57 因子
1人カウンターの隅で一騎の淹れてくれた紅茶を啜る。
人類軍のファフナーパイロットが来てから、彼らと彼らの監視役が楽園に止まり店内の空気は疎らだった。
「これ、御門の新作らしい」
ふと見の前に四角いケーキが2つ乗ったお皿が置かれた。
「零央くんが?」
「味見、よろしくな」
一騎はそう言ってまたキッチンへ戻る。
「太っちゃうじゃない・・」
ボソッと呟いてフォークを手に取る。一口サイズを乗せて口に運んだ。
「・・あ、美味しい」
ずっとへの字の曲っていた口元が思わず緩んだ気がする。
ふと視線を感じて顔を上げると、フッと笑ってまた作業に戻る一騎の姿があった。
(本当、ズルいやつ・・)
ケーキをもう一口含んで視線を逸らす。一騎にとって自分の反応なんてものはお見通しなんだろうと思う。ケーキの種類だって私好みを選んでくれている。
そんな些細な事が嬉しくて、胸の奥で小さく音がなる。
(でも、)
再び盗み見るようにキッチンを見る。そこには上手い具合に連携して店を回す一騎と真矢がいる。胸の奥がまた違った音を立てる。
正直今すぐにでも立ち去りたいのがナマエの本音であった。人類軍のパイロットがいるにせよ、監視役がいる上に真矢がいる。
(いらないよね、私・・)
そんな事は分かっていた。この場にいない方がいい事くらい。
でも、それでも人類軍のパイロット達から聞こえた言葉と、一騎の話しを聞いている時の背中が気になってまだここにいる。
「はあ、」
バレないように小さくため息を吐く。
あの日から、一騎にどう接していたか分からなくなってしまった。いや、どこまで接していいのか分からない。
自分の気持ちを総士に言われ、それこそ一騎を目の前にすると気持ちと感情、理性がごっちゃになって結局刺々しい態度を取ってしまう。
でもそれでもいいと最近は思えてきた。だってきっと、また近い内に戦いが来る。そう予感していたから。それが今日の出来事で確信に変わった。今も僅かに気配を感じる。いや、見られている気がするんだ。
針で刺したような小さな小さな穴から、こちらを伺う者の気配が。そう考えると1人になれず、結果として此処にいるのだけれど。
(総士、遅いな)
厳重に保管、と言うよりは封印されているマークザインとマークニヒト。
総士によればこの2つの機体からのクロッシング要請があったらしい。それはナマエも感じていた。自分と、そして一騎を呼ぶマークザインの声を。
それでもナマエは一騎にこの事を話す気は無かった。あと3年、たったそれしかない彼の時間をこれ以上縮める事は出来ない。
ーーーガシャン!
すぐ後ろでガラスが割れる音がした。ハッとして振り返れば先ほど来たばかりの里奈が人類軍のパイロット、ビリーに掴みかかっていた。
「里奈ちゃん・・」
過去の仕打ちを悲痛に訴え泣きじゃくる里奈。それを真矢が支えた。
「力ってなんの事?」
暉が呟くように間に入ったミツヒロに問う。
そしてミツヒロは表情の見えない一騎の背中に向けて語り出した。
「MAKABE因子」
それはかつて一騎が人類軍に捕虜とされ、遺伝子を調べ上げられた結果作られたもの。
ファフナー乗りの素質が低い物でもファフナーに乗れる薬だと彼らは言った。
「感謝しています真壁、貴方が私を」
「やめて」
アイが込めた感謝の言葉をナマエが遮った。瞬間、一騎の手がピクリと動きを止めた。
「一騎が、その言葉をどんな気持ちで聞いてるか分かる?」
ゆっくりと立ち上がり、彼らに目を向けた。その瞳には、僅かに涙が滲んでいた。
「一騎はそんな言葉望んでない!一騎は!!」
「ナマエ、」
言葉と同時に腕を掴まれる。
「一騎・・」
「俺は大丈夫だから」
そう言って微笑む一騎に、ナマエは悔しくて唇を噛んだ。
「ナマエ、本当にいたんだ」
アイの言葉に2人は顔を上げた。
「どう言う意味だ」
今度は一騎が問い掛ける。ようやく話しをしてくれた一騎にアイは嬉しそうに笑った。
「彼女、フェストゥムなのでしょう?」
その言葉に一騎は反射的にナマエを自分の背中へとやった。それに気付きもせずに、アイとビリーは声を上げる。
「話しを聞かせて!」
悪意はないのだろう。だが彼らの発せられる言葉達に一騎はギュッとナマエを握る手に力を入れた。
「私は、大丈夫だよ」
握り返しながらナマエは一騎にしか聞こえない声で呟く。その言葉に一騎は不安げな眼差しを向けた。
「フェストゥムと話しは出来るの?」
「ううん、私は彼らの感情とか気配を感じる事が出来るだけなの」
普通の会話だ。だが2人はわぁ、と声を上げる。フェストゥムと話せた、と。
「身体は?硬いのかな?」
「光るかもしれないわ」
2人はそう言ってナマエの空いている手に触れる。
「あれ、人間と変わらないわね」
「それはそうだろ、だって誰かを同化して」
ビリーがそこまで言って、2人が触れていたナマエの手を一騎は少し乱暴に引き剥がした。
「ナマエは誰も同化していない、ナマエはナマエだ」
普段見せない一騎の険しい表情に、皆が黙り込んだ。
「ナマエは俺の大切な、妹だ」
誰が何と言おうとそれは変わらない。一騎はそう言ってナマエの手を握ったまま、出前を反対の手に持って出口へ向かった。
「出前に行って来る」
返事を待たずに一騎とナマエは楽園をあとにした。
「・・・」
外にある出前用の自転車前で向かい合った。お互い手を握ったまま俯いて口を開こうとはしない。
(大切な、妹・・か)
頭に残ったのはその言葉だけだった。
「本当、随分勝手な話だったねー」
パッと手を離し一騎に背を向けて、ナマエは普通に話し出した。
「もうさ、一騎が人類軍に協力なんてある訳ないじゃん!」
「ナマエ・・」
何か言いたげに名前を呼ぶ一騎を無視してナマエは言葉を続ける。
「人類軍にとったらさ、私達とんだ兄妹だよね」
そこまで言って空を見上げた。
「だって、兄は英雄、妹は・・人類の敵なんだから」
でも無駄だった。空を見上げて堪えた涙が、止めどなく頬を伝う。
「ナマエ!」
「・・っ」
一騎が後ろからナマエの腕を掴む。でもナマエは振り返らなかった。
「大丈夫だよ、彼ら私なんかにも友好的だったじゃない」
もう、声を震わせずに話す事が難しくなっていた。語尾に力が入らず僅かに震えてしまった。
「総士ならニヒトの所だよ」
出前、行くんでしょ、とナマエ続けた。
「でも、」
「私に、もう触れないんでしょ」
「・・っ」
その言葉に一騎はゆっくりとナマエの腕を掴んでいた手から力を抜いた。
「じゃあ、またね」
一騎の言葉を待たずにナマエはもう既に暗くなった道のりを1人歩いて行った。
「・・・」
防波堤に座り込んで波音を聞いていた。
夜の空気に当てられても、握られていた腕の熱が消えなくて余計に切なくなる。
「・・バカ」
それは一騎に対してか、はたまた自分に対してかも、ナマエには分からなかった。
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