その名は嵐です。



涙が倒れた翌日、まだ本調子ではないのに涙は生徒会室に居た。


「先輩!まだ休んでて下さい!!」

「いえ、今日は大事な会議も放課後にありますから……休んでいるわけにはいきません」

「だけど、そんな顔色で会議に出た方が皆心配して会議に集中できませんって…っ」

「上川くん……ごめんなさい。だけど、やっぱり……」


こんな会話を10分は続けて、最終的に折れたのはやはり辰貴だった。


「……っ分かりました。でも!無理だけは絶ッ対に、しないで下さいよ!」

「っはい!ありがとうございます、上川くんっ」


輝かんばかりの笑顔を浮かべる涙に対して辰貴はどこか悔しそうだ。
そんな様子を一人仕事用のデスクに座って見ていた陽介は眩しそうに目を細める。

懐かしい。けれどあの頃とは確かに違う。
あの頃はどちらかといえば会長が涙の体調を気にしていた。
それは生徒会役員のトップだからという責任感から来るものだったのか、もしくは本当に心配していたのか、真意は分からないけれど。
ああして言い合っては、会長が勝ったりそして時には涙が勝ったりしていた。

とはいっても、今はあの頃と状況も何もかも違うから思い出してもきっと意味の無いことなのだろうけれど。
陽介は静かに溜め息をついて再びデスクの書類と向き合う。
今しているのは会計の仕事ではなく書記のものだ。


「あ、俺ちょっとこの書類コピーしてきます」

「ぁ……上川、これも…」


ガタンと立ち上がった辰貴の言葉に丁度終わらせた書類を差し出せば快く、けれど無言で頷いて書類を手に生徒会室を出ていく。
それが、今の二人の距離感を表していた。


涙と陽介の二人になった生徒会室は静かで、カサカサと紙の擦れる音だけがする。

昨日はああ言ったけれど、いざとなると何を話せばいいのか分からない。
どちらも元から仕事中にあまり喋る方ではない。
もう一人の副会長である深山は一見優等生だが、お喋りだった。
けれど内容はそれなりに面白いと陽介は密かに思っていた。
双子や会長はつまらなそうにしていたが。

陽介は無表情で書類を片付けながら涙を窺った。


思えば、涙はいつも微笑んでいた。
深山の話を楽しそうに聞いて、双子の冗談に困ったように笑って。

会長と言い合う時だけだ。
涙が歯痒そうに、悔しそうに唇を噛むのは。


「……陽介君?」


ぼんやりと涙を見つめる視線に気付いたのか涙がこちらを見て首を傾げる。
耳触りの良い声が自分を呼ぶ声が心地いい。
不思議そうに見つめる涙に首を横に振って陽介は立ち上がった。


「お茶……入れる。…蛹、は…紅茶?」

「…はい。ありがとうございます」


二人の間に流れる空気は和やかだ。
簡易給湯室に入っていった陽介を見送って涙は少し速い鼓動を落ち着かせようと深呼吸をした。

柄にもなく緊張していたみたいだ。
辰貴以外との役員とこんな風にまた話せるなんて久しぶりだったから、緊張して、嬉しい。

全て元通りには無理でも、ゆっくりと……昔のようになりたいと思う。
辰貴と陽介の距離も。





―バンッ!


少し仕事の手を止めて給湯室からの茶葉の良い香りに目を細めていた時だった。
生徒会室の扉が荒々しく開かれたのは。

ビクリとその細い肩を揺らして扉の方を見る。
そこには複数の人間が立っていた。


「涙!!!!」


その先頭に立っていた人物が甲高い声で涙の名前を呼び、ズカズカと生徒会室に入ってくる。
そしてその後ろに続くのは、本来ならこの生徒会室で仕事を共にしているだろう仲間達。


「……松本、君」

「昨日倒れたんだろ!?心配して来てやったんだ!何で俺に倒れた事言いに来なかったんだよ!!俺、クラスの奴の話聞いてきたんだぞ!!」


「馬鹿!!」と叫んで彼は前髪に隠された眦をキッと上げて涙を睨んだ。

涙は困惑したように瞳を揺らす。
どうして自分が馬鹿と言われているのかがよく分からなかったし、どうして彼に言いに行かなければならないのかも、涙には理解が出来なかった。

もしかして、心配してくれたのだろうか。
だとしたら申し訳ない事をしたかもしれない。
そう思った涙が謝ろうと口を開くと今度は給湯室から紅茶を淹れていた陽介が顔を出して、そのまま固まる。


「…さ、なぎ?今の、声……」

「ああーっ陽介!!昨日どこに行ったんだよ!今日だって俺のとこに来ないしッ、駄目だろ俺のとこに来なきゃ!!」


珍しく目を丸くした陽介を指差して叫んだ彼、松本晃は分厚い眼鏡の下で眉を寄せる。
今まで静かで穏やかな空気が流れていた生徒会室の空気は、晃の登場で一瞬にして霧散して消えてしまった。



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