『うん、じゃあ引き続きよろしく』
「待ってください五条さん。彼女の言っていることは本当なんですか」
『さぁね。だけど彼女の家系がそういった予言めいた力を持っていたことは確かだよ。だが彼女に限っていえばそれだけじゃない。だから今回のも漠然としてるんだろう。完璧を併せ持つなんて元来有り得ないことだ。まぁ僕を除いてだけど』
「彼女にはそれ以外にも力があると?」
『突然変異、あるいは呪いか。だからこそ彼女はひとりぼっちだ』
「それは」
『目がいいんだよ。可哀想なくらいにね』



 買い物に行きがてら、いつの間にか東京に戻り、電波の復旧していた携帯を耳に当て聞こえた声にこめかみの奥の方がちくりと痛んだ時の会話が蘇った。──そういうことか。理解はすれどやはり俄かには信じがたい予言だ。

「驚かないんだな。君が慌てふためき狼狽えるのを期待したんだが」
「だからさっきから携帯を掲げてるんですか。おかしいと思いました」
「貴重な瞬間は残しておくべきだろう」

 彼女の覗き込んだ画面には、さぞかし不機嫌な顔をした私が映っていることだろう。どうやら彼女の中でサプライズと死刑宣告はさして変わらないらしい。手を伸ばし向けられたカメラを降ろさせれば、彼女は素直に携帯をテーブルの上に置いた。

「驚いてないわけではありませんよ。ただ、呪術師なんてものをしていて人生を全う出来るとは思っていないもので」
「冷静だな。面白みには欠けるが現実的で合理的だ。面白みには欠けるが」
「二回言いましたね」

 表情には出さずとも至極期待外れだと言わんばかりの彼女は、再びカップに口を付けるため僅かにその唇を開く。が、そこがすでに温くなった紅茶を含むことはなかった。

「……信じるんだな」

 カチャン、とソーサーとカップが擦れ合い、甲高い音を発した。落とした視線はやはり彼女の大きな瞳の全てを私に見せてはくれない。だけど、彼女の欠片を、垣間見ているような気がした。

「信じるも何も、あなたが言ったんでしょう」

 私が死ぬと、そう言えば彼女は肩を揺らし「そうだな」と呟く。その口の端からは、自嘲が漏れた。

「君は変な男だな」
「あなたは変な女ですよ」
「失礼な男でもある」
「あなたも」

 私がオウム返しのようにそう言えば、彼女は子供のように頬を膨らませ、そして、ふっと笑った。それに釣られるように上がった口角に、彼女が「あ」と言い携帯を向けようとするから、自分の分と彼女の分の食器を手に取り立ち上がった。彼女は被写体の移動につまらなそうな表情を浮かべたが、肘を付き私を見上げる表情は、どこか柔らかかった。

「君も笑うんだな」
「あなたも、しおらしい顔ができるんですね」
「そんなもんした覚えはない」
「そうですか。ならそういうことにしておきます」

 誤魔化すようにそう言って、ほとんど使われていないキッチンに立ち食器を洗い始める。その背後から、私の手元を覗き込むように彼女が顔を出した。

「君は帰らないのか?」
「護衛をしろと言ったのもあなたですよ」
「……そうだったな。なら、始めようか」
「なにをです? もう十時回ってますよ」

 ふふん、とふんぞり返った彼女はやはり偉そうだ。だが不思議と、出会ってすぐに抱いた頭の痛みを感じることはなかった。

「映画鑑賞会、だ? なんだ? こんな時間に」
「あなたは部屋の奥へ」

 コンコン、とドアをノックする音に緊張が走る。正確に言えば、私にだけ。彼女は部屋を片したばかりだの請求先を聞いておけだの、今日呪詛師に踏み付けられていた時と言い危機感という概念すらないようだった。

いや、

 彼女は単に知っているんだ。自分が、殺されるのではないことを。だから血を流し与えられたことのないような痛みを感じても取り乱したりはしない。彼女もまた、私の知りうるイカれた人間の一人に過ぎないらしい。


 ◇


「一度してみたかったんだ」

 律儀に玄関から押し掛けてきた呪詛師は、既に高専へと送った。一日に二度も襲いに来るあたり、敵からは彼女の口を早々に封じたいという気概が伺える。というのに、護衛をしろと言った本人はポテトチップスを抱えてソファーにどかりと座りリモコンの再生ボタンを押した。

「一度くらいあるでしょう」

 シャワーを借り、呪詛師を引き渡すついでに来ていた伊地知くんに自宅の鍵を渡して、服と必要最低限の物を持って来てもらった。さすがに女性モノの服は入らないし、買いに行くにもこう頻繁に襲われては買い出しも出来やしない。広告映像をBGMに、肩に掛けたタオルで濡れた頭をガシガシと乾かしながら、声を弾ませ言った彼女の言葉になんとなしに返し彼女の横へ座った。だが、

「いや、ない」
「は? 確かにあなたは変わり者ですが」
「おいおい私は至って普通だろうが。でも本当。人の死期が視えるし、その情報は私の脳を圧迫する。君の死期が視えた時に二年分の記憶がスっとんだよ」
「……なるほど。それが人に会えない理由ですか」

 まぁね、とポテトチップスを齧り、まるで笑い話のようにさらりと恐ろしいことを口走る彼女に、思わず眉間にシワが寄った。失言だったな、と思ったが、まだ私が使っているタオルで油まみれの指を無遠慮に拭く彼女に、別の意味でシワが更に深くなる。

「そう、物心ついた頃にはもうこの家に一人だった。だから私には映画鑑賞会を共にしてくれる友人はいないんだ」
「欲しいんですか」
「は?」

 彼女に対しこちら側が勝手に同情するのは憚られた。術師であれどこういった境遇のものは少なからずいるし、なにより彼女自身が悲観していない。自分の死さえも。だからこそ私も、実感なんてものはなくとも冷静に彼女の言葉を聞けたのかもしれないと思った。

「なってあげましょうか」
「うわ、偉そうだ」
「あなたほどじゃないです」

 だけどもしかしたら、だからこそ彼女は不必要に結界を解き、彼女のいう表舞台へとわざわざ出て来たのかもしれない。自分の身を、危険に晒してまで。自分の終わりを知り、もしこれが彼女のたった一つ望んだものだったとしたならば、私は──

「私では不満かも知れませんが」
「確かにな」
「……」
「いやすまん。君が予想外のことを言うからつい本音がな」
「何一つフォローになってませんが」

 即答する彼女にこれみよがしに顰めっ面を晒しても、彼女はその方向性を変えようとしない辺りさすがとしか言いようがない。

「君がいいなら、お願いしようか。友達って奴を」
「ええ、構いませんよ。お互いもうすぐ死ぬ身ですしね」
「余命仲間?」
「そんなとこです」

 私の本気とも冗談とも取れない言葉に、彼女は「そりゃあいい」と可笑しそうに笑った。きっと、どちらかだけなら笑えない冗談だ。だけど、私たちは彼女の計り知れない予言のおかげで、友人というものを得た。

「ならハグとキスでもしようか! 七海建人!」
「しませんよ。ここは日本なので」

 両手を広げ、ウエルカム! と叫ぶ彼女に、片手でビールのプルタブを引きながらそう言えば、「本当つまらない男だな君は」なんて不満が横から聞こえた。




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