春の陽だまりを包み込んでるようだった。柔らかな感触に俺と同じシャンプーの匂いに交じるこいつの香りを探るように、鼻先を押し込めていく。
 ぎゅっと背後から抱き締めそのうなじに口付ければ、腕の中の女はくすくすと笑い身を捩らさせた。

「レノ、くすぐったい」

 だけど腹に回した手に力を込めその身体を更に引き寄せ口付けを繰り返す。肌触りのいい髪が、俺の頬を撫でていた。

「もう、やめてってば」
「なんだよ、今度はこっちか、と」

 くるりと身体を反転させ向かい合わせになったこいつに、そう言って今度は唇にキスを落としていく。小さく声を漏らしながらも、その柔らかな手が俺の頬に添えられた暖かさにゆっくりと目を閉じた。

「……もう起きなきゃ」
「あと少し」

 俺の腕からすり抜けていこうとするこいつの腕を取り、再びその吐息を奪う。朝から何度も、何度も。飽きることなくそれは続く。甘ったるい艶の中に切なさをひた隠しにして、まるでこれが最期かのように、何度も。

「レノ、」
「ん、」

 ふと僅かに離した唇が俺の名を呼ぶ。心地いい音だ。俺はこいつの俺を呼ぶ声が好きだった。障害もなく真っ直ぐ俺の胸に響くその声が。

「……やっぱなんでもない」
「そうかよ」

 無理やり作った笑顔に気付かない振りをしてキスをする。こいつも何も言わずにそれを受け入れた。俺たちはただ逃げてるだけだ、この行為に。もう出会ってから、ずっと。

「またこっち帰って来るの遅いのか」
「うん、多分ね。どのくらいの期間になるかは分からないの。私、下っ端だし」
「へえ、」

 ベッドに座りカーテンを開けに行ったそいつを見つめる。窓を開ければ朝の澄んだ空気がそいつの髪を撫で、遅れて俺の髪を撫でた。
 こいつの髪も好きだ。横顔も、手のひらも、指も、その…いまにも泣きそうな、瞳も。

 どちらともなく始まった関係。俺らは多分、互いに心底惚れてる。だけど、それを伝えられない。伝えたら終わってしまう。きっと、全てが。

 いっそ全て捨ててこいつを抱けたのなら、どんなに幸福か。外をじっと見つめる女を見ながら、そんな叶わない事を思った。

「にしたって、こんな早く出てく事ないだろ、と」

 時刻は朝の五時。日だって昇り始めたばっかりだ。玄関で靴を履くこいつにそう言えば、立ち上がり小さく「ごめんね」と言って眉を下げ笑う。別に、謝罪が欲しいわけじゃないというのに。

「じゃあね、!」

 そのまま背を向けるそいつの腕を取れば、驚いた瞳が振り返る。ああ、こんな顔もするんだな、とも思ったが、それは口には出さなかった。ずっと、ずっと気になっていた事があったから。

「あんた、絶対またねとかって言わないな」
「……いつ来れるか分からないし」
「理由はそれだけか、と」
「レノ……」

 分かってる。困らせたいわけじゃない。だけど、どうしても約束が欲しいと思ってしまう。じゃなきゃもうこいつは、二度と俺の前に現れないんじゃないかという恐怖に苛まれてしまう。潰されてしまう、なにより自分自身に。

「……悪い、」
「ううん、じゃあ」
「ああ」

 俺たちはなんて、言える言葉が少ないんだろう。ゆっくりと離した手から温もりが瞬間的に消えていく。まるで、こいつのように。この時間が一番嫌いだ。果ての無い孤独を今度は何日味わうのだろうと思う、この時間が。
 結局もらえなかった"約束"にただ呆然とあいつが消えていった扉を見ていた。俺たちはいつまで、こんな事を続けるんだろう。俺たちはいつまで、こんな事を続けられるんだろうか。





 あの日から、どれくらいの時が経ったか。ベッドに横たわりインターホンが鳴るのを待つ日々が続く。連絡先も分からない。名前だって本名じゃないだろうと初めて聞いた時に思って以来、一度だって呼べやしなかった。
 あと何日、あと何ヶ月、分からない。もう一生あいつは俺の元へ来ないのかもしれない。その方がいいのかもな。本来、俺たちにとっては。

「!」

 そう現実を遮るように視界を腕で覆ってた俺に待ち望んだ音が聞こえた。飛び起きるように一直線に玄関へ向かい、誰かも確認せずにその扉を開けた。

「……来ちゃった」

 そう、罪悪感にまみれた顔で、そいつは夜の闇に立っていた。

「レノ、!」

 何も言わずに部屋に引き込み、そのまま口付けをした。啄むように、その唇の感触を確かめるように、何度も。
 頭を押し付けキスをしたままそいつを抱えベッドへと向かう。なにも言えないなら、俺たちはこうするしかない。これしか、想いを叫べないんだ。

 ただがむしゃらに互いを求める夜。ほんの束の間の快楽。溺れていた。ただ、互いに。

「はぁ……っ」
「レ、ノ……っ」
「っ、」

 汗が滴る。そうだ。これは俺の身体から落ちたモノだ。夜なんて概念を無視して身体を重ね続ける熱からきたものだ。こいつの瞳から零れたものじゃない。間違っても、俺の目から出たものじゃない。

「ん…っ、」

 こいつの至る所に噛み付いた。そこが鬱血し暗赤色に染まる。快楽と痛みに女の顔が歪む。だけど俺は突き上げるのも噛み付くのもやめはしなかった。そいつも止めもしない、やめろとも言わない。俺たちは多分、狂ってるんだ。狂って、しまったんだ。もう、戻れないほどに。




「で、この先がそうかよ、と」

 警棒片手に肩を二度ほど叩き隣の相棒に確認する。

「ああ、敵の拠点だ」
「皆殺し、と。まぁ、野蛮なこったな」

 くく、と喉の奥で笑って足を進めた。
 全く嫌になる。汚れ仕事はいっつも俺たちだ。日の目も当たらない総務部調査課──通称タークス。ここで積み重ねたものは多い。幸も、不幸も。罪も、罰も。

「ま、今更か」
「何か言ったか?」
「いんや、さっさと終わらせて帰ろーぜ、と」

 規模はそんなに多くはない。俺と、こいつと、後ろにずらっと並んだ兵士が入り口に集結し、一度ルードに目配せをしてその扉を開けた。

「邪魔するぞ、と」

 俺がそう言い無遠慮に足を踏み入れれば、中にいたやつらが騒ぎ出す。俺たちが何者かは言わなくても分かるらしい。まぁ、後ろの兵士を見れば誰だって神羅の回し者だと言うことに気付くだろう。
 そして理解するだろう。こいつらが反神羅組織なら、俺たちがこいつらを殺しに来たことを。

「お仕事だぞ、と」
「やるか」

 銃を撃ちまくる敵を一人、また一人と殺していく。もう罪の意識なんて感じないほど、呆気なく、当たり前に。

「レノ……?」
「!」

 床に叩きつけた警棒に目をやっていた俺に聞き間違えるはずもない声が聞こえた。ハッと顔を上げ声のした方を見れば、俺が一人待ち続ける女が、そこにはいた。

「あそこに女がいるぞ!」
「追え!」
「おい!!待てお前ら!」

 俺がその存在に呆然としてる内に兵士がアイツに気付き建物の奥へと逃げたあいつを追った。

「くそ!!ルード!ここ頼む!」

 そのままルードの返事も聞かずに追い掛けた。

 手に汗が滲む。足が焦りにもつれて絡まりそうだった。やめろ、殺すな。そいつは……俺の、

「おい!!!撃つな!!」
「!」

 ゼーゼーと呼吸がうるさい。建物の最奥、その角でそいつは兵士に囲まれ銃を向けられていた。

「レノさん!しかし命令では、」
「いいからルードんとこ行け。ここは、俺がやる」

 そう睨み付ければ、兵士は尻込みするように踵を返した。その足音がどんどん小さくなり、やがて遠くから発砲音だけが僅かに響いていた。

「はぁー……」

 そいつに近付き、頭を抱き寄せてなんとか間に合った安堵に長い息を吐いた。

「悪い、怖い思いさせちまったな」

 そう頬を撫でれば、そいつはただ首を横に振った。…嘘つけ、膝に置いた手がこれでもかと震えている。

「っ、」

 だから、掬うように抱き締めた。いつも傷付けるような抱き方ばかりして来たのに、笑わせる。だが、忘れられたくなかった。その痛みがあるうちは、印があるうちは、それを見る度に嫌でも俺の事を思い出して欲しかった。せめて──この日が、来てしまうまでは。

「逃げろ」
「!」

 そう、耳元で言った。

「あんたの事は俺が死んだことにしてやる」


……だからせめて、どこかで生きて、幸せになってくれ。

 そう願って、抱き締める腕に力を込めた。

「レノ…っ…」
「おいおい、ここで泣くのは反則だぞ、と」

 いつも泣きそうな顔だった。だけど、必死に耐えていた。あんたも、俺も。一秒でも長く、夢の中にいたかったから。

 でもそれも終わりだ。それでいい、やっとこいつを、俺から解放してやれる。

「ごめんな」

 顔を押え泣きじゃくるこいつに、ただそれしか言えない自分がもどかしい。言いたかったことも伝えたかった事も何一つ言えやしなかった。だけど確かに、俺はあんたを──

「そうだ、最期に教えてくれよ」

 こいつに背を向け歩き出した。だがただ一つ、わがままを言いたくなったんだ。せめて、こいつの本当の名前だけでも刻んで起きたかった。

「あんたの本当の名前、」

 振り返り、目を見開いた。

 そいつの頭に添えられた、銃口に。

「おい!!やめろッ!!!」

 必死に伸ばした手。その先でそいつは──幸せそうに笑った。

「        」

 横たわる身体。それを中心に血溜まりが出来ていくのを、茫然と見下ろした。

「なんで……、なんでだよ……っ!!」

 分かってる。分かってただろ。俺たちが一緒になれる未来なんてないことを。互いに捨てられないもん抱えて、きっと誰も俺たちを祝福してはくれない。誰も、許しちゃくれないことを。

「なんで…っ、俺は、どうしたらよかったんだよ!!」

 こんな事を望んだわけじゃなかった。こいつ以外全てを捨てればよかったのか?そうすればこいつは幸せになれたのか?いや、それでもこいつはいつもみたいに無理やり笑うだけだ。
 俺じゃ幸せにしてやれないなら、手放すしかねえだろ。例えそれが不本意だろうと、この先に待つのがただ一人の地獄だろうと、あんたが幸せなら……それで、よかったのに。

「なんで、最期にそんな顔して笑うんだよ……っ」

 冷たくなっていく身体を抱き締める。

『愛してるよ、レノ』

「くそ…っ、俺だって、俺だってなァ……っ」

 俺たちは何も言えやしなかった。ただ一つの約束だって出来やしなかった。だけど、

「──俺も、愛してた…っ…、愛してたんだ」

 何度も何度も囁いて、冷たい唇に口付ける。

 やっと言えた言葉が、胸に染み込んで仕方なかった。









I miss you