act...04
足腰が重かった。というか歩きづらいことこの上ない。その原因は間違いなく昨日の容赦ない情事にあるのだけれど、数年振りともなるとこんな反動が来るモノだとは予想もしていなかった。あと、私が予想していなかった事が、もう一つある。

「どーもー! "元"彼の五条悟くんでーす!」

老舗の個室で縁側があるような、ザ・お見合い会場にて面と向かった私とお見合い相手の男性。……と、何故か悟が私の横に鎮座している。
今し方スパーン! と襖が弾けそうなほど軽快な音を発したと思ったら、スーツにネクタイを締めた見たことも無い悟が現れそう挨拶をしたのだから、こっちとしては何が何だか分かるわけもない。

しまいには「本日はお日柄もよく〜」なんて取仕切るからお相手は開いた口が塞がっていない。というか引き攣り出している。それもそうだろう。目の前の彼とて呪術師の端くれ。"あの"五条悟を知らない訳が無い。オマケにこのルックスの男が元彼だなんて紹介されれば余程肝が据わってるかバカしか寄り付きはしないだろう。このお見合い、確実に詰んだわ。

「すみません、これは気にしなくて結構ですので」
「うわ、なにそのしゃべり方。キモ」
「黙ってろ燃やすぞ」

せめて向こうの手前穏便に締めくくってしまおうと思い精一杯の裏声となだらかな口調を心掛けた私の努力は秒で溶けてしまった。あーもうやめやめ。面倒くさ……という訳にはいかない事情が、私にはあった。あったのだが。

「ほらーコイツこんなだよ? 性格も素行も最悪。オマケに凶暴だしさー取り分け美人って訳でもないし」
「余計なお世話だっつーの」
「ってお兄さんもしかしてちょっといいなとか思っちゃった? そっか……お勧めの病院教えるよ。だから、頑張ってね」
「なに勝手に心底同情してんだ。あととりあえず殺すから表出ろや」

コロコロ表情を変えながら私を無視してまぁこの男はしゃべるしゃべる。よくも昨日抱いた女をそこまで貶せんな? ってのはさすがに口には出せないけど。ああ、もう無理。修復不可能です冥さん。すんませーん。でも全部このアホが悪いのであって私は微塵も悪くないでーす。なんて、セッティング主に心の中で謝って、ポケットから煙草を取り出した。

「!、」
「まぁ長く付き合えるのなんて僕くらいだと思うんだけど、昨日フラれちゃってさ。すごく、一方的に、ね?」

ぐしゃり、と私の手の中でまだ半分は残っていたはずの煙草が見るも無惨な姿になってしまった。悟の方を見れば、彼もこちらを向いている。開き切った瞳孔と口元に笑みを浮かべたそれはまさに狂気だ。
私の手は昨日のお返しだと言わんばかりに強く握られ、微塵も動く気配はない。が、知るか。私だって怒っている。このお見合いを潰されたことによって発生する不利益に、罪なき煙草を亡き者にされてしまった不条理。……それに、昨日の私の決意だって、そうだ。散々シリアスな雰囲気作っといて今更ギャグですなんて出来ねーんだわ。あ、マジで腹立って来た。

「そんなんだからフラレちゃったんじゃなーい? まず人のお見合い潰しに来る性格の悪さを自覚しろや」
「何言ってるのかよく分からないんだけど。僕は人助けをしてるんだよ? 良く考えなくとも分かるだろ。オマエを嫁なんかに貰ったら彼の人生明日から死ぬまでエンドロールみたいなもんでしょ」
「なら今日という日がハッピーエンドの終着地点だな。めでたしめでたし」
「バッドエンド一択だろ頭大丈夫か?」
「はぁ!? アンタねえ……!」

バッカじゃねーのとでも言いたげに呆れた溜め息を吐いて悟はメニューを広げ始めた。どーせメロンソーダとか小学三年生くらいが飲むようなもんしか頼まないコイツにそんなものいらないだろうに。しまいにはお相手になんか飲みます? お帰りはあちらですけど。なんて自分が景気よく登場して来た襖を指さしていう始末だ。ってかそれ問い掛けた意味あるか?

「……げ、」

とりあえず諸々の意味を込めて殴ろうと決意した私の鞄の中で携帯が震え、画面上に表示された名前に思わずそんな声が漏れてしまった。0コンマ二秒でこの失態の言い訳を考えたが、瞬間的に隣のクソ野郎を出す事に決めた私はある程度怒られる覚悟を持ってそれを耳に当てた。

「あー…、冥さん?」
『ああ、そうだね。私だ。そっちはどうだい?』

ひと段落つく頃かと思ってね、なんて落ち着いた声が耳に届く。このお見合いは元々冥さん宛に来ていた話だ。だけど乗り気じゃないがお相手の年齢なども諸々含めついに断りきれなくなった冥さんは──ほぼ九年、行方不明状態だった私をたまたま見付け、半ば脅されるように連れて帰られた私がこの話を受ける代わりに高専ではなく彼女の元に身を置く許可をくれる、はずだった。

呪術師は強制じゃない。かつて呪術師を辞め社会に出た後輩だっていた。でも呪術師を続ける以上高専とは切っても切れぬ仲なのは言わずもがなで、九年も音信不通だった経緯から「またよろしくお願いしまーす」なんて手の平返しは通用するわけもない。フリーランスなんてのも良いのは聞こえだけで意外と面倒だし、どう足掻いても繋がらなければいけないのなら、より隣の男から離れた場所、と思ったのに。

それに、逃げられないわけじゃなかった。また行方を晦ますくらい……いや冥さん相手だとだいぶキツイかも知れないけど。あの飛んでくる冥さんの鴉抑えるのにだいぶ呪力消費したし……でもガチの殺し合いをするわけじゃないから彼女だって本気で向かって来ることはないだろう。

それでも、冥さんに握られてしまった弱味ゆえに私はその所在を明るみにされ、そして昨日、冥さん経由で悟に呼び出された。怒られるくらいはするかと思ってたから、変わらず接してくる悟に拍子抜けしたのも事実だった。だからこそあんな顔をされてのこのこ家について行ってしまったのも致し方ないと、思うことにする。

「すみません、失敗しました」
『ふふ、だろうと思ったよ』
「全てはですね、超絶胸くそ悪い五条悟という男が、」
『ああ、大丈夫』

まぁ、電話に出た瞬間の声で悟られててもおかしくなかったかと思ったが続けて出した事実を遮りクスクスと笑う声に少しの安堵が募る。が、これでは交換条件が成り立たなくなってしまった。なのに、

『もうその件は気にしなくていい』
「え?」

一筋の光明が私の眼前で瞬く。これはそんな事はいいからウチに置いてあげるよ的な流れでは? あわよくば君の好きにしたらいいよ、なんて神さま仏さま冥様なお言葉をもらえるのでは? なんて、思った私がバカだった。忘れていたのだ。昔から曲者でイマイチ何を考えているのか分からない冥さんと、隣の男の、性根の悪さを。

『君の件は五条くんに任せたからね』
「…………は?」
『それじゃあ、仲良くするんだよ。あの頃みたいにね』
「いや! あの、冥さん!?」

ぷつりといったと思えば、その後一切音を発しなくなった私の携帯はただのガラクタに成り下がった。どういうこと? 混乱する頭はいくつもの疑問符を浮かべる。いや待って、そもそも隣のコイツは、どうやってこの場所を、

「!」

嫌な予感を引っ提げオイル切れの人形のようにぎこちなく動く首を動かし悟を見れば、その口角がこれ以上ないくらいイヤらしく上がった。……ヤラレタ。そう思った。全ては、茶番だったのだ。

ゴン、とテーブルに項垂れた額がいつの間にかお相手だけがいなくなった部屋に響き渡る。本当、私の決意をどいつもこいつも踏みにじりやがって。私そんな嫌われてた? やばい。涙出そう。絶対出ないけど。そんな気がしただけ。

「だから言ったでしょ。先生?」
「……うっぜー」

ひんやりとした木材独特の香りが鼻腔を掠め、それを傷付いた心に染み渡らせていた私の顔の真横で、コトンと音がする。少し頭をずらせば、そこには汗をかいたグラスに注がれた琥珀色と、その先には他人に理解してもらえた事のない数の空になったガムシロップが見えた。

「いらないわけ?」
「……いるわよ」

顔を上げ黒いプラスチックのストローに口を付ければ、ちょうどいい甘さが叫んだ喉を癒すように潤していく。隣の悟はそれを横目にひとつ口の端で笑って、気泡の浮かぶエメラルド色した液体を飲んでいた。