52 道化


「ナマエ、いるか」

アルヴィス内ナマエの部屋、中から返事はなく一騎は少し迷ってから部屋へと足を踏み入れた。

すると水の音がしてナマエはお風呂に入っているのだと分かった。

部屋を見回せば総士の部屋のレイアウトとさして変わりはない。ふと机の上に幾つもの写真が飾られていた。

一騎とナマエの幼少期のものもあったが、殆どが夏に行った海での写真だった。

全員で撮ったものから咲良や真矢と撮ったもの、そして

「・・俺の写真もあるのか」

いつ撮られたかは分からない一騎とナマエの写真。2人がふざけ合いながら雑談している写真が飾られていた。

「俺はこんな顔してるのか」

自分では見る事が出来ないナマエを見ている時の自分。それは普段鏡で見ているそれとは別物だった。

「あれ、一騎?」
「悪いな、勝手に入って」

そしてお風呂から上がったナマエが現れた。そんな一騎に気にも止めずに大丈夫、とだけ答えた。

ソファーに座り肩に掛けたタオルで濡れた髪を拭く。その横に一騎も腰掛け、タオルを取った。

「ほら、後ろ向けよ」
「はーい」

その流れはとても自然で、ナマエも嬉しそうな声を上げて背を向けた。

「って、ダメ!」
「え?」

だが突然ナマエが思い出したかの様に振り向いてタオルを奪った。

「いや、えーっと私ももう19になるし、この位自分でやるのが普通でしょ」
「そう、か」

そしてナマエは再び自分で頭を拭き、手持ち無沙汰になった一騎はソファーに背を預けた。

「でもどうしたの?一騎が部屋に来るなんて珍しいね」
「・・・」

一騎はソファーから背を離し、少し俯く様に目の前で手を組んだ。

「ナマエは、俺に触れられるのは嫌か」

一騎の質問にナマエは目を見開いた。

「なに、言ってるの。私たち兄妹なのに」
「じゃあ」

ナマエが少し戸惑いながら言った言葉に、一騎はそう言って手を繋いだ。

「!」
「嫌なら離してくれ」

一騎の言葉にナマエの目が泳ぐ。そんなナマエを一騎は真剣に真っ直ぐ見つめた。

「一騎・・私達は、兄妹でしょ」

これは、普通じゃないんでしょ。そう言って一騎が握った手を握り返すナマエ。その瞳からは今にも涙が溢れそうだった。

「・・っ」

その瞬間、一騎がナマエの手を引いた。

「かず、き・・」

瞬く間に一騎の腕の中にいた。ナマエの濡れた髪が一騎の頬を濡らす。

「一騎、私普通になりたい・・」
「・・それは、嫌って意味か」

一騎の言葉にナマエは何も言わない。正直困惑していた。気持ち、感情、理性全てがバラバラで何が自分の意思が分からなかった。

「・・分かった、」
「一騎・・?」

そして一騎はゆっくりとナマエから離れた。そして目があった瞬間、ナマエは自分の心臓がドクンと大きく音を立てた気がした。

「お前が望むなら、もう俺はお前に触れない」

哀しく笑う一騎から目を離せず、身体が自分のものじゃないみたいに声ひとつ出なかった。

「ナマエが望む、"普通の兄妹"になるよ」

一騎はそう言って立ち上がった。

「・・・」

そして、そのまま部屋を後にした。残されたナマエは何が起こったのか、何を言われたのか理解が出来なかった。

ただそのまま指一本動かす事が出来ずにいた。

「ナマエ、」

やがて部屋に来訪者が現れた。

「そう、し・・」
「!」

ゆっくりと振り向いたナマエの顔を見て、総士は慌てて駆け寄った。

「一騎が、来たんだな」

総士の言葉に無言で頷くナマエ。

「一騎は、なんて」

そう言った途端ナマエの顔が歪んだ。

「もう、触れないって・・っ」

ナマエの言葉に総士は瞬時に後悔をした。やはりあの時、止めておくべきだったと。

「普通の、兄妹になるって・・!」

ナマエは一騎の言葉を自分の口から発して、ようやくその意味を理解した。そして総士の腕を掴みながら俯いた。

目の前に見えたのはソファーに溢れる幾つもの水滴。それが何故自分の瞳から流れているのか分からない。

だって、きっとこれは彼女が望んだ結果だから。

「なんで、こんな苦しいの・・!普通になりたかっただけなのに!」

泣き叫ぶ様にナマエは声を上げた。それを総士は悲痛な面持ちでただただ見つめていた。

「一騎が、もう触れてくれない事がこんなに辛いなんて」

まだ身体に残ってる。一騎の温もり、力強さ、匂い、そして鼓動。それらはもう、感じる事は出来ない。

「分からない、分かんないよ・・!」
「・・ナマエ」

頭を抱えるナマエの名前を呼んだ。するとナマエはゆっくりと顔を上げた。その顔は涙でくしゃくしゃで、総士はそんなナマエの肩を掴んでゆっくりと話す。

「一騎と離れて辛いか」

総士の言葉にナマエは頷いた。

「一騎とずっと居たいと思うか」

また無言で頷く。

「一騎に、触れていたいか」

少し間をおいて、それでもナマエは力強く頷いた。そんなナマエに総士はフッと笑う。

「ナマエ、それが誰かを好きになるって事だと僕は思う」
「!」

総士の言葉にナマエはハッとした。

「私が、一騎を好き・・?」
「そうだ、誰かを想う感情や心が君にはある。それは、君が十分"普通"だと言う事だ」

総士の言葉にナマエはまたしても涙を溢れさせる。

「でも、私は・・人間じゃ、!」

そこまで言いかけてナマエは言葉を止めた。総士の腕が、金色に輝いていたからだ。

「君がそうなら僕だってそうだ」
「総士・・」
「僕が誰かを好きだと言ったら、ナマエはフェストゥムのくせにと言うのか?」

悪戯にそう言えばナマエは強く首を横に振った。

「大丈夫だ、話せば分かる」
「・・うんっ」

総士は、そう言って無造作に置いてあったタオルでナマエの顔を拭いた。

「ありがとう、総士」
「大した事ないさ」

ただお前たちが笑っていられるなら道化にだろうとなんにでもなる。例え自分の気持ちを踏み台にしようとも。

総士はナマエの濡れた髪に手を置きながら、そんな事を思った。











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