垂れた蔓草が風に乗って頬をかすり、鬱陶しさを滲ませた手の甲で払う。
 都心部から離れ新幹線とバスを乗り継いだ先、野道の真横に轢かれた線路を走っている路面電車は猪がぶつかり、一時間止まった。木造の無人駅を降り、二時間待ったタクシー乗り場で捕まえた運転手の訛りきって聞き取れない観光案内を延々と聞き、降りた先からさらに二時間半。ようやく辿り着いた目的地にて、余りにも景色に馴染まない北欧風の玄関を前に、思わず顔を顰めてしまった。
 だがいくら森に囲まれ人気のない如何にも怪しげな家だったとしても、仕事でここにきた以上いつまでも踵を返したい衝動に立ち止まっているわけにはいかない。歩いている途中に緩めたネクタイを締め直し、重たい気を溜め息で肺の底から吐き出してから玄関をノックした。

「……」

 三度、呼び鈴のようなものはなかったから、パステルカラーに塗られたそこを叩いたが中からの反応はない。可愛らしい見た目よりも分厚い感触が、もたげた骨頭部分に伝わった。だけどそれだけだ。高専に不可解な手紙を差し出した人物は、出て来やしない。



「──なんですこれ」
 一昨日五条さんに呼び出され渡された一通の手紙。中身を確認すれば奇怪な言葉が並んでいて、これを差し出した張本人に説明を促した。
「まぁ、ちょっと詳しく話聞いて来てよ」
「……何故私か伺っても?」
「そんなの決まってるだろ」



 思い出した最悪な上司の言葉に頭が痛んだ。仕方なくすぐ横にあった窓を覗き込んだが、部屋に明かりはない。まさかこんな所まで来て留守か? もちろん周辺に宿泊施設はないし、それどころか民家すらないのが現状だ。窓をドアと同じように三度叩き、「すみません」と声を発する。が、やはり、返事はなかった。

どうするか

 玄関前に戻りダメ元でその取っ手を引く。それは当然の如く私に道を開きはしない。はぁ、と再び溜め息を零し立ち尽くして、そこから力なく手がずり落ちた。

「内開き」

 中から聞こえた簡素な声は、私と歳の変わらなそうな女性のものだった。「入れ」そう続け様に聞こえた言葉に揺らした肩を下ろし、躊躇いながらもその戸を押す。滑りの悪いその扉は、やはり重かった。

 先ほど聞こえた声はそれほど遠くから発せられたようには思えなかったが、踏み入れた部屋の中に人影はみえない。というか気配すらなかった。整頓されたそこは仄暗く、外観と同じようにどこか日本離れしている。現に靴を脱ぐ場所はなかったし、家主のモノも見受けられないことから私はそのまま部屋の中へと慎重に足を進めた。

「どう見ても日本の建物の造りじゃないだろう」
「!」
「まともな奴を寄越せって言ったのに、高専はことの重大さが分かっていないらしいな」

 声のした方を勢いよく向けば、一人掛けのソファーに気怠げに座り肘を付いた女性が、全くとぶつくさ呟いた。──いつから。ほんの数秒前まで全くといってなかった気配に反射的に身体が強張り、息を止める。

「私が高専関係者だと何故……いえ、それより手紙以外で誰かと話をしたんですか」
「いや、してないが?」

 ……会話の難航。この事象には酷く覚えがあった。そしてこの襲い来る頭痛も。だがそれ故に対処も心得ていた。無視、だ。この手の相手の言葉を一つ一つ間に受け、考えていてはこちらの精神が粗いヤスリでゴリゴリ削られていくだけなのだから。
 頭を切り替え、懐から五条さんに手渡された手紙を取り出し本題に入ろうとした。長居は無用。現に、移動に時間が掛かってしまい就業時間は残り僅かだ。こんな胡散くさい仕事は、さっさと終わらせて退散するに限る。

「早速ですがこの手紙の件についてお話しが」
「君は見た目は堅物だがそうじゃないらしいな。ゴリラでもまず挨拶するぞ」
「……失礼。高専から派遣された七海建人です」
「チッ、御三家でもないのか」

 呪術界を支える御三家。五条、禪院、加茂。この三つの家系からなる家の者は高専への入学をせずとも呪術師として認められる者たちだ。過去の偉業、相伝される術式、それらからも彼らの声の大きさは私とは雲泥の差がある。

「呪術界にお詳しいようですが、あなたは?」
「なんだ。それすら聞いてないのか」
「手紙に書いてあったことが私の知っている全てです。そして、あなたの話を聞いて来いと」
「あーはいはい分かった。初めてのお使いの気分はどうだ?」

 私に興味を微塵も示さず、人の親切をなどとボヤきながら手を払う仕草は帰れとでも言いたげだ。つまり、彼女からしたら私は役不足もいいとこなのだろう。

『面倒くさそうだからねぇ!』

 五条さんの最後の言葉が脳裏を過ぎる。やはり押し付けられたこのクソみたいな任務は断るべきだった。頭を抱えたいのはこっちの方だ。だが、何時間もかけこの場所に辿り着いた経緯もさる事ながら、目的を遂行せずに帰るには、仕事の内容が内容だった。

「日本が終わるとはどういうことですか」

 構わず本題へと入れば、彼女はようやく私へと視線を向け、そして顔を顰めた。余程私が立ち去らないことがお気に召さなかったらしい。明かりもつけない部屋の窓際。差し込んだ光が、僅かに彼女の瞳を揺らめかせた、気がした。

「……そのままだ。近い内渋谷を中心に大きな戦いが起こる。それは容易く日本全土を覆うだろう」
「それはどこから得た情報です」
「決まってるだろう。ここ、だ」

 彼女はそう言って自分の頭を人差し指の先でコンコン、と二回叩く。彼女の頭の中、ということだろうか。理解の追いつかない私を察したのか、彼女はこれみよがしに溜め息を吐き、その勢いのままに背もたれに背を預けた。

「予知夢だ」
「……それは、そう言った術式ということですか」
「君は世界に術師と非術師しかいないと思っているのか? 私みたいな超能力者も魔術師も、天使も悪魔もいる。もちろん神もね」

 まぁ会ったことはないけど、なんてサイドテーブルに置いてあったカップを徐ろに取り口を付ける彼女の言葉は、どこまでが真実なのか分かりはしない。馬鹿げた空想、こんな場所に一人で住み頭のおかしくなった彼女の妄想ということもあり得る。
 術師というイレギュラーな生活をしているが、彼女の口走るそれは漫画やアニメ、オカルトに精通した海外ドラマの話のように聞こえてしまう。

「大きな災い、終わりへの扉が開かれそうな時にたまに見る。そういう家系だ。御三家やその他の家系と同じようにな。ただ表に出ず日が当たらないだけ。一般家庭の出である君が知らないのも無理はない」
「あなたの話が本当だったとして、それはいつ、誰の手によって起こるんですか」
「残念。まだそこまで見えていない」

 ついに私の口からも溜め息が出てしまった。だが彼女にはそんなもの構わなかったらしい。「君、階級は」と問われ「一級」だと返せば、失礼な彼女は「及第点、いや、最低ラインだな」とひとりごちる。嫌な予感が、背筋を伝った。

「七海建人。君に私の護衛を命じる」
「…………は?」

 びし、と向けられた指に思わずそんな素っ頓狂な声が出た。だが口角を最大限に上げた笑みは、ここに来る前に見た男のものと一致していて、迎え来る波乱に私は天を仰いだ。




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