act...07
目的地に到着して私は思わず顔を顰めた。高松空港についてから更にタクシーで一時間。行き先を告げた悟の声に運転手が躊躇ったのも頷けた。海に面した土地の端くれあたりに位置する、老若男女日本人の殆どが周知していると言っても過言ではない童話の舞台となっている島。その入り口に、私たちは立っていた。

「これ本当に二級?」
「ここは観光客も多い。報告が上がった段階より力が増してるんだろ。全く、"竜宮城"なんてあるわけないだろうに」

珍しく少し苛立った声だった。伝説とは時に厄介だ。仮に海で人が行方不明になったとして、それはただの事件、事故だ。だがその海に色鮮やかな伝種があったなら、消えた人間はその華やかな伝説にのまれたのではと噂が立つ。誰しも本気でそんなことを思っているわけじゃないだろうけど、興味をそそるには十分すぎる話だ。加えてそれが重なれば興味と共にこの場所には嫌でも畏怖がたまる。行き交う人が、それを耳にする人間が多ければ多いほど、その濃度は短期間に、急速に高まっていく。この事例も、そんな最悪のケースの一つだろう。

「これだけ広いと原因を探すのも厄介だねぇ」
「二手に分かれるか」
「それもいいけど、まぁ取り敢えず一緒に行くよ。案外すんなり見つかるかも知れないしね」

悟の言葉に了解、と返して島へと続く砂の一本道を歩いていく。観光地といえど高専が手を回していて今は観光客もいはしない。少し前を歩く男が黙ったとなれば、肺いっぱいに入り込む潮の香りも、耳に心地い小波も心を凪いでいくようだ。とてもじゃないが呪霊がいるような場所には思えなかった。この海のどこかに、本当に天女のいる竜宮城があるような、そんな気にさえ、

「え、」
「!」

私のブーツに白波が触れた。途端、ガク、と視界が揺れた。──まずい、思った時にはもう、悟の私を呼ぶ声は遥か彼方、沈み込んだ海の外側から聞こえているようだった。

──結論から言えば、竜宮城はあった。煌びやかな装飾、漂う海洋生物たちに窓外の海、どれもイメージ通りの竜宮城にあるものばかりだ。転がっている、死体以外は。なるほど、そういう仕組みか。あの場所で思いを馳せた心に反応する、なんとも粋な呪霊が居たもんだ。ここは呪霊の腹の中。つまりは、領域の中だ。

(これじゃほぼ特級扱いじゃない)

一級呪霊くらいならまだしも、これ程の規模の領域展開する呪霊だ。そもそも領域展開する呪霊だって限られているというのに、これじゃ二級ところか一級術師ですら危ういだろう。

高専に属する大人は優秀だ。東京高の伊地知を筆頭に、補助監督も、そして窓も、私たち呪術師にはなくてはならない存在である。いえば彼らの判断ミスは私たち術師の死に直結するのだから、こんなことは本来あってはならない事だ。誰しも失敗はある。だが、予定通りの術師が来ていたらと思うと、背筋の凍るものがあった。

そういう私の階級は二級で止まっている。もう十年近く前の階級だからこの数字に意味があるとは思えないが、ここが領域の中なら逆に話は早い。と思うくらいには力量を秤に掛けたとてそれほど分が悪い訳じゃなかった。こちら側がこの領域主よりも大きな力を持って領域を展開してしまえばいいだけの事。悟に言い渡された仕事を私が片付ける羽目になったのは癪だが、もうそうは言ってられそうにない。

「さすがにはやいな」

すぐ背後で感じた気配に両手で印を結ぶ。相手の領域内にいるとはいえ、早すぎて今この瞬間まで全く反応出来なかったことにやはり特級クラスだと判断しつつもそのまま身体を媒介として呪力を込める。外には悟もいるし、ここで呪力を使い果たしてもまぁ問題ないでしょ。そうとなれば、出し惜しみはナシ、だ。

「──領域展開、」




「ちょっと、早くない?せっかちかよ」
「……なんでアンタが中にいんのよ」
「決まってるでしょ。僕最強だから」
「あっそ」

私の領域が辛うじて相手のそれを飲み込んだ直後、私の隣に舞い降りた影は変わらず喧しい。

「ったく、くだらない事ばっか考えてるからこんなとこ引き摺り込まれるんだよ」
「はぁ? どうしてアンタにそんなことが、」

ふてぶてしく仰け反った身体が苛立ったようにそう吐き捨てる。負けじと隣に立つ悟を下から睨み付けて、私は自分が失念していた事に気付いた。余りにも近くて、コイツがあまりにも私を懐にいれるからすぐに忘れてしまう。その闇を下ろしあけすけになった美しい瞳が、ただの宝石じゃないって事を。

「今日の湿度知ってる? 30パーしかないの」
「は? なんの話し」
「僕のいたいけな喉はカラッカラ。鳥取砂丘もびっくり」
「砂丘が驚くかバカ」
「驚くね。森羅万象等しく命も感情もあるに決まってる」
「じゃあアンタのその目隠しはなんて言ってるわけ」
「悟かっこいー! 抱いてー!」
「超絶くだらな」
「ぁあ!?」

そんなやり取りをしていたら自分の領域を侵された特級呪霊が言葉にならない奇声を発し、それは空気をピリピリと震わせ瞬間的に鼓膜が不快感を主張した。強大な呪力が睨み合う私たちに真っ直ぐに向かってくる。だけど、

「「うるせえ!」」

私の足と悟の拳が呪霊の勢いを破り頭部が砕け散る。すぐさま印を結べば、領域の空から吹いた風が残った呪霊の身体を切り裂いた。膨大ではあるが、短期間で肉付けされ継ぎ接ぎだらけの脆い力は、蓋を開ければ特級といえどまだまだ未完成だった。あと数年遅ければきっと一人じゃ太刀打ち出来なかっただろうな。隣の規格外を除いて、だけど。

対象呪霊の消滅に伴って、私も領域を解除する。パリン、と砕けたその空間からゆっくりと落ちていけば、私たちは互いの術式によって夕焼けの滲む水面に立っていた。

波が凪ぎ、水質の綺麗なそこは空の色を綺麗に映し出す。天と地の境界線が曖昧になったそこで、私たちは静かに沈み込む夕日が円形になった景色を見つめていた。

「……また余計なこと考えてるわけ」
「さあね」
「ケッ、可愛くねーな」

確かに、悟の言う通り余計なことを考えていたのだから、そうはぐらかす他なかった。実に彼の喉を酷使させてしまったことを無に返す結果になってしまうけど、ってか分かりづらいのよ。気の使い方が。全く……この男はどこまで私を苦しめれば気が済むんだ。

「私が昨年までどこにいたか、分かる?」
「あ? 知らねーよ。僕の嫌いなもの第二位に束縛が……昨年?」

同じように半分偽物の夕日を見つめていた視線が私の横顔に刺さった。だから、私もそのジャックナイフを享受するように見つめ、笑った。途端、色素が薄く水面のように夕日を映していた瞳が、零れてしまいそうなほど見開かれた。

「傑のところだよ。アイツが死んだ、あの日まで」