを含んだ声が聞こえ、私たち三人は揃って足を止めた。声のする方を見れば、校舎の方からやたら身長のある白髪で胡散臭いサングラスをかけた男、後ろ手に黒髪を結い片手をこちらに向けている男、そして高専制服を着ているにも関わらず煙草を咥えた女の人がゆっくりとこちらに歩いてくる。

「どちら様?」
「バケモノ集団でーす」

 いくらか警戒するような声で彼女が問い掛ければ、白髪の男がその一九〇はあろうかという身長の腰を折り、怪訝そうな彼女の瞳を覗き込む。ズレたサングラスから見えた人間離れしたその瞳の色に、私たちは瞬時にこの男が“あの”五条悟であると判断した。

「いや、改めますわ」
「あ? なになに? 尊敬する先輩って媚び売る?」

 いいよ、俺たち優しいからねーなんて、上体を戻し口元に弧を描く五条さんは、やたら好戦的だ。隣の黒髪、短く自己紹介を終えた夏油さんが嗜めるよう「悟、やめないか」と呟くが、五条さんは聞く耳を持っていない。面倒だな。またこうして時間が費やされていく。まぁ、もう慣れた。が、彼女の顔を見て私は忘れていた。彼女が初対面の人間に放つ、言葉に。

「加虐心剥き出しにセックスして興奮するタイプだな。キッモ」
「あ゛!?」

 ああ、もう、最悪だ。彼女は担任の教師ですら「幼女趣味ありそう」とサラッと言った口だ。目上、先輩、五条家、そんな立場的に上の人間を敬うことや萎縮する感情は彼女の中にありはしない。五条さんと同じ顔をした彼女がずい、と一歩踏み出したから、私は彼女の首根っこを掴んだ。まるで猛獣を静止するみたいに。もう片方の手はもちろん、痛む頭を押さえていた。

「試してみるかぁ? クソガキ」
「するかバーカ。一つしか変わらないのに偉そうにすんじゃねーよクズ」
「コイツ……! ぜってえ泣かす!!」
「悟ほら、後輩は生意気なくらいがちょうどいいって、」
「お前もに決まってんだろ。そのおちょくってる前髪でも挿入んのか?」
「……試してみるかい?」

 五条さんを押さえていた夏油さんが彼女に向かったことによって、今度は夏油さんを五条さんが背後から羽交い締めにしている。残った家入さんは腹を抱えゲラゲラ笑ってるし、灰原は「先輩と仲良くなるの早いなぁ」なんて感心していた。中指を立て合うこの状況の収集は、もちろんつきそうにない。

──早く終わってくれ……

 現実逃避をするように見上げた空は広く澄み渡っていて、私とは全く、正反対だなと思った。