*新堂さんのお誕生日記念。

*アパシー(な気がします)
*よいこのみなさんはまねしてはいけません!




 これはたぶん夢だろうとぼんやりそう思いながら突っ立っていた。見たことない世界見たことない町並み、なんというか昭和初期とでもいうべきなのか、見覚えのない古臭さをまとった町だった。店が列なっているところを見ると、商店街なのだろう。けれど人通りは少なく、たまに白い猫が道を走っていくくらいだ。

 ここはどこだろう。どこもかしこも、白い霧をまとっていた。夢だから、だろうか。

 ちりんちりん、と音がなる。目を遣るとどこの店にもガラスで出来た風鈴が飾られていて、それがちりんと涼しげな音を立てていた。夏だったのか、と俺は思う。そうだ、そういえば今は夏だった。けれどこの町には温度がないから暑いのか涼しいのか、風が吹いているのかさえもよくはわからなかった。目の前の道を、髪の長い女が歩いていく。彼女が白い浴衣を着ているのをみて、ああやはり今は夏なのだと俺は思う。背の高い美しい女だった。どこかで見たような気もするが、その名前は思い出せはしなかった。

 何の気なしに、彼女を目で追い、目で追えなくなった俺は彼女を追いかけて足を進める。しばらく歩いた先の果物屋で、彼女は足を止めた。俺もそれを見て足を止める。果物屋。軒先においた木箱には、子供が一人腰掛けている。子供、でもないか。けれど背の低い、なんだか弱そうな男だった。こいつもまた見覚えがあるような気がするが、思い出せない。

 女は果物屋に声をかける。果物屋は背の高い美人に声をかけられたことを驚いて、文字通り跳ね上がった。いくつかの会話を交わして、果物屋は顔を赤くしたり何度も頷いたりする。しばらくして彼は果物を閉じ込めた色とりどりのゼリーを袋へ包み、彼女の指差す方を見て頷いた。

「着いていってしまうんですねぇ、可哀想に」

 気がつけば。俺の隣に誰か、男がいた。けれどそのことに俺は別段驚いたりはしなかった。

 ただ、「ああいたのか」といそう思っただけで、それ以上の感想や関心は何一つ浮かばなかった。黒い服を着た男はひどく猫背で背が低く、こいつも見たことのあるような気がするのだが、やはり思い出すことは出来なかった。

「かわいそうなのか?」

 何気なしに俺が問うと、隣の男は頷いた。

「可哀想でしょう。彼はもう帰っては来ませんよ。彼は真面目で良い人間なのですが、同時に無力で無知で愚鈍です。考えてもごらんなさい。あのような女性が、彼になんの用があるというのです。彼には『荷物を運んで欲しい』などと言っているようですが、有り得ませんね。それなら奥に何人も、得意そうな人間がいるでしょう? なんなら、貴方にだって構わない。けれどどうでしょう。彼にはどうにも不適切ですよ。ほぅら、既に足元がふらつき腰が引けていますよ」

 よく見ると、確かに店の奥やこの通りには、他の人間が幾人もいるようだった。気づかなかった。目の前を、再び白い猫が駆けていく。

「なら、あいつに話でもあるんだろうよ。運んでほしいものがあるなんて、そんなのはあいつを呼び出す為の手段だろ」
「なかなか賢いんですね、その通りです」
「……喧嘩売ってるのか?」
「とんでもない。僕は純粋に貴方の思考力を褒めただけですよ」

 肩をすくめて目の前の男が笑う。不気味な笑い方だったが、それもいつものことなのだろうと思えた。

「あの女は、誰なんだ? あいつらはどこへ行くんだ?」
「そしてどうなるのか。ですか。さあ、わかりません。ただ僕の中にはいくつかの未来が予想という形で見えていますが――どれも禄でもないものであることはお伝えしておきますよ、イヒヒ」

 へぇそうかい。と俺は思う。それ以上のことは、頭も身体も働かなかった。

『おや、見捨てるんですか。残酷ですね。しかしやはりあなたは賢い』
『おや、助けに行くんですか。愚かですね。しかしそれもあなたらしい』

 気がつけば、どういうわけなのか男が二人に増えていて、どちらも違う未来のことを言う。ただ、どちらを選んでもバカにされ中途半端に褒められているというのはどういうことなのか。視界のずっと奥では、彼と彼女の小さくなった後ろ姿が見えていた。だから俺は、

「残念、時間切れだよ」

 突然だった。

「うわッ、」

 ふいに声がしたかと思うと、足元の床が抜け、俺の身体はそのまま真下の闇へと落ちていった。

 床? いや、俺は外にいたんじゃなかったのか。足を動かすと素足のようだった。暗い。真っ暗だ。何も見えない。

 下に、そのまま、直下に。落ちていく。落ちていく。おちて、らっか。びぅううう、そんな風の音を聞いた。

「ご、ごめんなさいごめんなさい怒らないで下さいね」

 誰かの声。それを嘲笑う甲高い笑い声。
 違う、嘲笑われているのは俺の方なのか。
 それとも、いや、謝られているのも俺か。誰、だ?

「さあ早くしろ運べ運べ時間がないぞ!」

 運べといわれてもここには何もない。ただ暗い、暗い。

「大丈夫なの?」
「死んじゃいませんか?」
「このくらい平気じゃないの、いいんじゃない」

 さっきから聞こえてくる声は誰なんだろう。
 誰だと大きく怒鳴ってみたが、俺の声は俺の耳には聞こえなかった。

「少なくとも、俺の中のこいつはそのくらいじゃ死なないな」
「でも先輩」

 落ちていく、この穴はどこまで続くんだ。
 穴の中は相変わらず暗い。何か見えるようで。何も見えない。 

「だって起きないんだもんねぇ」

 ぐらぐらと頭を揺り動かされる感覚に襲われて俺は吐きそうになる。
 もうやめてくれもうやめてくれ、叫びたくても声は相変わらず出てこない。

「起きないですね、えいえい!」
「こらこら」

 真っ暗闇の世界で、何かが見えた気がした。それは肌色で、手のひらのように見えた。

「しんどー」
「しんどう」
「しんどうさん」
「しんどうくん」
「しんどうせんぱーい」
「しんどう、しんどーっ」

 誰の名前だ誰の名前だ誰の名前だ。
 そうか、それは俺の名前だっただろうか。

 たくさんの手のひら。一面のてのひら。てのひらてのひら。にゅっとのびた手とてとて。

 そのどれを掴んだらいいのか。俺にはわからなかった。暗い世界が少しずつ色を帯びていく。人影が見え、手の奥の腕や身体が形となって誰か知っているような一人の人になっていく。

「新堂さんっ!」

「……倉田?」

 そうだ。目の前にいるこいつは、倉田だ。倉田恵美。二つ下のちっちぇ、俺の後輩だ。

落ち続ける穴の中で、目の前に現れた倉田の手を掴む。倉田は一瞬だけ驚いたような顔をして、それからにっこりと、嬉しそうに笑った。ああ、そうか、と思う。さっきから聞こえるこの声と、さっきから見ていたあいつらは、俺の、

せー、えー、のっ

 ぶぅん、と、風を切る音と、
 一切の力を入れていない無防備な四肢が、自分の意志を無視して動く妙な感覚を、
 確かに聞いて、確かに感じた。






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