どうやら結構なアホが頑張って設置した罠らしい。なんだか、色々と残念な気分になりながら靴を持ち上げ、他に以上がないか確認する。うん、濡れてもないし中に何も入っていない。底に輪ゴムがくっつけられた以外はいつもと変わらない俺の靴。たまに変な匂いのする液体でずぶ濡れになっていたり中に画鋲や釘が入っていたりすることがあるけれど、それは今回の輪ゴムを仕掛けた奴とは別っぽいな。少なくとも二人、俺の靴に嫌がらせをしている奴がいるということなのか。新堂、ではないだろう。あいつはこんな回りくどくて陰湿なことはしないはずだ。俺のことを殴ったりさっきみたいなことを耳元で囁いたりすることはあっても、こういう女々しいことはしない、はず。

 女々しい、ということは女の犯行だろうか。女――ああ、いけない。岩下を待たせることになってしまう。俺は輪ゴムを無視してそのまま靴を履き、歩き出した。足の裏が奇妙に不快だったが、じきに擦り切れてなくなるだろう。

「神田君。ああ、よかった、来てくれたのね。もう少しで貴方を待ってしまうところだったわ」
「ごめん。靴を履くのに手間取って」
「ふふ、小さな頃からずっと、それも毎日履いてるというのに? 貴方ってやっぱり面白い人ね」
「そう? 岩下がそう言ってくれるなら嬉しいよ」

 そう言うと、岩下はどこか満足そうに笑った。

「なあ――岩下は、俺のどこが好きなんだ?」

「珍しいことを言うのね。急にどうしたの?」
「別に、どうもしてないさ。ただ、聞きたいと思ったから。ダメか?」
「ダメなんて言っていないわよ。いいわ、教えてあげる――」

 そして、岩下は言った。俺のどこが好きなのか。俺のどういうところが好きで、何故好きになったのか。

 形の良い唇で、透き通った、けれどどこか力強いきれいな声で。俺のことを語る。俺の話を紡ぐ。

 けれど、聞けば聞くほどに、岩下の言う「俺」が、本当の俺であるとは思えない。岩下の観測した俺が、俺の知っている俺とイコールで結んで良いとは思えない。俺は、そんな人間じゃない。岩下の中の俺は、岩下のものであって。俺とは違う。俺は、岩下の中にはきっと、存在していない。

 俺にはわからなかった。俺には、岩下に付き合える程の価値が、どこにもない。新堂に憎まれる程の価値もない。執拗に嫌がらせをされる程に恨みを買う覚えも、俺にそこまで時間を割く程の価値があるとも思えない。日野だって、あんなに頭が良くて要領が良くて面倒見が良くて、あんな立派な奴の親友なんていう位置が。隣にいる価値が、俺にあるとは到底思えない。

 それなのに。どうしてだろう。

 どうして岩下は、俺と付き合っているんだろう。俺のことを好きだと言ってくれるのだろう。
 どうして新堂は俺を憎み、怒っているんだろう。俺のことをあんなにも嫌っているのだろう。
 どうして俺の靴に嫌がらせをする誰かさんは、俺なんかに熱心に嫌がらせを続けるのだろう。
 どうして日野は俺と仲良くしてくれるんだろう。俺のことを親友だと言ってくれるのだろう。

 俺には到底思えない。俺に価値があるとは思えない。どの価値があるとも思えない。どれもこれも彼や彼女の時間の無駄ではないか。そう思うと、可哀想だった。俺なんかに可哀想だと思われている岩下や新堂や日野や輪ゴムや画鋲の誰かさんが可哀想だった。どうして、どいつもこいつもあんなにも熱心なんだろう。俺にはわからない。ああ、日野なら教えてくれるだろうか。あいつは頭がいいから。親友だから。こんなバカみたいな相談にも真剣な顔でのってくれるだろうか。

「神田君。好きよ、好き。貴方のことが、好き」

 通学路の途中。公園を出る間際に、岩下が木陰へ一歩足を進め、振り替え際に俺にそう言う。好きよ。好き。好き。あなたが、好き。

 岩下の名前を呟きながら、俺は彼女のことが好きなのか考えてみる。岩下は、俺には勿体無いくらいの人だと思う。美人だし、きっと、本当に彼女は俺のことを想ってくれている。けれど思う。本当に、それは俺のことを想っているのかと。彼女が好きな俺は、本当に、俺なのか。彼女の好きな俺など、本当は、俺の中には――彼女の中以外には、存在していないんじゃないのか。

「岩下、」

 抱きついて来た岩下の身体は柔らかい。俺はそれを受け売って、ああ、違う、受け入れて。そっと抱き返した。さっきまで俺への愛を紡いでいた唇がもう一度「あなたがすき」だとそう動いて、俺の唇にそっと触れた。女の子の身体は、どこもかしこもやわらかい。そのことがどうしようもなく、悲しい。なんていうか、申し訳ない。ごめん、岩下。俺なんかを好きでいてくれて、ありがとう。本当にありがとう。これだけは、本当だ。

「……神田君。たまに苦しそうに笑うのね。私、その顔がとても好きよ」

 新堂にも言われた。真逆の言葉だったけれど。その笑い顔がムカつくと吐き捨てられたことがあった。たぶん、俺はその時も今も、同じような表情をしていたと思う。ああ、鏡。みたくないな。岩下の大きな瞳に俺の姿が写っている。よく見えないけれど見えてしまうのが嫌で、俺は曖昧な笑みを浮かべたままさりげなく視線をずらした。

 死んでいないなら、俺にはまだなんらかの価値があるのだろうか。本当に、あるんだろうか。
 だったら早く教えて欲しい。まだ俺は、生きているのだから。俺が不要になる前に、カミサマに不必要だと思われる前に。俺が今この世界に本当に必要だというのなら、その意味を早く、教えてくれ。カミサマ、この世界は住みにくすぎる。いきているのが窮屈だ。どうしてみんながあんなに必死なのか。熱心なのか。さっぱり全然、わからないんだ。死にたいわけじゃない。自殺したいとも思わない。けれど、自分に、何か価値があるだとは、とてもじゃないが思えない。いらない人間を一人選べというのなら、きっと一番に自分が選ばれる。そうに違わないって、そう思ってしまう。

 こんなに好きだと繰り返してくれている岩下だって、きっと、俺のことを必要とは思ってくれないだろうと思う。

『なんで俺なんだ?』

 その想いが、誰にせよ、なんにせよ。消えない。

 唇が一瞬離れて、「はなさないわ」と岩下が囁いた。その言葉の通り唇はまたすぐに塞がれて、そういえばここは通学路なのにどうしようとようやくそのことに思い当たる。まあ、いいや。だって岩下が離してくれない。俺は誰かの視線を感じながらも、気づかないふりをして、次に唇が離れたら、なんて言おうかと考え始める。俺も好きだとはまだ言えない。じゃあせめて、そうだな。ありがとうを言おう。ありがとう。ありがとう。好きになってくれて、ありがとう。唇が離れる。ふんわりとした甘い香りの中で、俺はゆっくりとこう唇を開いた。笑っていえたはずだと、そう思う。



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*神様=日野様。
 死刑!的な意味です。

*神田さん偽物過ぎて重ね重ね申し訳ございません…… orz

*遠くからの視線は恐らく片思いの方からです。


*福沢さんと日野様、どちらが浮かんだかによってあなたの精神状態を占うことが出来ます(嘘で、い、いや、カッターはやm


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