この気持ちだけは本物です。 「アンタ達のせいだ…!」 そう言って、今まで見たことが無いくらいの怒気を滲ませた後輩は、悲痛の表情で陽介の胸倉を掴んだ。 保健室に辿り着いた陽介は、息も整えずにその扉を勢い良く開いた。 ガラッと音を立てて、中に入った陽介の視界にはまず机に向かい仕事をしている保健医の姿。 そして、どこか憔悴しきった辰貴がソファに座り項垂れていた。 「…っ、蛹、は?」 声を掛けるのを、一瞬躊躇った。 辰貴は誰から見ても身体中で涙を心配している。 きっと、今話しかければ辰貴は陽介を叱責するか、追い出すだろう。 そう考えて、一瞬何とも言えない恐怖に襲われた。 けれどこのまま帰るなんて尚更嫌で、問い掛けた。 声が、僅かに震える。 陽介が声を発した瞬間辰貴の方がピクリと揺れて、俯いていた顔が陽介へと向けられる。 「…か、みかわ……」 息を呑んだ。 辰貴の表情は、今にも泣きそうで、けれどその瞳の奥には怒りの火がチラチラと燃えている。 アンバランスなその表情に、陽介は動けなくなる。 「何か用ですか…山内先輩」 辰貴から発せられたのは感情を無理矢理抑え込んだような低い声。 エレベーターの前で会った時よりも更に冷たくて、背筋が震える。 辰貴の声が小さいのは、きっと涙を起こさないようにと言う配慮だろう。 陽介はそんな辰貴の目を見れず床に目を向けてしまった。 「…蛹、が……いるって」 どう言えば良いだろう。 こんな時に上手く言えない自分が憎らしい。 「…いますけど、先輩が会う必要なんてないでしょう。早くあの編入生のとこへ戻ったらどうっすか」 冷たく突き放す辰貴の言葉に、返す事が出来ない。 でも、それでも、このまま帰ったら駄目だと、本能が訴えて来る。 「…っ、蛹、は…?」 「まだ寝てます」 「……待って…っ」 「待たなくて良いっすから」 とりつく島もない。 徹底的に陽介を追い出そうとする辰貴に、言い返せない。 「…ご、めん」 「何に対する謝罪っすか、それ」 気付いたら、謝っていた。 けれどそれさえも辰貴は一蹴にする。 鼻で笑う気配がして、勇気を出して顔を上げた。 そして、固まる。 「……っ!上、川…」 「今更、遅いんすよ…ッ」 笑ったと思ったのに、辰貴の表情は笑うのに失敗したような表情で、陽介を睨み付けていた。 「今更都合良く謝って、許すと思ってんですか…。今まで仕事もしないで、先輩がアンタ達の分の仕事をしてたのだって最近までどうせ知らなかったんでしょう…?」 ゆらりと立ち上がった辰貴がゆっくりと近付いてくる。 陽介は、まるで足が床に縫い付かれたようにその場から動けない。 チラリと助けるように見た保健医さえ、辰貴を止めるつもりはないらしく、それどころか陽介を責めるように見つめている。 その視線に馬鹿な期待をした自分が急に恥ずかしくなった。 辰貴の言う通り、本当に都合の良い奴だと思った。 涙なら、きっと謝れば許してくれる。 そんな甘い考えを、確かに抱いていた。 辰貴は、目の前まで来ていた。 「上川……お、れは…」 それでも、それでも謝りたいこの気持ちだけは心からのモノなんだと、伝えたかった。 けれどその瞬間視界がぶれて、首元が締まる。 胸倉を掴む後輩の手が、ただでさえ全力で走ったせいで足りない酸素を更に薄くする。 「…ッはっ、かみ、かわっ」 「…ッッアンタ達のせいだ!!」 空気が揺れた。 怒声を発した辰貴はギリッと胸倉を掴む手に力を込める。 いきなりの辰貴の激昂に陽介は目を見開く。 絡み合った視線。 辰貴の瞳の中に見えた様々な感情に、言葉を失う。 苦しさも忘れてしまう。 「何で先輩が倒れなくちゃなんないんだよ!あんなに頑張って、頑張りすぎてッ!なのにアンタ達はそんな事も知らん振りで馬鹿みたいに問題ばっか起こして!アンタ達のせいで、先輩がどんだけ辛そうな顔して仕事してるのか知ってんのかよ!!傷付いても全部我慢して、悲しくても耐えて…っアンタ達が、っ!!」 もう、自分でも何を言っているのか分からなくなったのか途中で言葉を途切れさせた辰貴は俯き、手を震わせる。 陽介は、初めて見た、ぶつけられた辰貴の怒りに唇を噛み締める。 言い返す言葉なんてない。 辰貴は、今まで溜まりに溜まったストレスが、涙が倒れたことで一気に爆発したんだろう。 倒れた涙と怒りを爆発させた辰貴。 俺達は、ここまで二人を追い詰めていた。 陽介は、意味もなく目頭が熱くなるのを感じて、ぐっと堪える。 自分に泣く資格なんて、無い。 やっぱり、一度出直した方が良いのかと、それきり動かない辰貴の頭を見下ろして思い直していた時だった。 シャッ ベッドを囲っていたカーテンが開かれる音が、静かな保健室内に響く。 途端に今まで動かなかった辰貴が勢いよく顔を上げて振り返る。 陽介は、姿を見せた彼から、そのままの体勢のまま目を逸らす事が出来なかった。 「……っ先輩!?」 「え?」 辰貴の呼び掛けに、まだ少し覚束ない彼が顔を上げた。 そして、その綺麗な蒼い瞳に陽介を捉えた瞬間、零れるんじゃないかと言うくらい大きく見開く。 「…さ、なぎ……」 「……陽介、くん?」 名前を呼んだ声が、緊張で震えた。 久しぶりに呼ばれた名前に、嬉しさよりも罪悪感が胸の中を支配する。 改めて見た涙は、以前よりも痩せて見えた。 戻 進 戻る |