April / act...02





「悪い、遅れた」

 体育館に走り込み、まだ乱れた呼吸をそのままにバッシュに履き替え始める。それに気付いたルードがすでに朝練が始まっている皆に練習を続けるよう告げて、その集団から抜け出して来るのが分かった。

「珍しいな、お前が遅刻なんて」
「朝からスパルタ受けてたからな、と」

 スパルタ?とルードが首を傾げたタイミングで、体育館に聞き慣れない足音と「おはようございまーす」なんて声が響き、そこそこ人数のいるその空間で俺以外全員の動きが止まった。

「今日からお世話になります」

 どうぞよろしく、なんて片手を上げるナマエにルードの視線が俺へと落ちて来る。キュッと紐を結び終えた俺は立ち上がり、そんな視線に言ってあっただろと目配せをする。すると「ああ、」と納得したようにルードはナマエに歩み寄った。

「三年のルードだ。キャプテンをやっている」
「ナマエです。レノに頼まれて来たんですけど」
「ああ、思った以上に早く来てくれてこっちも助かる」

 うん、やっぱりこの人もいい身体してるな、なんて思わず観察してしまう。レノよりも大きな身長に肩もかっちりしている。ポジションは、センターだろうか。

「もともといたマネージャーが一人辞めてしまってな。一応一人いるにはいるが、まだ入ったばかりでバスケの知識もあまり無い」
「なるほど、それで私」

 私の返答に「ああ」と答えたルード先輩はそう昨日レノが話してくれなかった事の経緯を教えてくれた。まぁここ数年会話らしい会話だってして来なかったレノがあんなこと言うのだからあらかた予想はついていたけど、本当に困ってるらしい現場に一層気が引き締まった。

「役に立てるかは分からないですけど、頑張りますよ」
「いや、その点は心配していない」
「え?」
「なんせ、あいつの紹介だからな」

 ルード先輩の移動した視線を追えば、練習に混ざったレノの姿があった。ふーん、なかなか信用されてるんだ。高校に入ってからは丸っ切り知ることの出来なかった彼の友好関係を垣間見て、安心した。なんとなく、クラスの子たちとは上っ面だけな気が、ずっとしていたから。

「ティファ、」
「あ、はい!今行きます!」

 ルード先輩にそう名前を呼ばれ長い黒髪を後ろに束ね、バイダーを抱えた女の子が駆け寄って来た。この子がティファで、新人のマネージャーなのだろう。

「彼女がナマエだ。部のことはお前が教えて、バスケのことは彼女に聞いてくれ」
「はい、ナマエ先輩。よろしくお願いしますね」
「こちらこそ」

 私たちを引き合わせ、ルード先輩は練習へと戻って行った。残された私たちはその高校生とは思えない大きな背中を二人して見送り、沈黙。先に口を開いたのはティファの方だった。

「あの、レノ先輩の紹介ですよね」
「うんそう。あいつ真面目にやってるんだね」
「はい。って、仲いいんですね」
「まぁ幼馴染みだからね」

 ここ最近音沙汰なかったことは面倒だから言わなかった。だけど、ティファはその単語を聞いた途端目を見開き、驚きの色を見せた瞳の奥が次第にキラキラとしたものに変わっていく。なんともまぁ、エアリスとは別のタイプの美人さんだ。

「その、つ、付き合ってるんですか……?」
「え、」

 まさかこの子、レノのことが。なんて思考が顔に出てしまったらしい。そうなれば私の存在はとても嫌だろうし、そんな子とマネージャー業務に明け暮れるのは気を使うな、と思ったのも束の間、そんな私の思考を察したであろう彼女は首と両手をぶんぶん音が鳴りそうなほど振ってそれを否定した。

「私にも幼馴染みがいるから、つい」

 頬を染めそう言う彼女になるほど、と頷く。まぁ私たちの場合はそんな顔をする間柄じゃないから参考になることは何一つないとは思うが、ふとティファが練習風景に視線をやるもんだから、私は二度目のまさかを脳内に浮かべた。

「あの、金髪の子なんですけど」
「へえ、」

 背丈は大きくは無いがなかなかの運動神経と俊敏さでボールを追い駆ける男の子の姿に、まだまだ発展途上とはいえ見込みがありそうだと癖のように分析してしまう。それ以外は……とてもイケメンだ。そしてモテそうである。その彼に恋心を抱いているとなれば幾ら幼馴染みという絶対的アドバンテージがあるとはいえ大変だろうなぁ、なんて、他人事のように思った。

「こんなこと言ったら怒られるかも知れないんですけど、私がバスケ部に入った理由もクラウドなんです」

 クラウドくんがあの金髪の彼なのだと察して、思わず笑ってしまった。怒るわけないじゃないか。そう私の反応に困惑するティファに、苦笑いを向けた。

「私もだよ」
「え?」
「レノが始めたから、なんか出来たらなって思って調べて、気付いたら私もバスケが好きになってた」

 だから同じだね、なんて言えば、ティファは心底安心したように笑った。うん、仲良くなれそう。そんな明るい予感を抱え、私のバスケ部生活が始まった。

「どうだった」
「ん?何が?」

 練習終わり、授業に向かうため校内に備え付けられているシャワー室を利用し終えたレノが皆より少し早く赤い髪を濡らしたまま体育館に戻って来た。不安げなレノの視線に首を傾げれば、なにやら言い辛そうにしどろもどろするから私の首の傾斜は更に角度を増す。

「ティファと上手くやれるか心配してたんだよな!」
「おわ!?」

 ずしっと音がしそうな重量がその軽快な声に反してレノの肩にのしかかったのを見て、私まで驚いてしまった。一瞬前のめりになったレノはその人物に心底鬱陶しそうな視線を向け、肩に乗った腕を振り解いた。

「適当なこと言うなよ、と」
「練習中もちらちら見て集中してなかったしなぁ」
「な!?……っわけねえだろ」

 け、っと不貞腐れながらレノは他の片付けを始めてしまった。そんなレノに「なーに怒ってんだあいつ」なんて呟いて、レノより少し身長の高いその人は、漆黒の中に浮かぶ空色を私へと向けた。

「初めましてだな。俺ザックス、同じ二年だ」

 よろしくな、と躊躇いもなく差し出された手に戸惑いはしたものの、「よろしく」とその大きな手を握れば、彼は、にっ、と晴天のような笑顔をあけすけに広げた。たったそれだけの動作なのに、彼を形取るその人懐っこさに初対面ということを忘れてしまいそうになる。というか、本当に初めまして?と思うくらいには既視感が強くて、私は記憶を遡るように思考を頭の中へと移した。

「ザックス、あれ……ザックスってもしかして」

 その行き着いた違和感と聞き覚えのある名前にふと仲のいい女の子の顔が浮かび首を捻った後、あ、と声を上げれば、ザックスがそうそうと言わんばかりに頷き目を見開く。どうやら彼も以前から私を知っているような仕草だった。となれば、思い浮かぶのは想像だけしていた一人の人物で。

「エアリスに付き纏ってる奴!」
「ええ〜…もうちょっと言い方ねえ?」

 確かに付き纏って、いやいやそんなんじゃ、なんてガクッと肩を大袈裟に落とし自問自答するザックスに、エアリスの口からたまに聞いていた彼へのイメージがあまりにも想像通りすぎて思わずクスクスと笑ってしまった。彼女はよく散々彼への文句を言った後に「悪い人じゃないんだけどね」と付け足していたから。そんな私にからかい半分だと悟ったザックスは、微笑みながら目を細めた。

「やっぱエアリスの友達は美人だな」
「え」
「心が綺麗っての?俺そういうの分かっちゃうんだよ、な……って!?なんだぁ!?」

 あまりにストレートな言葉にピタリと固まってしまった私に構わず言葉を続けるザックスは、背後からぐっと強い引力に引かれバランスを崩しながらずるずると後退していく。そんな彼の肩から、瞬く私の瞳にちらりと赤髪が映った。

「ちょ、レノ!苦し、なんだよもう!」
「うるせえぞ、と。さっさと片付けしろよ」
「分かった、分かったから襟離せって!」

 無遠慮なレノに引きずられながらも「またな」なんて右手を掲げるザックスに笑って手を振り返し、意外だな、と思った。髪を赤く染めたことといい、あんな明るい友達といい、私の中のレノとは全然違う。出会った頃はあんなに小さかったのになぁ、なんて自分を棚に上げて感慨深くなってしまう。レノが特定の男友達と仲良くなってるところなんて初めて見た。ここに溶け込んでることにだって、安堵してる。だけどやっぱりそれは女の私では与えられないものだったのだと、だからレノは私から離れて行ったんだと思ったら、やっぱり少し寂しかった。









 その日の学校も練習も終わり、チャリに跨がり帰路に着く。なんかやたら疲れたな、なんて思うことの答えは、俺の肩に手を置いてチャリの後ろ部分に立った幼馴染みにあることは分かり切っていた。

「あ、ねえ見てみて、あれ北斗七星じゃない?」
「俺が見たら事故るぞ、と」

 日はだんだん伸びて来たとはいえ部活が終わる時間はどの季節でも真っ暗だ。今にも鳴り出しそうな腹を抱えいつもより重みのあるチャリを走らせる。後ろのナマエは呑気に空を見上げ「あれが、なんだっけ」なんて燃える星の命の名前を模索している。それは昨日数年振りに会話をしたとは思えないほど、ごく自然に紡がれていた。マネージャーの話を持ちかけた時だってそうだ。俺は勝手に離れた後めたさや拒絶の恐怖に苛まれていたというのに、ナマエは少し驚いただけだった。まぁすんなり受け入れられた提案に安堵したのも確かだったのだけれど、昨日から緊張が少し抜けない上にたかが肩にナマエの温もりを感じるというだけでやたら煩い心臓に翻弄されている俺は、なんとも拍子抜けし続けている。と同時に、意識してんのはこっちだけなのだと思ったらやるせなくも馬鹿らしくもなった。

「そういえばティファとクラウドも幼馴染みなんだって」

 女の話はあっちこっちに飛ぶ、と聞いたことがある。その時に浮かんだこいつも昔からそうだな、と思えば酷く納得した。現に今も、三秒前まで星の話をしていたと言うのに、唐突に関連性の微塵もない話題に切り替わってしまった。とはいえこいつといた時間を考えれば最早慣れっ子で、「知ってる」とだけ答えた。

「ティファがね、クラウドのこと好きらしくて、でも中学の時は勇気でなくてマネージャーもやってなかったんだって」

 可愛くない?と問い掛けられても答えに困り「そうだな」しか返せなかった。それに、話題の二人を脳裏に浮かべればその気持ちは分からなくもなくて、勝手な親近感すら湧いてしまった。あいつも苦労してんだな。

「いいよねえ、なんか羨ましくなっちゃった」
「……俺たちだって幼馴染みだろ、と」

 今顔を合わせる状況じゃなくてよかったと心底思った。でなきゃ、俺は随分不機嫌な顔をナマエに晒していただろうから。

「まぁそうだね。……って聞くの忘れてたけどレノ彼女とか好きな子とかいる?」

 なんでそうなったのか。残念ながら俺の思考では分かり得なかった。咄嗟に出てしまった「いねえぞ」に、ナマエは大袈裟にホッとしたように「よかった」と月夜の道に息を吐く。その答えにドキ、として、思わず後ろを振り返りそうになった。

「そんな人がいたらさ、きっと嫌だよね。私の存在ってさ」

 ……そっちかよ。け、と唾を吐きたくなる気持ちを堪えたはいいが、眉間には隠しきれないシワが寄せられていた。

「あんたはどうなんだよ」
「私?いるよ?」
「は!?」
「セフィロス先生にジェネシス先生でしょ?あ、リーブ先生も渋くて好き」

 顧問のアンジール先生も優しいよね、なんて次々と出てくる名前に、はぁ、と盛大な溜め息が出た。本当、心臓に悪いったらありゃしねえ。

「でもさ、レノに彼女が出来たらまたこうして帰ったり出来なくなっちゃうんだね」

 再びナマエが空を見上げたであろうことが、肩に触れてる手の感覚で分かった。

「それはちょっと、寂しいな」

 すぼんでいく声に少なからず惜しんでくれることを感じて胸の奥が甘い音を立てる。俺がそばにいなくとも友達を作りその前となんら変わりない生活を当たり前のように送っていると思っていたこいつが、今少しでもそう思ってくれてることがなによりも嬉しくて仕方なかった。

「例えどんなになったって、俺たちが幼馴染みなのは変わりゃしねえよだろ、と」
「レノ……」

 そんな予定も可能性だってない。そんな未来俺には到底想像が出来なかった。だってもう、離れる気なんてなかったから。そんな俺の言葉に、ナマエは「そうだね」と安堵を滲ませ、一つ笑った。