46 海
そしてその日がやって来た。
「お待たせー!」
女子4人と弓子は新調した水着に身を包み、荷物を片手に砂浜を歩く。
「え?」
それはまさに一瞬だった。
「一騎?」
「あ、いやほら!虫に刺されでもしたら大変だからな!」
一騎は風のような速さで自らのパーカーをナマエに被せた。その行動に皆が目を丸くする。総士を除いて。
「一騎・・っ」
皆が呆気に取られる中、それを見ていた総士は口元を押さえ、笑うのを必死に堪えていた。
「僕の楽しみをどうしてくれるんだ」
「総士、キャラ変わってるぞ」
気まずさに総士の元へ戻って来た一騎に総士はいつもの口調でそう言った。
「ねえ一騎、これ着てたら海入れない!」
波際で砂浜に座った一騎にそう叫ぶナマエ。
「脱いだらダメだからな!」
「えー」
なんなのよ、と呟くナマエ。そんな2人を見て咲良がクスクスと笑う。
「一騎のシスコン振りも凄いわねー」
「本当、過保護でやんなっちゃう」
ため息を吐くナマエに、ビーチボールを持った真矢とカノンが近づいて来た。
「私は羨ましいなー」
「私もそう思う」
そんな2人にナマエはえー、と声を上げた。
「何の話だ?」
そして遅れて来た一騎達が話しに加わる。
「んーーっ、とりゃ!」
「なっ!?」
ナマエは少し唸ってから、その上着を一騎に向かって舞い上がらせた。
「やっぱ暑いから脱ぐー!」
「な!?だ、ダメだ!ナマエ!」
キャーと高い笑い声を上げながら走って逃げるナマエと、それを追いかける一騎。
「・・一騎が走って追い付けないってどうゆう運動神経してんのあの子」
ふと呟いた咲良の言葉にその場の全員がハッとした。
「やだ一騎、もう疲れたの」
岩場から一騎を見下ろすナマエ。その口元はふふふ、と笑っている。
「・・っこの!」
「え、わ!きゃあああ」
そして仲良く海へ落ちていった。
「だ、大丈夫か?」
「見に行った方がいいんじゃないか?」
剣司とカノンが心配そうに呟く。
「大丈夫よー2人共アホみたいな運動神経してんだから」
「確かにな、少し分けて欲しいくらいだ」
「皆城くん、本音が漏れてるよ」
皆が2人に背を向けて歩く。
「本当、羨ましいな」
振り返り呟いた真矢の言葉は、波音に掻き消された。
「ぷわ!」
海面に浮上した2人は、立ち泳ぎをしながら手で顔を拭った。
「もー!何すんのよー!」
「お、お前が逃げるからだろう!」
「何ですってー!」
一騎の言葉にナマエは海水を一騎にかける。
「わ!ご、ごめん!俺が悪かったって!」
「もう!」
それでいいと言わんばかりにナマエは攻撃を止めた。そして空を見上げる様に浮かんだ。
「あー気持ちいー」
聞こえて来るのは波の音、日差しで肌がジリジリと焼けてカモメが鳴いている。その全てが身体に染み渡っていく感覚がした。
「ねえ、一騎」
「なんだよ」
すぐ近くから聞こえた声にナマエ目を開ける。すると一騎の顔が目に入った。
「ほら、流されてるぞ」
「んー」
一騎が近くにいる事を確認したからか、一騎の言葉を聞いても、ナマエはまた目を閉じて流れに身を任せてしまった。
「全く、世話が焼けるな」
そう言ってナマエの首に手を回した。
途端、急激に近付いた距離にドクンと心臓がなった。濡れて顔に張り付いた髪を避ければ、その距離は更に近い。
「ナマエ、」
呼んでも返事はない。聞こえるのは僅かに開いた唇から紡がれる吐息の音だけ。
「あ!一騎く、」
2人を呼びに来た真矢はその姿を見つけ、上げ掛けた声を口に手を当てて塞いだ。
「一騎、くん」
太陽に照らされて、髪から溢れる雫がキラキラとしている。潤んだその瞳の先には、青く澄んだ水面に浮かぶナマエ。
真矢は息を潜め、痛む胸を押さえながらその光景を見つめていた。
「おーい、一騎ー!ナマエー!」
「そろそろ帰るわよー!」
途端、剣司と咲良の2人を探す声が響いた。
それは海に浮かぶ2人の耳にも届いた様でナマエは目を覚ます。
「あれ、私いつの間に寝て・・っきゃあ!」
「ナマエ!?」
自分が海に浮かんでいる事を忘れたナマエは寝起きと同時に海に沈んで行く。
「あーいた!って、何してたのあんた達」
一騎に抱えられたナマエは半泣きの状態だった。それを見て咲良はため息をつく。
「寝てたら溺れた」
「本っ当馬鹿ね」
咲良の言葉にナマエはぐすんと鼻をすすって一騎にしがみ付いた。
「もう海では寝ない」
「・・そうだな」
一騎は複雑な表情を浮かべて笑った。
「あ、いたいたー探したよー」
そして岩場の陰から真矢が現れる。
「悪かったな、遠見。探してもらって」
「ううん、全然平気」
真矢は思わず一騎の唇を見つめた。
「遠見?」
「え、あ!なんでもない!」
真矢の言葉に一騎はそうか、とだけ呟く。
「ナマエ、歩けるか?」
「ムリ、お水飲みたい・・」
まだ半べそのナマエを抱え直して一騎は皆の後を追う。
「本当、世話が焼けるな」
そう言って笑う一騎の背中を、真矢はじっと見つめていた。
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