53 振動


「いつまでそうしている気だ」
「う、総士ってばせっかちなんだから」

喫茶楽園の扉前、時間が欲しいと言うので待っててやればもうかれこれ30分はこの状態が続いている。

幸いもう昼を食べるには遅すぎる時間、客がいないのは都合がいい。

「普通にすればいいのよ、普通に」
「ああ、そうだ。だから早くしてくれ」

ドアノブを握りながら呪文の様に唱えるナマエの後ろで総士は頭を抱える。

もうかれこれ1週間以上一騎に会っていない。無理に普通をする事はなくなったが、やはりたまに気になるのか聞いてくる事がある。

だがそんな事もあるだろうと思い、そんな時は同級生の誰かに聞く様にと、総士は釘を刺しておいた。

「総士、これは普通なの!?心臓がヤバイんですけど!」
「普通じゃないかもな」
「総士!?」

裏切り者!なんて叫びは聞こえない事にした。

「ほら、いいから開けるぞ」
「あ!総士の鬼畜!」

そんな言葉をどこで覚えたんだと突っ込みたくなったが、話しが進まないので扉を引くナマエの手を押して扉を開けた。

「・・好きだよ」

ほんの僅かに開いた扉の隙間から一騎の声が聞こえた。その言葉にナマエだけでなく総士も動きを止めた。

「良かった、嬉しいよ」
「・・ああ、」

微笑み合いながら笑う一騎と真矢の声に、2人は息をするのも忘れた。


ーーーチリン


「!」

そして僅かに震えた手の振動が伝わり、扉についたベルが音を立てた。

「いらっしゃい、」

一騎の表情は一瞬にして驚きに変わった。

「・・ナマエ、」

俯いたナマエを見て総士も言葉を発せずにいる。いや、ナマエが言うのを待った。だがそれも一瞬しか我慢出来なかった。

「一騎、お前」
「あー!お腹減った!」

総士がナマエを押し退け一騎に詰め寄ろうとした時、ナマエが大きな声を上げた。

「ほら、総士あっち座ろう!」
「ナマエ、」

何か言いかける総士の言葉を遮って、ナマエは早く早くと総士の背中を押した。

「ご注文は」

真矢がテーブル席まで来て問いかける。

「私・・、はメロンソーダで!」
「あれ、お腹減ったんじゃないの?」
「あーそうだった、じゃあカレーで!」

ナマエの注文を聞いた後、真矢は総士にも注文を問いかける。

「・・、コーヒーを頼む」
「?、コーヒーね」

明らかに態度のおかしい総士に真矢は首を傾げる。

「はい、カレーと飲み物」

やがて頼んだものを持って一騎が席へと足を運ぶ。

「ありがとう一騎」
「ああ」

あの日から初めての会話。一騎は笑うナマエにホッと胸を撫で下ろした。

「・・総士は、なんで機嫌悪いんだ?」

ふと視線を変えてそう言う一騎に、総士はカチンと、少し乱暴に啜っていたコーヒーを置いた。

「え、と総士はちょっと仕事が上手く行かなくて、ね!」
「・・ああ」

ナマエの必死の説明に総士は不本意ながら同意した。

「そうか、ごゆっくり」

一騎も腑に落ちてなさそうだが片付けの為そう言ってキッチンへと戻って行った。

「・・総士、お腹いっぱい」

少しカレーに手を付けて、ナマエが総士にしか聞こえないくらいの声でそう言う。

「そうだろうな、あれだけの昼を食べてから1時間と少ししか経っていない」

総士は冷静に、やはりナマエにしか聞こえないくらいの声でそう告げる。

「・・はいっ総士、あーん」
「遠慮する」

スプーンにカレーをこれでもかと乗せてナマエは笑顔いっぱいにそう言った。

「ちょ、人が折角してあげてるのにー!」
「君が頼んだんだから責任持って食べるべきだ」

僕は微塵も腹は空いていない、とナマエのカレーを頑なに拒否する総士。

「ちょっと!ちょっとだけだから!」
「僕の腹にそんなスペースはない」
「もー!!」

そんな時、チリンチリンと扉のベルが揺れて野太い声が聞こえてきた。

「よーただいまー!って、お前たち・・」
「ん、え?」

帰って来た店主である溝口の目に飛び込んだのは総士の胸倉を掴んで無理矢理カレーを食べさせるナマエと、食べさせられてる総士の姿だった。

「イチャつくなら別のところで」

「ちがーーう!」
「ちがいます!」

ハモる2人にへーへーと笑って2階へと上がる溝口。バトっていた2人は落ち着きを取り戻した様に静かに席に着いた。

するとキッチンからクスクスと笑い声が聞こえて来た。ナマエと総士が驚いてそちらを見ると、笑う一騎の姿があった。

「お前たち本当仲いいな」
「・・っ」

そんな一騎の言葉にナマエは耐え切れず俯いた。

「ご馳走様、ここに代金置いておくぞ」

そう言って総士は一騎達からナマエが見えない様に立ち上がった。

「大丈夫か」
「・・うん、大丈夫」

総士の言葉にナマエは無理矢理笑ってそう言った。

「・・また来る」
「・・ああ」

そんな短い挨拶をして2人は楽園を後にした。

「・・一騎くん」
「・・・」

2人になった店内で真矢が心配そうに一騎の名前を呼んだ。

一騎は手のひらをギュッと握り締め、2人が消えて行った扉を、いつまでも見つめていた。











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