「おお、湯気立ってる」

 四角いダイニングテーブル、真新しくも、使われたのは遠い遠い過去みたいに薄汚れていた洗いたての白い皿へと盛り付けられたパスタに、磨いた銀色のフォークを握り締めた彼女はそう感嘆の意を零した。
「手作りなんていつ振りかなぁ」なんて熱々のそれを巻きつけ始めた彼女は、小さく「いただきます」と呟き、大きな口を開け、パクリ。そこで私は、彼女の瞳が半分ほどしか開いていなかったことを知った。ゆっくりと大きく見開かれたそこは、キラキラと大袈裟に輝きをひけらかしている。

「すごいね七海建人! 君は天才か!?」
「喜んでいただけて何よりです」

 その笑みはまるで年端もいかない少女のようで、それに加えこめかみに当てられた大きなガーゼが、初見に感じた彼女の印象をガラリと変えていた。


 ◇


「腹が減ったな。出前頼むが君は何が食べたい?」
「こんな辺鄙な場所に出前が来るんですか」
「何を言ってるんだ七海建人。ここは大都会東京だぞ? 出前どころか伝書鳩も来るし、羽休めに堕天使も来る」
「そちらこそ何言ってるんです。私がここに来るまでどれほどの時間をかけて」

 電波すら入らないはずのこの場所で、携帯を慣れた手付きで操作し始めた彼女の言葉の信憑性を図る事はやはり出来ない。山を歩く中確認した携帯の電波は圏外で、とんでもない所に来てしまった、と拭った汗をジャケットに染み込ませながら思った記憶はまだまだ真新しいものだ。だが彼女は私の言葉の途中で顎をしゃくり上げる。その先に玄関がある辺り、確認でもしてみろという意味なんだろう。

「──嘘、でしょう」

 重たい内開きの扉を引けば、その景色は一変していた。入るときには枯れかけた葉の揺れる山、山、山。それしかなかったはずだ。だというのに、玄関と先程はなかった門との間にあるアプローチを覚束ない足取りで歩けば、その先を何食わぬ顔で車が通る。

「何が起こってるんだ」

 信じがたい目の前の光景に瞳孔が揺れた。私は、自分の知識では到底理解出来ない事象の説明を求めるように家の中に戻り、視線だけで説明の続きを促す。

「単純な結界だよ。私たちはこうして自分たちの身を守って来た」

 で、と彼女は続けた。

「君は何が食べたい?」


 ◇


 買い物かごを腕にかけ、彼女の要望である料理を作るべく材料を頭の中で描きながら商品を次々と手に取っていく。彼女の食事は三食全て出前らしい。

「私、人に会えないからね」

 自炊くらいしたらどうですと言った私に向けられた声は、あっけらかんとしていた。なら今ここに私がいることはなんだというのか。だが、その言葉の真意を測れなかった私は、気付けばこんな役を買って出てしまっていた。が、我ながら任務外もいい所だと溜め息が出てしまう。大体あんな結界があるなら護衛なんて必要がないだろうに。そう、思っていた。



「ああ……おかえり七海建人」
「!」

 玄関を押し込み見えた光景に、手に持っていた買い物袋が床に落下して中身が溢れた。必要最低限しかなかった家具は見事にひっくり返り、ソファーに座っていた彼女は顔半分を血で濡らしながら床に這いつくばっている。見知らぬ男の、足元で。

「もう帰って来ちまったのか。まぁいい、あんたのおかげでこいつの居場所が分かったしな」
「なに」
「ハッ、馬鹿を言うな。私は敢えて表舞台に出て来てやったんだ」

 勘違いするなと笑う彼女と、呪詛師であろう男の言葉に私だけが置いてけぼりだ。

「まぁそんなことはどうでもいい。踏み付けられて喜ぶ趣味はない。早く仕事をしろ七海建人」
「……あとできちんと説明していただきますからね」
「あまり部屋を汚すなよ」
「善処します」


 ◇


「で、一から説明して頂けますか」
「抽象的だな。私は別に君に隠し事をしたつもりはないが」
「言葉が足りな過ぎるんです。結界があるんじゃなかったんですか」
「そんなもの、もう君を招いた時点で効果は切れてる」

 最後の一口を咀嚼し、喉を鳴らした彼女はご丁寧に顔の前で両手を重ね、「ごちそうさま」と呟く。ソーサーに乗ったカップに指を引っ掛け紅茶を流し込む彼女を、私はじっと見つめその先の言葉を促した。それに気付きちらりと視線をこちらに向けた彼女は、琥珀色のそこに溜め息を落としては気怠げに話しを始めた。

「君が最初に訪れた家は目眩しだ。たった一回きりのな。予知夢なんて悪党からしたら自分たちの預かり知らぬところで計画がバレてるんだ。真っ先に殺しの対象になる。だから私たちは存在を認知されている御三家も知らぬ場所で生きて来た」
「…」
「だがこうして人を招き入れた時点でその結界は効力を失くし、私の所在地が悪党どもにバレてしまった。さっきの奴らは高専側に情報を流されたくはない者の差し金。つまり、これから起こる渋谷の件に関わってる」

 とはいえあれが首謀者を知っているとは思えないがな。そう、視線を流した瞳は、先ほどまで呪詛師が伸びていた床を見つめていた。瞬く間に私に倒された男は、聴取のため高専に運ばれた。が、彼女の言う通り何か情報を得られる可能性は限りなく低いだろう。ああ言った類いの呪詛師の行動原理は大抵が金だ。人の命も、日本の終わりも、ハナから頭にはない。

「もう少し詳細なものが視えればいいんだがな。私はただ情報を与えられるだけなんだ」
「ですが、ならこれまでのように手紙だけで済ませればよかったのでは? 身の危険を晒してまで高専の人間をよこした訳はなんです」

 私に視線を戻した瞳は、迷いなどなかった。憂いも悲観もなく、先ほどまでと変わらぬ声音は、逆に私へ彼女と言う存在の根底にあるイカれ具合を知らしめる。

「死ぬからだよ」
「……なんですって?」
「死ぬんだ。私は。その未来が視えた。そして君もな、七海建人」

 静寂の中絡み合う視線に、ゆっくりと私の瞳が瞠目していく。彼女の瞳は、それでも尚変わることはなかった。

「君も、もう時期死ぬよ」




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