40 不安


「んんっ・・はあー!」

ナマエは背伸びを1つして大きく息を吐いた。風が伸びた髪を撫でる。そんな事さえもナマエは喜びに感じた。

「青い空が見えないのが、少し残念」

そして見上げた空を見て嘆く。そんなナマエの背中を、一騎は見つめていた。

「・・・」

目が見えない。それは確かに不便で仕方がない。

だけどそれも仕方ない事だと思った。ナマエが消えてしまう位負荷が掛かっていた。

生きているだけで、それだけでも感謝しなければと思っていた。・・ナマエが帰って来るまでは。

「一騎?」

黙ったままの一騎に、ナマエは振り返り駆け寄る。

「どうかした?」

一騎の瞳に僅かに首を傾げ自分を覗き込むナマエの姿が映る。途端、胸がざわついた。

「・・いや、何でもない」
「そう?」

少し不服そうなナマエだったが、一騎はそれっきり瞳を閉じてしまった。

「・・少しは、見えるの?」

遠慮がちにナマエが問う。

「明るい所なら少しは見えるよ」

だから大丈夫、そう言って一騎は笑う。瞳を閉じたまま。

「そっか・・、じゃあ」
「わ!」

突然引かれた手に、一騎は驚いて声を上げ目を開いた。そんな一騎にナマエはふふ、と笑う。

「しょうがないから、手繋いであげる!」
「ナマエ・・」

一騎はぼんやり映る彼女が眩しかった。それは昔から思っていた事だった。

それが少し鬱陶しい時期もなかった訳じゃない。でもそれは明るい彼女と相反する自分への劣等感から来るものだった。

だけど今は身にしみて感じる。この手に、この温もりに、そしてこの笑顔に、何度救われ導かれて来たのだろうと。

「一騎?」

足を止めた一騎に、ナマエも足を止める。ギュッと手に力が入って、ナマエは一騎を心配そうに呼んだ。

「俺、目が見えなくてもそんなに気にならなかった」
「・・うん」

ゆっくり、絞り出すように話し始める一騎に、ナマエはもう片方の手もそっと握り締めた。

「全く見えない訳じゃないし、そんな見たいものがある訳でもなかった」

来主みたいに空が見たい訳じゃない。感覚だけでもそれなりの生活が出来て、それに不満なんてなかった。

「だけど・・」

そう言って言葉を止めた。握られた手を握り返して、真っ直ぐ、見えないナマエを見つめた。

「ナマエがはっきり見えない事が、今は辛いよ」
「一騎・・」

こんな言葉、言わない方がいいのは分かっていた。だってそれを言ってもどうする事も出来ないから。

ナマエはこれを聞いて自分を責めてしまうかもしれない。だけど言わずにはいられなかった。

視力を失ってやっと味わったもどかしさ。ほら、今だってナマエがどんな表情をしているか分からない。

「ごめん」
「ちが、っ泣いてない!」

でも分かる。見えなくても見える。言葉とは裏腹にナマエが泣いているのが。

「双子で良かった。じゃなきゃその言葉を信じてたよ」
「・・っ」

何年も共に過ごしたから分かる僅かな変化。それは数年離れていたって変わる事はない。

「ごめん、でも言っておきたかった」
「うん・・」

コツン、と額が重なった。思考も、鼓動も、想いも、相手に届けと願いながら。

「大丈夫だよ一騎、私はここにいる」
「・・ああ」

その言葉に見透かされていたのは自分の方だと一騎は思う。不安だったんだ。ぼんやりした景色に映るナマエは本当にナマエなのか、最後の時みたいにそのまま自分の前から消えてしまうのではないか、って。

でもそんな不安さえ彼女は少ない言葉で汲み取り、手を握ってくれる。その事が一騎の心を軽くした。

「おかえり、ナマエ」
「ただいま、一騎」

改めて言った言葉は、お互いの胸の中に優しく落ちていった。










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