act...01
「お、来たね!」

数年ぶりに高専へと足を踏み入れた私の視界に、よく晴れ渡った青空の下高らかに鬱陶しい声を上げる色彩の極端な男と、彼を見つめる三人の生徒と思しき後ろ姿が映った。

「おっひさー!」

目元に黒いバンドをして髪の逆立った男──五條悟は、参道を歩く私を見つけるなりそう言って自身の顔サイズ程ありそうな右手を掲げた。それに伴って背を見せていた後輩たちがその視線を私へと向けたが、特段気にもせずその先の頭一つ飛び抜けた男へと視線を向けた。

「冥さんに聞いてはいたけどアンタが本当に教師やってるなんてね」
「グレートティーチャー過ぎて鬼塚もびっくりだよ。ね! みんな!」

両手を広げ私たちの間に佇む三人に求めた同意は、沈黙で返されていた。うん、なるほど。よく出来た生徒たちだこと。「ほらね」なんて顕になっている口元でにっこりする五条はどうやら場の空気を反転させて捉えているらしい。なんというか、テンションが高過ぎて昨日もこうして会話していた気になってしまう。

「はい! ちゅーーもく!」
「してますけど」
「今日は新しい先生を紹介します!」

見覚えのあるような気もする黒髪の男の子の言葉を無視し、石畳を踏み締め私の背後に立った無駄にデカい男の邪魔くさいくらい長い腕がすっと伸びて視界を掠める。それは私の首の下を通り、がっちりと大きな手が肩を掴んだ。重い。イラッとして彼の顔面に裏拳を向けたが、あたかも予想していたと言わんばかりに容易く腕を掴まれてしまったから、その苛立ちはさらに増した。

そういえばコイツに対してこの程度のことで目くじらを立てていてはこちらの精神がノコギリの刃みたいに荒いやすりでゴリゴリ削られることを思い出して諦めの溜め息を一つ肩を揺らして吐いた。と同時に、ふわりと漂った懐かしい匂いと体温に、彼が持つ距離感のバグも相変わらずらしいことを知る。

「喜べ野郎共! 熟女のスタートラインに立った最高に性格の悪い奴だよ!」
「その説明でどう喜べってのよ」

唯一の女の子の最もなツッコミもさる事ながら、無駄としか言いようのないモノマネに金八なのかヤンクミなのかはっきりしろと横槍を入れたくなってしまう。ってか、そのネタこの子たちに伝わるわけ? てかてか、その紹介、まさか私のことじゃないよな? それに、誰が“新しい先生”だって? 疑問がひとつ増える度眉間のシワがその深度と比例するかのように刻まれて、その不満を当て付けるかのように視線を何を考えているのか分からない私をここへ呼び出した張本人へと向けた。

「ちょっと、私は教師なんてやらないわよ」
「んじゃあちょっとオマエの領域展開でも見せてあげてよ」
「あほか。ってか聞けよ」

ホントこの喧しい男は変わらない。そして性格の悪さに重なるように備わってしまった頭の良さで、人を翻弄するというタチの悪い趣味をお持ちなところも相変わらずか。まぁそんなだからこそ生徒との距離感も近いのかも知れないけど。

「あ、あと僕の彼女だからみんな仲良くしてあげてね」

ぐっと、そのマスクに隠れた整った造形が近付いて顔の横で息をする。あまりにも唐突に、声のトーンを変えることなく放たれた衝撃的事実に、肝が座っている私の前に立つ三人の表情が途端に哀れみと同情を孕んで、次の瞬間には五条を見る目と同じになった。いや、そこは一緒にしないで欲しい。言いたいことは分かるけど。それに、

「"元"な」
「……は?」

腕を組んで鬱陶しそうに五条にグッと親指を立てそう言えば、さっきまでとは違う、やたら耳馴染みのある低い声が聞こえた。

「九年も音沙汰なかったら世間一般的には自然消滅でしょ、普通」
「一般論なんて聞いてないし、九年もフラフラほっつき歩いてる放浪癖のある彼女を海よりも広い心で待っててあげた僕に惚れ直すくらいしてもいいでしょ」
「残念。ねーわ」

バサっと彼の言葉を切り捨てた私の言葉に、ピシッと場の空気が凍る。他でもない、五条の纏うものがそうさせたのは明らかで、生徒たち三人は「ヤッベ」とか「関わらない方が身のため」だのなんだの言いながら我先にと母屋である建物へと入って行ってしまった。危機察知能力も申し分ない。やっぱり、優秀な生徒たちみたいだ。

「教え子たち行っちゃったけど。五条せんせ?」

そんな背中が完全に消えた頃、わざとらしくそう呼んで首を動かそうとすれば肩がズンと重くなる。「誰のせいだよ」なんて力なく鼓膜をなぞる呟きに、間違っても私じゃない事を告げれば、次は舌打ちが聞こえて来てざまぁみろと舌を出す。普段人の神経を逆撫ですることに全力投球をするこの男が、こう見事なまでに項垂れるところを見るのは悪くない。まぁこの辺りが昔から彼に性格が悪いと言われる所以ではあるのだろうけど。

「……変わらないな、ここは」

日本の都心部、東京にあるとは思えない郊外の最奥。長い長い坂道を一歩一歩登って行くその足取りは酷く重かった。まぁそれはこの背後から私を抱き竦める男にあるのだけれど、またこの道を登る日が来るなんてまだまだ想像してなかった。もしかしたら二度と登らないかもしれないとさえ思っていた。苔まみれの石灯篭が並ぶ道を突き進み、鳥居を潜って登ってきたこの場所を見渡す。細めた視線の先に見えたものは、すでに埃まみれだった。

あれから九年。たかが、九年。だけど、その年月は私たちに大きな変化をもたらすには十分な時間で、私にとって抱えたものを捨てるにはあまりにも短い時間だった。そして、先程までいた生徒たちを見つけた時には思わず顔を顰めそうになってしまった。その制服、年齢、まだまだ葛藤も迷いも発展途上な子供の瞳に、いつかの自分たちが重なってしまったから。

「五条、」
「なにそれ、ムカつく呼び方すんなよ」

肩と腹部に回された腕に僅かに力が入って、先程まで自分はグレートティーチャーだと豪語していた男があまりにも子供のように拗ねた声を発するから、目元を隠した闇へと指を滑り込ませた。

拒絶もせずその動きに従うように白髪を携えた頭が動き出せば、ゆっくりとさらりとした前髪がシルクの生地が揺れるように落ちて、ズレたバンドからは美しくも揺れた瞳が顔を出す。私はコイツの、この顔に弱い。それを彼が知っているのかは定かではないけれど、性格の悪いコイツのことだからきっと気付いているのだろう。それでもその顔をあけすけに見せ付けてくる辺り、本当昔から変わらず、ムカつく奴だ。