June / act...04





「お前ら何やってんだ?」

 昼休み、一つの机に向かい合ってプリントをこなしていた俺とナマエに、鬱陶しくも聴き慣れた声が降って来て二人して顔を上げた。

「何って、宿題だぞ、と」
「今やっといた方が帰ってストレッチの時間とか取れるしね」

 そんな俺たちに来訪者である別のクラスのザックスは「うげ、真面目かよ」なんて顔を引き攣らせていた。まあ青春真っ只中と言われる花の高校生活中にここまでストイックに、自主的にやるやつなんて確かにそうはいないだろうな、なんて、言われて初めて気が付いた。なんの疑問も不満も感じてはいなかった証拠だ。いや、俺にとってバスケはナマエといるための口実なのだから、当然といえば当然なんだが。

「珍しいね、ザックスがうちのクラスに来るの」
「なんか用かよ」

 邪魔すんなと言わんばりに顔を顰め目の前にあったミルクティーに口を付ければ、ナマエが「糖分!」なんて声を上げる。いやそこかよと思いつつすでにいつものことなのだが、ナマエがマネージャーになってからというもの口に入れるものから体重なんかもある程度管理されていて、こいつはきっと俺よりも俺の身体に詳しいのではとさえ思ってしまう。

「お前ら本当仲良い、ってはいはい、今日はお前らを誘いに来たんだった」

 ん? と一人芝居を始めたザックスにナマエは首を傾げ、俺は嫌な予感に顔を顰めた。こいつはバスケセンスもあるし一年からの付き合いではあるが、どうにもテンションが合わない。なのに、なった覚えのない"友達"認定を勝手にされてるからこっちとしちゃ部活以外で関わりたくないのが本音だった。

「花火、行かね?」
「花火って、週末にやる?」
「そうそう!」
「なんでまた俺たちなんだ、と」

 俺と違い交友関係のバカでかいこいつへのもっともな疑問を俺が投げれば、ザックスは言いづらそうに視線をちらりと自分の背後にやる。その、お怒りなんだよ。察してくれよ、な? なんて視線に俺もナマエも何一つこいつの要望には応えてやれず、ザックスは頭を抱えた。すると痺れを切らしたかのように背後からふわりとした栗毛が顔を出し、俺だけはようやく理解した。

「エアリス?」
「私、すっごーく怒ってるんだからね」

 ザックスのでかい背にすっぽりと隠れていたエアリスの険しく鋭い眼光は、真っ直ぐ俺へと向けられていた。そういや、こいつナマエがマネージャーやること反対してたっけか。どこぞの誰かの怒りなんててんで興味のない俺は、再びナマエのミルクティーを飲んで明後日の方を向いた。

「なに? エアリス花火行きたいの?」
「だってナマエ、レノばーっかに構って私と遊んでくれないんだもん!」
「そ、そうだっけ?」

 ぐっとナマエに腰を折って至近距離まで近付くエアリスに、ナマエは罰の悪そうに「そうかも」なんて言うもんだからこっちの口角は上がってしまう。それに目敏く気付いたエアリスは再度目くじらを俺に向け、ばん! と机に両手を当てナマエは目を白黒させている。ザックスは落ち着けよ、なんて宥めちゃいるがその効果は毛ほどもないらしい。そんな皆の視線を集める今にも発狂しそうなそいつは長い長い地に着きそうな溜め息を吐き、そして、わざとらしく笑った。

「別に、レノは来なくていいからね」
「は?」
「私とナマエと、ついでにザックスで行くから」

 俺はついでかよ、なんて項垂れるザックスなんてそっちのけで、エアリスはナマエと「浴衣着て行こうね」なんて見せ付けるように話している。おいおい待て待て、この女性格悪すぎだぞ、と。

「浴衣かぁ。楽しみだな」

 なぜか途端にそう言って行く気満々になってるナマエにマジかよ、と突っ込みたくなる。苦し紛れに「練習どうすんだよ」と言えば「調整するよ」なんて、なんとも頼もしい返答にぐうの音も出やしない。

「レノは行かないの?」
「……行くに決まってんだろ」

 楽しみだね、なんて笑うナマエに、俺もと言えないのがもどかしくて仕方なかった。




 ◇



「なんで俺まで」
「いいじゃん、似合ってるよ」
 家を出てあとの二人との待ち合わせ場所に向かっていた。ナマエと母親のタッグに勝てなかった俺まで浴衣を着る羽目になって機嫌はそこそこ悪い。隣のナマエは俺と打って変わって至極楽しそうではあるが、歩き辛そうなことこの上ない。

「わ、」
「……またかよ」

 ナマエはわずかな距離に何度もこうして足を引っ掛け躓いてしまう。……もう少しゆっくりじゃねえとだめかよ。勝手につい慣れてしまっているこいつとの歩くペースになってしまうこの足が憎らしく思うほどには、危なっかしくて仕方ない。そりゃ、似合ってはいるが。

「ほら、掴まっとけよ、と」
「うん、ありがと」

 組んだ腕に少しのスペースを作れば、ナマエはやはり躊躇いなくそこに手を滑り込ませた。人通りの多くなって来た風景に視線を流しながら、梅雨入り間近の少しじめついた気温にじんわりと体温が溶け込み熱を発し出すそこに意識を集中させる。「あっちいな」なんて言葉が思わず漏れれば、もうすぐ夏だからね、なんて返答に、もう一つの季節が終わろうとしていることを知る。

 こいつを避けていた日々はバスケをしている時以外長くて仕方なかったというのに、俺の世界にたった一人、ナマエがいるかいないかだけでそれは天と地ほどの差がある。それを日々、痛感させられている。

「あ、ナマエー!」

 待ち合わせ場所が目で確認出来たとほぼ同時に先に着いていた二人が視界に入り、こちらに気付いたエアリスが大きく手を振った。それに同じようにナマエは振り返し、距離を縮める。する、と抜けた手と先を行く背中に残念さが拭えない瞳を送ったが、そんなものにナマエが気付くはずもなかった。

「なぁ、お前ら本当に付き合ってねえの?」
「お前に関係ないぞ、と」
「えー俺たち友達じゃんかよ」

 女二人が互いの浴衣を褒め称えてる中、ザックスの耳打ちにそっけなく答える。だから、俺はお前とお友達になった覚えはないっての。

「だって腕組んでたじゃんか」
「ナマエが何度も躓くからな」
「で、レノはナマエが好き?」
「そうだぞ、と」
「え!?」

 マジ!? なんて言うザックスを置いて、すでに歩き出してしまった二人を追いかけるように俺もあとに続いた。我ながら随分さらっと言ったなとは思うが、ザックスみたいな人たらしにはこのくらいはっきり言って牽制しといた方がいいと、あいつらの"初めまして"の時にも思ったことだったからちょうどいい。 

「んで!?」
「……なにがだよ」

 俺に追い付いたザックスがさっきの続きと言わんばかりに歩いているにも関わらず俺に身体を向けたまま目を輝かせている。顧問のアンジール先生がこいつを子犬呼びするが、その姿はまさしくそれだった。まぁ、俺よりでかい子犬なんて鬱陶しいだけだとは思うが。

「告白しねえの?」
「それこそあんたに関係ないぞ、と」
「つれねーなぁ」
「……なぁあんた、このままでいいのか?」

 心底がっかりして言うザックスにこれ以上あれこれ聞かれても面倒だと思った俺は、そう言って今日初めてこいつと視線を合わせた。唐突に絡んだそれと俺の言葉を理解していないザックスはその瞳をパチパチと瞬かせるだけで、俺は小さくため息を吐いた。

「俺とお喋りするために来たんじゃねえだろ、と」

 その瞬間ようやく俺の言わんとしていることを理解したザックスは目を見開き、そして、ニッ、と笑った。それはまるで「互いに頑張ろうな」とでも言っているようで、余計なお世話だと悪態吐く。

 だが互いに視線を外したあとの行動は早かった。不本意だが伊達に一年半近く同じコートの上に立っちゃいない。その意思疎通は、清々しいくらいだった。

「え?」
「わ、なに?」

 同時にそれぞれの腕を掴み、掴まれた二人は何事かと視線を右往左往させた。

「なぁなぁ、あれ見に行かね?」
「え、ザックス!?」
「あれ食おうぜ」
「待って、なにいきなり」

 戸惑ったままの二人を半ば引きずるようにして、俺たちは左右に散って行く。最後、視線のあったザックスと俺はきっと、同じ顔をしていたに違いなかった。

「ザックスとなに企んでるのよ」
「人聞き悪いぞ、と」

 りんご飴の屋台に並べば、ジッと下から呆れたような、警戒するような視線が飛んで来た。それを屋台の並ぶ風景にわざとらしく流せば、ザックスのこともだいぶ知るところとなったからか、ナマエが小さな溜め息だけを一つ吐くだけでことなきを得ることができた。

「それ、美味いか?」
「うん、甘い」
「そのまんまじゃねーか」

 買い終えたりんご飴を齧るナマエの簡素すぎる感想に一つ笑えば、ムッとしたナマエがずいっととその赤い塊を俺の前に差し出した。食えってことか、と腰を屈めナマエの手に持たれたその、みずみずしいしい僅かに黄色がかった果肉の見えたそこに歯を立てる。しゃく、と気前のいい音を立てた林檎のあと、コーティングされた甘い飴がカリッと鳴り、口の中に塊が転がった。

「……甘えな」
「でしょ」

 噛み砕く中で浮かんだ感想に、ナマエは得意げにそう言って俺のかじったそこに再び口を付けた。その口元があまりにも躊躇いがなくて不機嫌に目を細める。少しは気にしろっての。

「それ持ったまま転けんなよ」
「大丈夫だよ、レノいるし」

 平然と紡がれた絶対的な信頼にも似たその言葉に不服な思考は一瞬でどこかへ飛んでいき動きが止まる。……そう言うとこだぞ、と思いながら、りんご飴の隣の屋台で買った缶ジュースで、言うことを聞かなくなりそうな口元を隠した。

「あ、エアリスたちだ」

 この時期の祭りが珍しいからか、やたらと毎年人の多い屋台の並ぶ道の先に、先程の二人が俺たちと同じように肩を並べ歩いているのが見えた。二人きりはもう終わりかよ、なんて思考とは裏腹に、ナマエがそいつらに駆け寄る素振りを見せず、ホッとした。

「なんだかんださ、お似合いだよねぇ」

 ──のも束の間。二人の背中を見るその瞳が羨望を映している気がして、胸の辺りが小さくざわついた。俺たちだって端から見りゃあいつらと寸分も変わらないと言うのに、こいつはそれが分かっちゃいない。ただの"幼馴染み"。こいつの中で俺たちは、それ以上でもそれ以下でも、それ以外でもない。

「あいつの事でも好きなのかよ、と」

 なんでこんなことを聞いたのか。きっと、ナマエ自身にそんなどこにでもある色恋沙汰を、自分を当事者として自覚させたかったのかも知れない。だから俺は間違っても、あんたのそんな顔を見たかったわけじゃない。

「な、なに言ってんの」

 そんな訳ないじゃん、と俯くナマエに呆然とする。まとめた髪のせいでりんご飴を口付けたって、その丸みを失った赤いものと同じ色になった頬を隠せてはいない。なんで……例えその言葉が本心だったとしたって俺は、あんたにそんな顔を向けられたことなんかないのに、他の男にはそんな簡単に女の顔をするのかよ。

「……あ、花火、始まったね」

 ドーン、ドーンと夏前の空に打ち上げられる火の花。だけど俺は、空が明るくなる度にそれを見上げるまだ少し熱を持った頬を持つ横顔を、ジッと見つめていた。