August / act...08





「やったね!」
「……ん、」

 初戦、そして二回戦と二日間に渡って行われた試合になんとか勝つことが出来た。昨年インハイに出れなかったことを考えれば下克上もいいとこだった。試合終了のブザーに挨拶を終え、パチン、と俺たちの掌が重なる。至極嬉しそうなナマエとは裏腹に、俺はその爛々とした瞳を見つめられずにいた。

「なーんかおかしくない?」
「なにがだよ」

 シャワーと着替えを終えあとの第二試合を観戦するため観客席に着いた俺に、隣のナマエは険しい顔付きで俺へと迫って来た。

「もしかして、」
「…」

 う、となりそうな口元を隠すために席に着くなりナマエに渡されたスポーツドリンクを口に含み、それを誤魔化す。うーん、と吟味する視線に居心地が悪いったりゃありゃしない。

「どっか体調悪、」
「後ろめたいことでもしたんじゃね?」
「うぐっ!? ごほ…っ…! は、てめえ……!」

 ナマエの言葉を遮り俺たちの隙間に後ろから顔を出したザックスを、噎せ返ったことによる生理的な涙を浮かべたまま睨みつけた。

「お、図星だなこれは」
「……ちげーぞ、と」

 チッ、と舌打ちを溢して二人の視線を一心に集めながらも知ったこっちゃねえと下に広がるコートを見つめれば、すでに選手が整列していて今にも試合が始まりそうだった。この勝者と、俺たちは明日戦うことになる。それを二人も察したのか、自分の背後にある背もたれに寄り掛かった気配にホッと胸を撫で下ろした。

「!」

 と思ったのも束の間。横から胸ぐらを無遠慮に引き寄せられ、額がゴツン、と鈍い音を発した。うげ、痛そ、なんて同情すら滲む声が聞こえるほど響いたその音の原因は、僅か三センチの距離で俺に鋭い視線を向けている。

(……くそ、)

 そう心で悪態吐く。うーん、熱はないか。なんて動くその唇を、頬を強引に掴んで奪ってしまいたい欲に身体が嫌でも疼いた。思い出すのは昨晩衝動的に触れてしまった俺への心配をにじませるその柔らかな部分の感触で、これまで耐えてきた理性も何もかもが今にも消し飛んでしまいそうだった。人知れず味わってしまった甘い甘い罪は一体いつになれば懺悔出来るのか、考えただけでも気が遠くなりそうだ。

「なんか変だったらちゃんと教えてよね」
「……了解だぞ、と」

 離れていったナマエに絶対赤くなってしまったであろうそこを摩り不服感をたっぷり出した返事をすれば、やっぱり後ろから他人事のように笑う声が聞こえた。











「おお、近くで見るとマジででかいな!」

 第三試合。この試合に勝てば俺たちは全国ベスト16の称号を手にすることが出来る。だが、挨拶を交わすため整列し目の前に立ち塞がった壁は、ザックスの言う通りマジでデカかった。これまでの試合にもアホみたいにでかいゴリラみたいな奴はいたが、今日の相手のセンターはもう完全ゴリラだ。昨日の観戦してた時から俺たちの話題の一人ではあったが、ポジションが被るルードも流石に生唾を飲み込むくらいには、やべえ。

「やる前から日和んなよ、と」
「武者震いってやつだ」
「そりゃ結構」

 ルードの言葉にハッと笑いちらりとベンチを見れば、試合前のハイタッチの時と同様に険しい顔をしたナマエがいた。前の試合は二校とも同格かうちが上回っているだろうことが試合前から伺えた。そんな中でも大きな点差は付けられず辛勝と言っていい。だが、

「…」

 俺たちのただ見つめ合う視線が絡む。試合前のハイタッチの時だってあいつは今俺をまっすぐ見る瞳のように不安を塗りたくっていた。あいつも分かってる。今回は完全に、うちの部が悪いことを。だけど、負けねえよ、そうその瞳に約束してコートに向かった。遅れて来た俺を鼓吹する声に突き上げた左手に、少しはマシになったかと思ったがそうもいかなかったらしい。

「勝つしかねえか、と」
「熱いな〜」

 もう試合が始まるってのにスクワットをしているザックスの言葉にデジャブを覚えた。あの時は確か「うるせえ」とはぐらかしたんだったか。まぁ、もうそんな必要ねえよな、と。

「かっこ悪いとこ見せらんねだろ。お互いな」

 俺の言葉にザックスは目を見開いてその視線を観客席へと向けた。きっとその空色の瞳にはナマエと仲のいい女が映っていることだろう。ったく、人のこと言えんのかよ。テンションが上がると身体をじっとさせていられないのは、こいつの出会った時にすでにあった癖だった。

「よし、勝とう!」

 パン、とザックスが自分の掌に拳を突き立て、景気の良い音を鳴らしてそう言った。おいおい、始まる前から爽やかな笑顔で喧嘩売る奴がいるかよ。案の定敵さんは是みよがしに顔を顰めてやがる。だけど、その一言で俺たちの空気は一変した。ルードもその口元に笑みを携え、クラウドも普段はぱちりとした目に闘志を燃やしている。さぁ、やってやろうじゃねえか。

 野太い挨拶を終えサークルを中心に散らばる。頼んだぞ、とジャンプボールを飛ぶルードに目配せすれば小さく頷く。その視線がボールの上げられる上空に向けられ、開始のブザーが、場内に響き渡った。












「…」

 第一クォーター、第二クォーターを終え十分のハーフタイムに口を開く奴はいなかった。あのポジティブの化身みたいなザックスですら滴る汗を拭もせずに肩で息をして水分補給をしている。スコアは46-54。その点差は8。追い付けない点数じゃない。だけど、正直食らい付くのがやっとだった。加えて折り返し地点でこの疲労度だ。満身創痍もいいとこだ。頭からタオルを被った俺に背後に立ったナマエだって言葉を掛けられずにいる。まともな作戦会議も出来はしなかった。もう技術どうこうの話じゃなことを、どいつもこいつも理解してしまっていたからだ。圧倒的火力の差。常勝高は僅かだろうが俺たちの何もかもを上回っていた。だけど、俺は立ち上がり初めの頃の闘志が消えたザックスを見下ろした。

「……なに、」

 珍しく不機嫌な視線が俺を睨む。なんだよ、まだそんな目出来んじゃねえか。

「ここで折れるタマじゃねえだろ、と」
「!」
「勝つって言ったのは嘘だったのかよ」

 らしくねえな、と笑う。ゆっくりと見開いた瞳が硬く、ぐっと閉ざされ、ザックスはパチン! と自らの両頬を叩いた。

「へっ、レノも、らしくないんじゃねーの」
「違いねえ」

 光の戻った瞳で見上げるこいつの差し出された手を掴み、引き上げる。ったく、重てえな。背中に大事なもんを、背負うってのはよ。

「レノ……」

 ハーフタイム終わりのブザーが鳴りコートに向かおうとする俺の背にか細い声が聞こえた。だから、掛けていたタオルを顔も見ずに投げ渡した。

「待ってろ、勝って来るから」
「……うん」

 その返事を聞いて、俺はみんなに合流した。まだ誰も死んじゃいない。負けちゃ、いねえんだよ。

 取りあえず時間はあるとはいえこれ以上の点差を広げられれば一気に俺たちの勝機は遠退いていく。第四クォーター残り五分が、勝負だと思った。それまでは、なんとか食らい付いていくしかない。

「?」

 ふとドリブルをする左手首に違和感を覚えた。といってもごく僅かなもんだ。次のインターバル、クォーターの合間にある二分間の休憩でナマエに一応テーピングでもしてもらうか。──そう、甘く見ていた。

「ッ、」

 だがその違和感は毎秒確かな痛みを伴い始めた。くそ、なんだってこんなタイミングなんだよ。……ナマエの方は見れなかった。きっと、どうせバレてるだろうから。ここで俺が下がれば、確実に負ける。自惚れでも過信でもない、紛れもない現実だ。だから引くわけにも、他の奴に悟られるわけにもいかない。そう、俺は痛む左手を強く、握った。

(あと、二分)

 ちらりと提示板を見てその残り時間を知る。点差は、5。上々だ。この点差のままこの第三クォーターを終えて、あとは、

「!」

 ザッ、と相手の動きが変わった。当初から決め込んでいたゾーンディフェンスが、この時間を待っていたと言わんばかりにマンツーマンへと切り替わる。相手は、ここで俺たちを潰すつもりだった。

「チッ……!」

 ファール寸前、いや審判からちょうど見えないくらいの間合いでぶつけられるガチガチのディフェンスを背に受け、舌打ちが漏れる。一瞬でも気を抜けば確実に取られる。だが、ドリブルをしながらパスコースを探そうにも皆同じような状況だった。敵の変化に適応出来ていない。──なら、

(行くしかねえだろ、と……!)

 左側にいたクラウドに視線を向け肩を入れたタイミングで背後の敵がそれに反応する。──いける。そのまま逆方向に半回転して相手を置き去りにして、駆け出した。

(ここだけは、落とせねえ……!)

 俺が抜け出したことにより他の奴らのマンツーマンが崩れ隙が出来る。反射的に二人が俺を止めようと突っ込んで来た。思うことは相手も同じというわけだ。システムを変えたのに流れが変えられないなんて失態を、相手も恐れている。だからこそ相手をギリギリまで引き付けシュート体勢に入りその場で跳べば、前の二人が駆けて来た勢いそのままに腕を高く、俺に覆いかぶさるように上げた。

「へ、バカかよ」

 俺はポイントガードだぞ、と。俺の背後から敵の守備を切り抜けフラッシュしたクラウドの閃光が駆ける。真横に出したパスのその一瞬、可愛げのない後輩と、目が合った。

(任せろ、か)

 その送られて来た言葉に口角が上がる。縺れるようにコートに倒れ込む中で、ボールがネットを通過する乾いた音と、俺の名を呼ぶナマエの悲鳴じみた声が、聞こえた。