act...10
指定された場所へ着くと見えた綺麗な金髪に覚えたのは、硝子と同じような懐かしさだった。だけどその風貌は当然のことながら九年の歳月を経ればこれまた硝子同様に変わっていることも然り。記憶にある垂れていた長い前髪は短く切られていて、彼の術式を模したかのような見事な七三分けに分けられている。身にまとったスーツにもシワなんてひとつもなくて、その形取る一つ一つが彼の性格を表しているようだった。

「や、七海。久しぶり」
「お久しぶりです。本当に戻ってたんですね」
「その言葉、そっくりそのままアンタに返すよ」

右手を軽く上げそう言えば、後輩である七海は歩き去っていく予定だった足を止め律儀に自分から身体を向けた。そんな些細なところも彼らしくてつい笑ってしまう。青空の下、高専の出入り口にある鳥居近くの階段脇で向かい合った出戻り組である私たちは、恐らく互いに出来れば会いたくない人間の一人だ。いや、あの日、灰原が死んだ日に死体安置所にいたメンバーで生き残ったのが私たちだけだということを考えると、唯一無二なのかもしれない。

「正直あなたはもう戻って来ないと思ってました」
「私もそう思ってた。私自身も、七海もね」

でしょうね、と呟く七海に「吸っても?」と一応大人なので喫煙の許可を取り、「どうぞ」との返答を得たので箱を縦に一回、スッと振ってそのまま飛び出た一本を咥え、ポケットをゴソゴソ漁る。もちろん、身体の向きも変えて。

「!、……ありがと」
「いえ」

横からそつなく差し出された火に一瞬驚いたけれど、そう言って風に掻き消されないよう、小さな灯火に手を翳した七海の節くれだった手に横髪を耳に掛けながら顔を近づけた。息を吸い込めば先端が赤く色付き、私と七海の間でジリジリと燃える。

「七海吸う人だっけ?」
「まさか。一理もないですからね」
「それ吸ってる人間の横で言う?」
「五条さんと付き合えるくらい図太い人がそんな言葉を気にするとは思えないので」

七海の言葉に「確かに」と天を仰いでしまった。鬱陶しいくらいよく晴れた空は、ここにはいない話の登場人物によく似ている。

「……まだ付き合ってるんですか?」
「七海にしちゃ食い込んでくるね」
「自分でもそう思います」

でも、と七海は私と正反対にジッと石段を丁寧に数えるように下を向いていた。

「あの時、この人はもう終わったなと思ったので」

失礼な後輩だな。と思うよりも、ああ、やっぱり、他人の目から見ても私はそう見えていたのか、とやたら傍観者のように七海の本心を聴いていた。

「……私も、そう思ったよ」
「すみませんでした。ずっと、あなたに謝りたかった。私があんな、五条さん一人いればいいなんて、」
「七海、」

どんどん声が窄んで、前のめりになって、あと数秒後には階段落ちよろしく目の前をコロコロ落ちて行ってしまいそうな七海の言葉を遮った。そんな七海は想像したらだいぶ笑える気もするけど、これから遠征にいく七海が出発前に硝子の反転術式にお世話になる事態はできれば避けたい。だから紫煙を空に放ち、咥えた煙草を指に挟んで七海へと向いた。多分、笑えていたと思う。

「私も、そう思った」
「っ、」
「だから、大丈夫だよ」

何が大丈夫なのか、自分でも分からなかった。きっと七海もそうだろう。だけど、もうこの話は終わり。例え、そう思ってしまったが故に私はあの人から逃げて、今も素直に差し出された手を、握れなかったとしたって。

「でもさー九年も経ってたら普通別れたと思って他に女作らない?」
「まぁ、一般的にはそうでしょうね。あの性格を知ってお付き合いしてくれる物好きがいるかはさておき」
「ちょいちょい喧嘩売られてんなー私」
「否定できないでしょう」
「そーね。残念ながら」

敢えて明るく振る舞った意図を察して七海も同じように言葉を返してくれる。そんな小さくて些細なことが、私たちが大人になってしまったことの絶望にも見えた。だけどこれはきっと、大人である上で必要な自己防衛でもある。このどうしようもなく抗いようのない絶望は、戦うには敗北が目に見えすぎているのだから。

「その話、」
「?」
「昔の話、悟には言わないで」
「……当然です」

一理もありませんから。とサングラスの下で目を伏せた七海に、ありがと、と一つ、謝罪を込めた礼を言った。

「なになに? なんの話?」

私が安堵に肩をならし携帯灰皿に吸い殻を押し込んだタイミングで、背後から私をここへ呼んだ張本人の声がした。それに私と七海が同時に振り返れば、いつもの目隠しではなく丸いサングラスと緩い私服姿の悟がこちらに向かって歩いて来ていた。

「遅くない? 言われた時間とっくに過ぎてんだけど」
「主人公は遅れてやってくるもんでしょ」
「今回の遠征はアンタじゃなくて七海が主役でしょ」
「待って下さい。ちょっと話が見えないんですけど」

え? と私が七海を見れば嫌な予感に顔を顰めている。「七海と北海道行ってくるけどお土産何がいい?」と昨晩突発的に聞かされた情報と問いに「蟹」と即答したが、瞬時にそれは一方通行だと言うことを悟ってしまった。

「僕と七海が北海道行く話?」
「なんであなたが来るんです。これは私の単独任務で……ってこんなことをもう言ってもどうせ意味ないんでしょうから、もちろんあなたも来るんですよね?」

理解の早すぎる後輩の期待と懇願の眼差しが刺さる。あーごめんね七海。私は虎杖くんに付き添ってろってこの横暴男に言われてしまっているんだわ。

「ごめん、七海。お詫びに今度二人で任務行こうね」
「は?」
「はぁ、仕方ありませんね。今回は最悪な旅になりそうですけど、その時は復帰祝いに一杯奢らせて下さい」
「やった。楽しみにしてるわ」
「ちょっと、僕抜きで勝手に約束すんのやめてくんない? あとそんな任務来ないから」

ほら行くぞ七海! なんて不貞腐れて階段をガツガツと降りて行く悟に、七海と顔を合わせ一つ笑う。普段振り回されている分ちょっとした仕返しが成功して、私たちはその間で互いの拳を小さくぶつけ合った。

悟の後を追うように七海も急ぐでもなく、ゆっくりでもない、でもどこか重たげな足取りで階段を降りて行く。それを何を言うでもなく見送っていると、ふと、七海が私の名を呼んで小さく振り返った。ん? なんかまだあるか? と首を傾げ七海の言葉を待てば、彼はサングラスをカチ、と音を立て押し込んだ。

「あの人は、ずっと」
「ん? なに」

囁くように僅かに動いた口が紡いだ言葉が聞き取れなくて、前のめりになって七海の声を拾おうとした。だけど、

「……いえ、これは私の口から言うべきことじゃない」
「は? 気になるんだけど」
「どうぞそのまま気にしてて下さい。ですが、」

また七海が私に背を向ける。今度こそ立ち止まる気配が微塵もない辺り、本当にこのまま行ってしまうらしい。先輩があれなら、後輩も随分性格が悪いったらありゃしない。

「あの人の隣を歩けるのは、あなたくらいだと思いますよ」
「!」

私の返答も聞かず、七海はそう言い逃げしやがった。何それ。どういう意味よ。あの時の私を知ってるくせに、言ったその言葉がどれほど私にとって重いか、分かってるくせに。それでもそんな風に言うなんてズルすぎでしょ。しかもあの、七海が。

「一杯じゃなくてしこたま奢らせるんだから……」

条件反射で赤くなってしまった頬を手の甲で隠して、視線を流した。意地の悪い後輩から押し付けられた責務は、出来ればノシでも付けてどっかの誰かに贈ってやりたい。だって私はまだ……あの日の自分を許せてないのだから。

「ってかなんで私呼ばれた、」
「七海と何話してたんだよ」
「なっ、」

音もなく私の肩に胸がぶつかる位置に現れた悟に、数秒前の思考も相まって大袈裟に驚いてしまった。こんな距離で術式使うんじゃないわよ! と言いたいところだったが、バクバクと脈打つ心臓と、めっちゃくちゃ不機嫌そうな顔に思わず言葉を飲み込んでしまう。

「……別に、七海に聞けば?」
「アイツが言うわけないからオマエのとこ来たんでしょ」
「私が言うと思う?」

ふん、と負けじと鼻を鳴らせば、悟は苛立ったようにチッと舌打ちをする。途端、七海の最後の言葉が反芻する。やめろ。今思い出すな。柄じゃないでしょ、もう。

「何その顔」
「は?、!」
「オマエ、帰ったら覚えとけよ」

グッと顎を持ち上げられ、一瞬唇が触れ合う。ずれたサングラスから見えた背景の空とよく似た色の瞳が熱を孕んで私を見下ろすから、呼吸さえ忘れそうになってしまった。

「っ、さっさと行け!」
「怖〜寂しくなったらいつでも連絡していいよ」
「するか!」

ばか! と振りかぶった拳は空を切って、背中を向けたままニヤリと笑った口角をこれみよがしに見せ付け、悟は高専を後にした。一人取り残された私は、ぐちゃぐちゃでまとまりも収集もつかない感情に、しばらくその場から動けはしなかった。