この気持ちを伝えたいです。




保健室内はしん、としていた。

通常、保健室では静かにするものだからその事に何らは不自然さはない。


だが、その光景は異様さを隠せない。


辰貴は陽介の胸倉を掴んでいて、陽介はじっと涙を見つめ、涙もまた陽介を見つめる。


誰も言葉を発しない。
その様子をただ一人、蚊帳の外で見ていた保健医は居心地の悪さを感じつつ、漸く意識を取り戻した涙へ近付く。
空気が読めないと言われても良い。保健医としての仕事をしなければ。

保健医はただ自分の職務を果たす為に涙へ歩み寄る。


「蛹くん、もう起きて大丈夫なのかい?」

「……ッ!あ…はい、すみません…もう大丈夫です」


優しく優しく声を掛けると大袈裟なくらいその細い肩が跳ねる。
ゆっくりとこちらを向いた蒼い瞳が揺れた後、申し訳なさそうに微笑んで頷く姿は、やはりまだ万全とは言えない様子だった。


「だけど、まだ顔色が悪い。もう少し休んでいて良いんだよ?」


教師の間でも涙を心配する者が沢山いる。
保健医もその一人だ。

むしろ休んでいくべきだと言うニュアンスを込めて言った言葉に、いち早く反応したのは辰貴だった。


「っそうっすよ!先輩は休んで下さい!」


掴んでいた陽介の胸倉を離して、涙のもとへ駆け寄る。

陽介は楽になった呼吸を繰り返しながら、それでも涙から目を離さない。
否、離せなかった。


「ですが、明日が期日の書類があるんです…。今日中に仕上げなくちゃいけませんから……今休むわけにはいきません」


保健医と辰貴の促しにも涙は首を横に振って、微苦笑を浮かべながら「先生ありがとうございました。失礼します」と保健室の扉へ向かおうとする。



「……っ!」


だが、伸ばした手が扉に触れることはなかった。

目の前に立った陽介が、涙の行く手を阻んでいた。


「あの……陽介、くん?」


陽介は無言で涙を見つめる。
涙は、少し、陽介達と向き合うのが怖くなっていた。
食堂で同じ副会長である深山に言われた言葉が、頭から離れない。

『仲間だとは思えません』

そんな事を、陽介にまで言われてしまったら。
そう考えるだけで身体が強張ってしまう。


「…あの……」


何も言わない陽介が、怖い。
涙は眉を下げて俯く。


「……やす、んで」


不意に頭上から聞こえた言葉にまさかと目を見開いて、涙はガバリと顔を上げる。

視界に入ったのは、今にも泣きそうな陽介の表情。
その表情に、更に涙はその蒼い瞳が零れそうな程目を見開く。


「……え、」

「休んで…蛹、顔…青い」


そっと涙の頬へ伸ばした手を、触れる直前で止めた陽介は、苦しそうに告げる。


「仕事……俺、やる、から……だから…」


今まで仕事をしなかった自分が今、どれだけ都合の良い事を言っているのか分かっている。
だけど、陽介はそれでも構わないと思った。

都合が良いと言われても良い。
今、涙に無理をさせればきっと本当に身体を壊す。


それだけは、嫌だった。


「陽介、くん……」

「…今、まで…ごめん。…ごめん…蛹」


『ごめん』では、本当は足りない。
けれどこの気持ちを伝える術を、陽介は知らない。

だからこそ、何度も、何度でも謝る。


簡単に許してもらおうだなんて、もう思わない。
この気持ちだけを、知ってほしい。



「ごめん……。休ん、で…お願い……」

「……陽介くん」



何度も『ごめん』と『休んで』を繰り返す陽介に、涙は言葉では表せないような感情が胸の中に広がるのを感じた。

言葉なんかでは、言い表せないくらいの戸惑い、困惑、そして嬉しさ。


懺悔の気持ちと、涙を心配する気持ちでいっぱいのその陽介の言葉に、涙は堪らず胸元を押さえる。

苦しかった。
胸がいっぱいで、どうすればいいのか分からなくて、苦しかった。

心配を掛けてしまった申し訳無さと、心配してくれた仲間への嬉しさ。
そして、仲間だと思っていていいのだと思わせてくれる陽介への感情。


「…っ分かり、ました」


この感情を伝える言葉を、涙は一つしか知らなかった。


「お言葉に甘えて、今だけ休ませてもらいます」


早く伝えたい。
早く、自分の気持ちを分かってほしい。

花が咲く様な微笑みを、陽介へと向ける。



「陽介くん、ありがとうございます」



どうか、どうか、伝わってほしい。





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