*荒井さんのお誕生日記念。

*log.再録。アパシーでもSFCでも。
*福沢さんお誕生日記念と恐らく同じ世界観。

*荒←福(やや荒福両想い)
*ほのぼのしあわせ系。




 図書室で本を探している僅かな隙だったと思う。時間にしておよそ5分。秒に換算しても300秒というその短い時間。たったのそれだけの時間で物をなくすなどという愚かな真似を決して自分はしないだろうと荒井は思う。そうであれば答えは決まっている。そして所要時間があまりに短かったことを鑑みるに、犯人は最初から盗むつもりでやったのだろう。

 最初から。
 それはいつからのことだろうか。

 図書室に足を踏み入れた時からか、それを外して机へ置き席を離れた時か、それとも自分が教室を出たその時か。或いはもっと前かも知れないが、誰とも知れぬ他人の思考など流石に追うことなど出来やしない。少なくとも、さして迷いはしなかったのだろうと思う。他人と机を共有するのを避け、荒井は誰も使っていない一番奥の机に荷物を置いた。隣に置いた自分の品と間違えて持って行ってしまった、などという言い訳は通用しない。教室から追いかけて。或いは図書室で見かけて。そして奪って、逃げたのだろう。そこまで困る事ではないが、ただただ純粋に腹が立つ。盗人にも。そして自分自身にも。この歳になってまで、他人から嫌がらせを受けなければならないのか。イライラする。腹が立つ。探し出した本を机に叩きつけたくなる感情を抑え、荒井は小さく舌打ちをした。

「……情けない」

 こんな幼稚な行動に出る、誰とも知れぬ盗人に対して。
 この程度のことで、酷い嫌悪を感じている自分に対して。

 こうなっては他人の目が気になってしまう。犯人はうろたえている自分を見て楽しもうとしている愉快犯かも知れない。そんな輩の好奇心を満たすつもりは微塵もない。カバンを開け、他に被害がないかをざっと確認する。財布や手帳、私物の本は問題ないようだった。それらや教科書の位置を見る限り、誰かがカバンを開けた形跡はなさそうだ。荷物をまとめ、カウンターへ向かうと貸出しの手続きを済ませた。1冊しか借りていないが、別に構わないだろう。明日また来ればいい。図書委員の手際の悪さにいらだって、その手から乱暴に本を奪う。戸惑いよりも非難の色が濃い目で見られるが、特に気にはならなかった。作業も遅ければ気も回らない。そんな奴の方が悪いのだ。図書室を出る。廊下を歩く。玄関で下駄箱を開け靴を履く。校門を出る。知り合いには、誰一人として会わなかった。新たな異常も特になかった。ひゅぅ。冷気が、風に乗って肌を乱暴に撫でてゆく。歩きながらもう一度カバンを開け、黒い手袋を取り出した。右手、左手、とゆっくりとはめていく。外気が遮断され、それだけでなんだかホッとするような気がした。小さな布の中で、自分の手の温度がゆっくりと広がってゆく。

 はぁ。
 息を吐く。
 白くなることはなく、ただ空気中に拡散してゆくだけだった。

 息が白くなる程ではない。そこまでの寒さじゃない。耐えられないわけでもなければ、必要不可欠なものであるわけでもない。大体、昨日まではつけていなかったのだ。たまたま今日はあっただけで、昨日も一昨日も同じではなかったか。けれど、他人のせいで自分が得るはずだったものを失ったのだと思うと、それは非常に――気にいらない。ましてや、事故ではなく自分を狙ってやったものだとなると尚更だ。どうやって犯人を探すべきだろうか。あの時図書室にいた人物なんて20人はいることだろう。あの頭の回転の遅そうな図書委員が覚えているとは思えない。図書室の貸出し履歴を調べることも出来るが、わざわざ盗みを働いた前後に本を借りるだろうか。自分への嫌がらせが目的ならば、後から接触してくることもあるだろう。少なからず、顔見知りの誰かなのだ。遠くからでもいい。自分の動向を窺うような人物がもしいれば。それにどうだろうか。自分がさしてリアクションをとらなければ、犯人はもう一度何か行動に出るのではないだろうか。
 なんにせよ。と荒井は思う。ただで済ませるつもりはないのだ。血の法典では5シリング以上の窃盗は死刑のはずだろう。5シリングには満たないだろうし殺そうとまでは今は思わないけれど、5シリング――一万円で死刑なんだから、それに見合う目にあってもらっても罰は当たるまい。
 
「……おや」

 角を曲がったところで、見知った背中が目に入った。
 見慣れた制服、背格好、髪型。黒い学生鞄に、可愛らしい花模様をあしらった小さな紙袋。後輩の福沢玲子だ。

 けれどどうも様子がいつもと違うのだった。とぼとぼと肩を落とし、歩くスピードもいつもの彼女に比べると随分と遅いように感じる。どこか具合でも悪いのだろうか。少し考えて、荒井は自身の歩くスピードを少しだけ速めた。二人の距離はすぐに縮まり、福沢の背中は手を伸ばせば届く距離にまで来てしまった。失敗しただろうか、と荒井は一瞬だけ後悔をする。こうなっては、声をかける他ないじゃないか。けれども思い直す。このスピードでは、足を速めなくともいずれすぐに追いついてしまっただろうと。本当にどこか具合が悪いのかも知れない。白くならない息をふぅと吐き出すと、荒井は福沢に声をかけた。

「福沢さん、ですよね? こんにちは」

 びくり。と彼女の小さな肩が小さく跳ねるのを確かにみた。あ、あっと。あ、あー。と福沢の戸惑うような変な声が聞こえる。不審に思って荒井がもう一度声をかけようとした時、ようやく福沢は振り向いた。クビだけを回して、えへへ、と何か気まずそうに笑う。

「あ、荒井せんぱ……あはははー、こんにちはー、今帰りなんですかぁ?」
「そうですが……どうかしたんですか?」

 あまりにも挙動不審な態度に、荒井は眉をひそめた。福沢は、腕に引っかけた学生鞄と紙袋とは別に、何かを抱えるように持っている。それを隠そうとして身体をこちらに向けないのだろうか。福沢の歩く速度は少しだけ速くなって、これ以上荒井と距離を詰めないようにしていた。そんなことをされては「何か隠しています!」と言っているのと同じだ。荒井は手を伸ばし、福沢の肩を掴むと「ちょっと失礼」の一言だけで福沢をこちらに向けようとした。しかし福沢はぎゅっと身体を抱きしめるようにそれを隠す力を強め、嫌々と身体を振って逃げようとする。

「ちょ、ちょっと何するんですかっ! やですよ!」

ぐぐぐぐぐ。

「何って、こっちを向いて欲しいだけですよ」

ぐぐぐぐぐぐぐ。

「荒井先輩の方なら向いてるじゃないですかっ、ちゃんと顔見て話してますよぅ!」

ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ。

「あ。背けましたね? いま背けましたね? 目だけではなく、姿勢を正して話すのが礼儀だとは思いませんか?」

ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ。

「背けてませぇんんっ! わ、私いまちょっと忙しいんでっ、今日はここで失礼します、っていうか離して下さいよぉっ」

 ぶん、と腕を振り上げて福沢が荒井の手を払う。その時に身体が大きくねじれ、結果的に福沢の身体は荒井の方へと向く形になってしまった。「あ」とお互いが思った時にはもうそれが半分以上見えており。というよりも、腕を払った衝撃で半分がだらりとぶら下がっていた。

「……それ、」

 荒井の、誰かに盗まれたはずのマフラーだった。






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