開幕
長い歴史を持つ全寮制の男子校、雪学園は日本屈指のセレブ進学校だ。
代々経営しているのは経済界のトップに立っていると言っても過言ではない"雪澤家"である。
「ここか…」
そんな雪学園高等部の目の前に停まった一台の漆黒の高級車。
そこから降りてきた影は、城のような学園を見上げて呟く。
口元にはうっそりと笑みを浮かべて。
「今日から、ここが俺の城なんだね」
ニヤリと目元を細めて告げられた言葉は風に攫われて、まるで学園を包み込むように溶けていった。
―――
「何だと?」
天井にシャンデリアを持つ豪華な理事長室の中、今しがた秘書から告げられた言葉に耳を疑った。
「ですから、本日本家から正式な理事長が参ります」
「…何で今更、この学園の理事長は私だろう」
「確かに、貴方は理事長ですが…代理ですので」
淡々とした秘書の口調に代理と突き付けられた男が、ダンッと執務用の机に拳を叩きつける。
「っふざけるな!勝手に私に知らせもなく、納得出来るわけがないだろ!」
「でも、納得して頂かなくてはいけないんですよねぇ」
秘書と二人だったはずの空間にいきなり入り込んできた澄んだ声。
いつの間に理事長室に入ったのか、見知らぬ優男風の男が入口の所に立っていた。
「誰だ!?」
理事長は、興奮冷めやらんと言った様子で語調を荒げる。
「初めまして。本日よりこの学園の正式な理事長になりました。雪澤久志と申します」
優男、久志は恭しく頭を下げて自ら名乗った後ゆっくりと中へ足を進めていく。
口元には柔らかい微笑を浮かべて。
「お前が……」
「貴方は分家である雪宮家の雪宮透さん、でしたね。今まで理事長代理として良く働いて下さいました」
「ふざけるな。私はここからは退かないぞ。どう言う事か説明してもらいたい」
久志の口調に気分を害したのか雪宮透は眉を顰めて座り心地の良い椅子に踏ん反り返る。
そんな様子に久志は可笑しそうにクスクスと笑う。
「説明と申しましても、そのままです」
「何…?」
ここで初めて久志はその細めた眼を開いて雪宮を見詰めた。
「貴方はもう用済みなのですよ。分家の分際でここまで代理でいられた事を本家に感謝して頂きたい」
「……ッ!?」
息が、詰まる。
先ほどまでのらりくらりとしていた久志の身体から立ち上る威圧感。
それはまさに本家と言うのに相応しいオーラ。
雪宮は、無意識にゴクリと生唾を飲み込んだ。
久志は来客用のソファに腰を下ろして悠々と足を組む。
そして、手に持っていた鞄から数枚の書類を取り出して、雪宮に見せ付ける様に揺らす。
「それに、調べた結果貴方には問題が幾つかあるようだ」
「な、なんだと…?」
ギクリと雪宮の肩が揺れる。
久志はその姿に口角を吊り上げ笑みを深くして書類の一枚を捲る。
そして、その澄んだ声が理事長室に響き始める。
「貴方が就任してから学園の内部経営はズサン。その一言に尽きますね。更に一か月ほど前編入したというこの生徒、雪宮繁くん…ですか?
彼が来てからは生徒による暴行・強姦事件、,傷害事件が今までの倍以上。生徒会は仕事をしなくなり、先日の学園創立から代々続く新入生歓迎会は中止になったとか?嘆かわしい事です。
それに、数名の生徒を理不尽に退学にさせたという報告も上がっています。これらの事について雪宮理事長代理。貴方はどうお考えですか?」
「…ッ、そ…それは…」
雪宮は先ほどまでの強気の態度とは正反対に目を泳がせて歯切り悪くモゴモゴと口を動かす。
久志は雪宮から目を逸らさず一挙一動をじっと見つめ、雪宮はそれに更に追い詰められていくような感覚に陥った。
もう後ひと押しか…。
笑みを崩さないまま、頭の中でそう考えた久志はもう一枚、書類を捲る。
「雪宮繁、調べて見れば彼は理事長代理の甥に当たるらしいですね?」
そう告げた瞬間、雪宮の瞳がピシりと固まる。
まさか…。
楽しさを隠す事もなく久志はその瞳を見つめ返して口を開いた。
「彼は、編入試験を受けてはいませんよね?」
「ッ!!そ、そんなわけ…ッ」
「編入試験の結果は必ず本家へ届けられる仕組みになっています。ですが、本家はこの少年の事を報告が来るまで何一つ知らなかった。……どう言う事だか、分かりますか?」
「………ッ!!」
「裏口入学。…それも本家への知らせも無しに行われた、代理…貴方の独断で。ですよね?」
雪宮は、完全に言葉を失う。
全て知られていた。
本家に。
それはどう言う事なのか、雪宮は一瞬浮かんだ考えにブルリと身体を震わせる。
「代理、今回の事は保護者代表の皆様にも報告させていただきました。皆様大変遺憾だと言っていましたよ。自分の子供の通う学園の、仮にも理事長代理がそんな悪事を働いていただなんて……許せる事ではありませんからね」
なんて事だ…。
雪宮は、そこで初めて気付いた。
もう、自分には逃げ場がないのだと…。
目を見開いて身体を強張らせる雪宮に、久志は優しく言葉を掛ける。
内容は、雪宮を更に地獄へ突き落すものだった。
「雪宮透。本家での会議の結果、貴方から分家の名前を剥奪します」
「これ以上学園と本家の顔に泥を塗り付けないで頂きたい」
言いながらパチンと久志が指を鳴らすと、扉の外に待機していたのか大柄の黒いサングラスをかけた男が二人、理事長室に入ってきて雪宮を取り押さえる。
雪宮にはもう、抵抗する気力もない。
されるがままに両腕を掴まれ、扉へと引き摺られていく。
そんな異様な空気の中、久志は相変わらず笑みを浮かべて雪宮を見送る。
「これから、生きていければいいですね…?」
呟くように言った言葉に、扉に消えようとしていた雪宮の背中が小さく、震えた気がしたが久志にはもう興味の無い事だった。
―――
静かになった理事長室の中には久志と、雪宮の秘書だった男が一人。
久志はその男に優しい笑みを浮かべる。
「杉、今までご苦労だったね」
労いの言葉を掛けた瞬間、無表情だった杉と呼ばれた男が頬を緩める。
「本当に。あの男には何度腸が煮えくりかえった事か…」
ふぅ、と溜め息をつく杉にクスクスと笑って久志は来客用のソファから理事長だけが座る事を許される執務用の机に近づき、その椅子に腰を下ろす。
「だけど、君のお陰でだいぶ事がスムーズに進んだよ」
「当たり前です。じゃないと私があの男の秘書になった意味がありませんから」
ふふっと笑ってのたまう杉に、「そうだね」と返して久志は笑う。
そして、小さくわざとらしいため息をつく。
「でも、これからが大変だ。歪んだこの学園をどうにかしなきゃいけないからね」
「そうですね…。一般生徒はまだ良いですが、生徒会が厄介なガキばかりですから」
「杉、言葉使いには気をつけないと」
クスクスと笑って緩く窘めると、杉は笑みを深くする。
「わざとです」
「…ははっそうか」
杉の予想外の言い返しに声を上げて笑った久志は参ったとばかりに肩を竦めた後、立ち上がる。
その表情は、先ほどまでの笑みとは違った、雪宮を陥れた時と同じ笑みを浮かべている。
「じゃあ、その厄介なガキ達に自己紹介するために全校集会を開くとしようか」
「…畏まりました、理事長」
頭を下げて直ぐに行動し始めた杉を眺めながら、久志は軽く唇を舐める。
舞台の幕は上がった。
ここは俺の城。
さぁ、好き勝手していたガキ共に分からせてやろうじゃないか。
最後に笑うのは、城の主である俺なのだと。
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