「なにしてるんですかあなたは」
「君こそ分かっているのか? 人の脳には容量があり限界がある。君の死期を見た時に私の記憶が消えたということは私のキャパは既にオーバーだ。誰かと目が合った時点で私の記憶は消えて行く他ない。そして全てが消えた瞬間私は死ぬ。のだろう」
「そこも曖昧なんですね」
「まぁな。私の場合死ぬという予感だけだ」
「ならやはり家にいた方が良かったのでは」
「バカ言え。君という盲導犬がいるんだ。外に出ない手はないだろう」
「もう少し他に例えはなかったんですか」

 的確だろう、と褒めてもいないのにドヤ顔をする彼女が容易く目に浮かんだ。行き交う人は二度見どころかじっと私を訝しげに見ては、並んで歩く者とこそこそ話すか、携帯をすぐさま弄り始める。きっと数時間後にはSNSで二人羽織をしながら歩く奇特な人間がいると大騒ぎになることだろう。

「ではなく、フードを被り横を歩けば問題ないでしょう」
「私は堅実なんだ」
「ビビってるんですね。分かりました」
「おい! そんな訳あるか!」

 ゴツ、と私のトレンチコートの中に入り込んだ彼女が背中を叩く。まぁあの家でたった一人、十数年間生きてきたのならば無理もないのかも知れない。が、敵に位置の把握を少しでもさせないために、なんて口実を引っ掛け外に出たいと言ったのは彼女だ。確かに、と少し思ったが故に了承、いや断っても恐らく彼女は強行したのだろうが、そんなわけで街を歩いているのだがこれでは歩きづらいことこの上ない。

「!」
「これなら下を向いてても歩けるでしょう」

 彼女の腕を引き、コートから引き摺り出してその手を自分の腕に絡めた。ローブをぐっと下方に押し込めば、私の目線からは彼女の口元さえ見えはしなかった。

「で、どこに行きたいんです」


 ◇


「おい七海建人! 見てみろこれ! 魔導書にこんな宝石出てくるぞ!」
「それがワンコインで買えるのなら世の中は魔術師と魔女で溢れかえっているでしょうね」
「なんだこれ……こんなに光っているなら三億くらいか?」
「イチキュッパですね」
「なんだと!?」

 大型ショッピングモール。アクセサリーショップの店内は見事に女性で溢れ返っている。ローブを目深く被り大はしゃぎをする彼女と、場違いな大男に周りは興味津々だ。まぁ、気にはしないが、目の前にあるライトアップされ光を反射する硝子のように瞳を輝かせているであろう彼女は、そんな周囲の目なんてものは気づいてすらいないだろう。

「良かったら試着してみてくださいね」
「!」

 食い入るように眺めていた彼女に、店員の女性がそう声を掛けた途端、彼女はその身体のどこにあるのか分からない強力なバネを使い、私の腕に飛びついて顔を埋めた。彼女の行動にキョトン、とし目を瞬かせた店員は、それが自然かのように私に視線を向ける。

「すみません、彼女は極度の恥ずかしがり屋なんです」
「ああ、そうなんですね」
「おい! 私は別に恥ずかしがってない!」
「あと虚言癖があります」

 仕事用ではないラウンド型のサングラスを押し上げ、適当に場をやり過ごそうとしたが彼女は不服らしい。顔が見えないので、その行動で示そうと躍起になって地団駄を踏んでいた。

「っくそ! 帰ったら最高に恐ろしいホラー映画を見せてやる!」
「またあなたによじ登られるのは勘弁して欲しいんですけどね」
「仲良いんですね。お付き合いは長いんですか」
「は? まぁ一週間くらいか」

 そういう意味ではないと思う、とは言わなかった。だがそうとは知らない彼女は「一番楽しい時ですね」なんて店員の言葉に「そうなのか?」と真顔で返している。まぁ、顔は見えてはいないのだが。

「それで、欲しいものは見つかったんですか」
「全部欲しい」
「バカですかあなたは」
「ソロモンにも引けを取らない知識を持つ私の辞書にそんな言葉はないぞ七海バカ建人」
「勝手にミドルネームを作らないでください」

 全く、と溜め息を吐いたところで彼女が一点を見つめていることに気付いた。頭の位置、ローブからの僅かな視界から見えるとしたら、あれか。

「意外とシンプルな物が好きなんですね」
「君はラプラスの悪魔か?」
「大袈裟すぎませんか」
「私の思考を読んだんだ。それくらいでなきゃ説明つかないだろう」

 彼女の定義でいえば世界には魔術師や魔女だけでなく、超越的存在までもが溢れかえる事になる。彼女は確かに知識はあるが、自分のことに関していえば無知に近いのだろう。だって己を知るにはきっと、自分ではない誰かの存在が不可欠なのだから。

「似合うんじゃないですか」
「ローブをかぶってるんだから分からないだろう」
「分かりますよ。毎日あなたの顔を見てるんですから」

 そう言えば、彼女の動きが僅かに止まった。「どうかしましたか」と小首を傾げれば、彼女はその商品を手に取り私の腕を掴んだ。どうやら買うらしい。
 視界の狭い彼女をレジまで誘導し、ローブの中でゴソゴソとやっている間に自分の財布からお金を取り出しトレーの上に置いた。

「おい、このくらい自分で買える」
「出しづらそうだったので。それに、立場的にこうした方がいいかと」

 まぁそれは周囲の勘違いではあるのだけれど。それを理解していない彼女は「は?」と間抜けな声を出したが構わず会計を済ませた。

「帰ったら返すからな」
「結構です。世間一般の友人だって贈り物くらいしますよ」
「そうなのか?」

 多分。とは心の中だけで呟いて、小さな違和感に気付く。途端に張り巡らせていた神経を集約させ、あとは何があるんだと問う彼女に「すみません、他の買い物はあとで」と手を引いてなるべく自然に見えるよう店から出た。初動で驚きはせど彼女も察したのか、「どこの不届き者だ」と文句を垂れながらもしっかりと私の腕を掴み歩いている。

「どこに行く気だ?」
「出来るだけ人のいない場所へ。巻き込まれて人質に取られても厄介です」
「懸命だな」

 建物の外へ出て、芝生の広がる道を突っ切った先の奥まった場所。人気が消えたところで私たちは足を止めた。同時に、背後に忍び寄っていた足音も連なるように鳴り止む。

「少し離れますが、」
「ああ、問題ない」

 見下ろした彼女にそう言えば、やたらとあっさり私の腕から彼女は手を離した。外に出た時や店での彼女を思えば、また「離れたら殺す」くらい言われると思っていた私は、少し拍子抜けしてパチリと目を瞬かせる。が、どういった心境の変化なのか、彼女の表情が見えない私に、知る術はない。

「私はここから一歩も動かない。なにも見えない。それを考慮しろ」
「随分信用されたものですね。私が負けることは考えないんですか」
「なんだ、偉そうだと言わないのか?」
「それはもう慣れてしまったので」
「君が、負けるのか? あれに」
「…」

 ふっ、と肩を揺らし腕を組む彼女に、一歩、呪詛師へと向かった。

「あり得ませんね」
「だろうな」

 そのはっきりとした声は、私の背中を強く押した気がした。外套の裾がビル風に吹かれ大きく靡き、宙に靡いては風の強さを知らしめている。

「君が私の元へ来てくれて良かったよ」
「……何か言いました?」
「いや」

 吹き止まないそれに揺れ、ローブが僅かに舞い上がる。振り返りそこから見えた口元は、柔らかな三日月を描いていた。

「さっさと仕事しろ、七海建人」
「すぐ終わらせます」

 見据えた先に、暗闇はなかった。あるのはただ、この季節のように朗らかに輝く、確かな光だった。





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