*アパシー
*2011年坂上君お誕生日おめでとう記念

*坂倉





 時間は相対的なものだとアインシュタインは言ったけれど、時計の針の動きは電池がある限り昨日だって今日だって一秒後も二秒後も一秒前も二秒前もかわらずにカチカチカチカチと進み続けている。そこに違いを見出すことは恐らく出来ないし、時計の動きだけでその日を占うことは出来ない。アインシュタインの言う時計はきっと僕らひとりひとり個人の中だけに存在するので、世界共通で時を教える現実世界の時計は、今日も昨日も一秒前も一秒後も、かわなくチクタクと時を刻み続ける。電池がある限り。僕が電池を抜かない限り。

 カチ。
 60秒ぶりに、短針が仕事をする。

 時計が絶え間なく刻む一秒も、一分も一時間も、それが長いのか短いのか、僕にはよくわからなかった。昨日と同じく今日が進み、きっと明日になるだろう。昨日とさして、かわらない今日。夏が終わり秋のはじまり。けれど紅葉もまだで行事もなくって、夏に似た暑さと冬のような寒さが気まぐれに訪れる、中途半端な九月の中旬。特別だと思わなければ、そう感じなければ、ただの日常の一秒一秒の流れていく、九月の十八日。僕の、うまれた日。

 カチ、カチ。

 昨日とかわらない一秒が今日を紡いでいく。そのうち明日になるだろう。ただそれだけが、けれど十分であるような気もした。

「……いつからそんな悟った人、みたいになったっけ。まさか今日から……な、わけないか」

 流石にそれが、十五歳と十六歳の差、とまでは思わないけれど。もう高校生なのだから、大人なのだから、誕生日だという理由ではしゃぐのは子供っぽいと思った。ただそれだけだ。勿論、全然意識していないわけじゃなかった。カレンダーをめくって、八月から九月になったとき、確かに「自分の月が来た」と思ったし、何故かちょっと誇らしかった。けれど誕生日だからといって何があるわけでもないだろうし、この日は自分の為の一日、自分だけが主役の日、なんて想像は子供だけが抱いているべきだろうと思ったのだ。僕はもう大人なんだから。誕生日なんかでそわそわしない、はしゃがない。自分が特別だなんて思わない。その証拠に、今日を刻み込む時計の針は昨日となんらかわりなく動いた。昨日がそうだったように、今日もそうだし、明日もそうだ。穏やかな日々、優しい時間。もし誰かが今日の日を自分の誕生日だといってくれるのなら、にっこりと笑って「ありがとう」と言おう。そしてその人の誕生日が来たら僕も言うのだ、「お誕生日、おめでとう」と。


 倉田さんに名前を呼ばれると心臓が跳ね上がることを、自覚したのはもう何ヶ月も前のことだ。大なり小なり差はあるけれど、彼女に名前を呼ばれると僕の心臓はいつもとちょっと違う風に働くことを知っている。心臓は血液を全身に送り込むポンプだというのだから、彼女と話す時、僕は普段以上の血液を持って身体を動かしていることになる。だからこうして、名前を呼ばれて振り向くだけの動作でも、きっと普段の僕とは何かが違っているのだろうなとぼんやりと思った。

「こんにちは、倉田さん。倉田さんもこれから新聞部に行くの?」
「ううん、今日は用事があって部活には行けないの」

 ふるりと頭を振る彼女に、憐れなくらい残念がっている僕がいる。その気持ちは押し殺すことは出来なくて、「そうなんだ、残念だな」という言葉にして逃がすけれど、それ以上には見せたくない。今ここで会えただけでもよかったじゃないか。そうだろう。相対性理論。アインシュタインが本当なら、今から時間は早く流れ出すはずだ。どうか、ゆっくりになりますようにと僕は思う。次の瞬間にでも、「じゃあね」という言葉を残して倉田さんが走り去ってしまうような気もした。そうならないといいなって、ただそれだけを思っていた。

「坂上君、今日お誕生日なんですって?」

 けれど。
 彼女は足を止めたまま、放課後の廊下にたたずんでそう言う。

 なんでもない中途半端な九月のある日。
 それを、倉田さんは僕の誕生日と呼んでくれた。

 たったそれだけのことなのに、歓喜で背筋と心臓が、ちょっとだけ、痛い。

「うん、そうなんだ」

 僕は頷く。そんな僕を見て倉田さんがにっこりと笑ってくれた。じんわりと、あたたかいもので満たされていくのがわかる。その気持ちは僕の口角を知らずにあげて、目に見える風景を少し優しくかえてくれる。

「そう、おめでとう」
「ありがとう、倉田さ」
「って言ってあげるから、耳をふさいでもらっていい?」
「へ?」

 意味がわからず固まる僕に、倉田さんはにこにこと微笑みかけているだけだった。意味がわからない。だっていま、倉田さんはもう僕に「おめでとう」と言ってくれたじゃないか。はてなマークを撒き散らす僕ににこにこと笑う倉田さん。その笑顔が「早く」と訴えていることだけはわかる。わかるから頷こう、うん。

「……う、うん。いいけど……こう? これでいい?」

 彼女の真意はわからないけれど、別に困るようなことじゃないし。その分倉田さんと一緒にいられるならいいかな、なんて思っていた。恥ずかしい。そんなことを考えている僕はなんだか恥ずかしくてそれを誤魔化すように両手でぐっと自分の耳を覆う。すうう、とも、ぐうう、ともいえない不思議な音が鼓膜に響く。

「聞こえる?」

 それでも倉田さんの声はしっかりと届いていた。聞こえるよとそう答えて頷く僕に、倉田さんが呆れたような顔をする。

「それじゃあ意味がないじゃない。もっとしっかりふさがなきゃ」
「えー……うーん……、」

 まあ、確かにその通りだろう。僕は手のひらをもっと耳に押し付けてみた。しゅぅ、と空気を押し出して耳介が手のひらにくっついた。とくん、とくん、とどこからか鼓動が聞こえる。手の脈、ではないか。耳の奥だろうか。どちらにしろ僕の心音には間違いなさそうだった。とくん、とくん、「聞こえる?」、とくん、まだ聞こえてしまう。

「あー、あー、……うん。こうしてれば聞こえないみたい。あー、」

 自分で両耳をふさぎながら「あー」と声を出す僕。なんだかとても間抜けだけれど、これならようやく聞こえない。あー、と言い続ける僕の手に暖かいものが触れた。倉田さんの手だ。倉田さんが僕の手に自分の手を添えたのだった。驚いた僕は思わず手を離してしまう。

「く、倉田さっ、」
「ちゃんとふさいでて! 坂上君だけじゃ不安だから私もふさいでてあげるわ」
「え、えと……それは、ありがとう」
「どういたしまして」

 なんだかやっぱり何かおかしい気もするけれど、倉田さんの笑顔を見ていたらそんなのどうでもよくなってしまった。僕は手を戻し、倉田さんの柔らかい手が僕の手を覆う。とくん、とくん、とくん、うう、さっきより絶対、速くなってる。倉田さんの目が「早く」と言う。なんだかもうやけくそになってしまって、僕は大きく口を開いた。

「あー、あー、」

「……×××、×××××××××。×××××××××××××××××××。××××××」

 倉田さんが、何か言っている。「あー」とだけしか言っていない、口を大きく開けているだけの間抜けな僕とは違い、倉田さんの小さな口がちらちらと動くのが見える。声を出しているのがわかる、息を吸ったタイミングが見える、たまに見えた白い歯が舌の先がまばたきした次の瞬間には見えなくなりまた現れることにどきりとする。けれど聞こえない。何も聞こえない。僕はどんどん早くなる鼓動と近いのに遠くに聞こえる変な自分の声を聞きながら、そのことを少し、やっぱり寂しく思う。

「あー、あー、あー、」

「……×××」

「あ。あ、あー、あー、」

 今の、わかった。今のは僕の名前を呼んだんだ。何十何百と呼んでもらっている僕の名前。倉田さんの唇が僕の名前を紡ぐ為に動いたのを見て、僕はまた心臓が痛いぐらいに動いたのを感じた。なんでこんなに、と思う。倉田さんの手に僕の心臓の音が伝わっていないだろうか。それだけがとても心配で、僕は少しだけ声を大きくする。

「……××。×××××。××××。×××××××××××××××××××××××××××××××××××。××、××」

 気づかれたくないのは、どうしてなんだろう。いっそ倉田さんが僕の名前を呼んだことに気づいて、そのせいで僕がどきどきしたことに倉田さんが気づいて、そのことを指摘してくれたら。――けれどそうしたら、なんになるっていうんだろう。なんて言えばいいんだろう。

「あー、あー、あー、」

「××、××××。××、××××」

 あーとしか言えない僕。きっとそれを指摘されたところで、他の言葉を言える環境であったとしても、きっと何も言えない僕。言葉って、結構窮屈だ。僕の語彙が足りないだけなのかも知れないけれど、僕が僕自身の気持ちにうまく向き合っていないから、言葉としてうまく表せずにいるだけなのかも知れないけれど。それにしたって。伝えられないって、なんだろう、こう、苦しくて、切なくて、やっぱり悲しいものなんだろうな。

「××、××、×××××××××。×××××」

「あー、あー、あー、」

 例えばこの「あー」で、「君が好きです」と伝えられたら、と考えてみる。いや、伝えられない。言葉というのはつまるところ、相手とのコミュニケーションツールだ。「あー」という言葉に僕の想いを乗せたところで意味はない、伝わらない。僕が伝えたいのってなんだろう、と考えてみる。すきです、と言いたいんだろうか。違うんだろうか。断れるのが怖いだけなんだろうか。そうかも知れない。すきです、という意味を込めて、「あー」と声を出してみた。すきです。すきです。倉田さんには届かない。やっぱり、きちんと言わないと、意味なんか、ない。

「……×××、×××××。×××」

 また、最後に僕の名前を呼んでくれた。それだけでなんだか幸せすぎて泣きたくなってしまう。倉田さんの口が閉じて、それからふぅと長く息をついた。倉田さんの手が、ぬくもりが僕の耳から離れていく。ほんの少しだけ冷たい空気とがやがやとした喧騒が耳に帰ってくる。

「あー、あー、……えっと、もういいの?」

 自分の耳からゆっくりと手を下ろして、僕はそう問うた。僕の誕生日が冬だったらなと思う。鏡を見てなくても耳が赤くなっていることが想像できる。冬だったら誤魔化せたのに。再び耳に触れそうになった自分の手を慌てて下ろすも手持ち無沙汰だ。何も持っていないのに何かを握るような素振りで、苦笑い。
 そんな僕にくすくすと笑いながら、倉田さんが優しく微笑んだ。

「ええ、おめでとう、坂上君」
「ありがとう、倉田さん。って、あれ? ……? 今日はたくさんおめでとうって言ってくれるんだね」

 僕が耳をふさいでいる間、倉田さんはずっとおめでとうって言っていてくれてたはずなのに。耳から手を離した今でも言ってくれるなんて、倉田さんは優しいなぁ、優しいしやっぱりちょっと不思議だ。僕が耳をふさいでいる間、彼女はなんて言ってくれていたんだろう。

「ええ、お誕生日だもの。特別、ね」

 特別。
 今日の日を、僕の誕生日だというだけで倉田さんは特別だと言ってくれるのか。それだけで何にもかえられないくらいに幸せなことだと思えた。昨日も今日も、さっきも今も、一秒が長いか短いか僕にはわからない。特別だ。そう思わないと普段とかわらず一秒一秒に流されて塗り潰されて終わってしまう九月の十八日、僕の誕生日。

「なんだかよくわからないけど、たくさんお祝いしてくれてありがとう、倉田さん」

 部活へは行かないという倉田さんと部室へ向かう僕とは、あと数十メートルで今日はもうお別れだ。倉田さんがおめでとうと言ってくれて、残り数時間の今日も特別な日でいられるようなそんな気がした。倉田さんも、僕と別れておうちに帰ってからも少し特別でいられるといいなってそんな風に思う。階段が見えてきた。倉田さんはあの階段を下りて玄関へと向かうだろう。それは時間にしたら何秒後のことなんだろう。あと何秒、今日倉田さんと一緒にいられるんだろう。カチカチ、どきどき。倉田さんの中の時計は今速いんだろうか、遅いんだろうか。聞いてみたいけれどうまく質問出来なくて、ただいつか、倉田さんの時計と僕の時計が同じような時間を刻むようになったらいいなってそんなことを思うのだった。



「……本当に何してるのかしらね。なんでもかんでも言うこと聞いちゃって。バカなんだから」

「……坂上君」

「……ばか、本当にばか。お人よし。そんなんだから先輩達にからかわれるし目つけられるし霊に襲われるのよ。本当、ばか」

「好き。だいすき。ばか、だいすき」

「本当、なに、やってんのかしらね。ばかみたい」


「……誕生日、おめでとう。坂上君」


top

-----------
*坂上君、2日遅れですがおめでとうございます!
*そしてこれ、たぶん日野先輩やら語り部やら数名が目撃していてこのあと坂上君わちゃわちゃにされます


*わちゃわちゃおまけ。

「ケーキを用意、したんだが……どうやら坂上には不要みたいだなぁ」
「え、僕ケーキ好きですよ。ってなんで没収なんですかっ」
「普段運がなさ過ぎる君にあんまり色々あげたらねえ。明日朝からズボンに水かけられたりガム踏んだりしそうだよねぇ」
「そうそう、明日坂上君が死んじゃったら嫌だもんねー」
「そこまでのレベルで!?」
「ケーキくらい食べさせてあげなさいよ。誕生日なんですもの、それに見合う幸運を手に入れても誰にもそれを批難する権利はないわ」
「そうだぞ日野、さすがに誕生日に『いただけませんか』はねぇよ」
「そうですよ。それにみんなで食べるんだし、坂上君だけに不幸なんかこないよ」
「ではいただきましょう。坂上君、おめでとうございます。末永く爆発してください」
「!? 明日じゃなくてこのケーキがもしかして何か入ってます!? ねえ!」

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -