*福沢さんのお誕生日記念。

*荒←福
*SFCでもアパシーでも。ただし、ゲームの話題が少しだけ出て来ます。




 そういえば今日は弁当がないんだった。四時間目終了のチャイムが鳴り終わってからゆっくりと席を立ち、よく石鹸を泡立てながら手を洗った後に再び席に着いた荒井は、学生カバンの中を開いて、ようやくそのことを思い出した。弁当がない。このままでは昼食を食べることが出来ない。昼食を食べたければ、つまり買いに行かなければならない。カバンを開いたと同時に、朝の記憶と当たり前のその方程式が頭の中に浮かんで消えた。

 らしくない、と荒井は思う。

 考えごとをしていたとはいえ、たいしたことではないとはいえ、物事を忘却してしまうまでに自分は惚けていたのかと。やれやれと溜息にも似た息を吐き出すと、今度は自嘲にも似た笑みが浮かんできた。馬鹿げた話だ。そうだろう。そしてそう思うのなら、これ以上思考を巡らせることは無意味だし、自身に対して利益にはならない。むしろ、そう、毒なのだ。現に今、こうして気だるい気持ちに曝されて、人ごみの中に身を投じなければならないのだから。

 校舎内を進むにつれ、目につく人の姿が増していく。目的地に着いた頃には、人人人人人、人しか見えないような状態だった。隣接した購買部と食堂はどちらもうんざりする程の人で溢れていて、例に洩れず荒井はそれを見てうんざりする。最前列ではパンが飛び交っているようにも見える。幻覚ではなく現実である。最後のメロンパンがどうだとかテメェはコッペパンでも喰っていろだのそういう叫びが聞こえてくる。最後のひとつだと思われるメロンパンはぴょんぴょんと複数に渡り宙を舞い、クリームパンなどがそれの後を追い始める。一体何をどうすればそうなるのか、荒井には理解出来ない。やはり通学路でコンビニにでもよるべきだったのだ。話には聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。常に弁当や、事前に購入したパンなどを食べていた荒井には今までの学園生活で縁の無かった世界である。

「あ、荒井先輩じゃないですか! 荒井先輩こんにちはーっ!」

 がやがやとうるさいその世界で、覚えのある声が鼓膜を振るわせた。
 いきなり自分にかけられたその声に、荒井は少しだけ身を震わせる。

「……誰かと思えば福沢さんですか。こんにちは」

 振り向くと、そこには福沢がにこにこと笑いながら立っている。手に持った小さな手提げカバンには、ピンク色のいかにも、といった感じの財布が入っている。カバン自体も、今時の女子高生、もとい福沢が好みそうな装飾が施された少々派手なものだった。福沢風に言うと「超カワイイ」アイテムだが、荒井としては「うるさい」という意味合いで、しかし「福沢によく合っている」と思えるものだった。自分に合ったアイテムを知っている、という意味では福沢はすごい人なのかも知れない、とも荒井は思う。同時にそれはとても幸福なことかも知れなかった。荒井には、理解し難いものではあったけれども。

「荒井先輩は購買に行くんですか? それとも、誰かと食堂で待ち合わせ?」
「購買にパンを買いに来たんですが……すごい混みようですね。パンひとつ買うのに一体何分待てばいいのやら」
「え、やだっ、パンなんてもうないですって! パン目当てならチャイムと同時に走らなきゃ間に合わないですよぉ、今行ってもコッペパンくらいしかないんじゃないかなぁ」

 しかも、ジャムとかバターとかなしですよぉ、
 素パンです素パンっ、コッペパンの素パンっ、

 先程の暴言の意味がようやくわかり、荒井はなるほどと内心一人ごちる。長い列を並んでコッペパンとは、いくらなんでも遠慮したいところである。そうであれば、この列に並ぶ必要はない。飲み物は自販機で買えばいいし、菓子類には最初から用はないのだから。

「荒井先輩、そんなのでよく今までごはん食べれてましたね……」
「普段はお弁当を持ってくるもので。昼食時に購買は利用しません」

 そんなのとは、まったく失礼な話である。
 福沢の目つきがどう見ても同情のそれだったので、荒井はゴホッ、と咳をして遠回しに非難するが、遠回し過ぎるのか福沢には何の効果もない。本当は気づいているのだろうと思うと、その方が遣る瀬無い、とも思う。そんな荒井は笑顔でスルーして、福沢は言う。

「なら、私と一緒に食堂で食べません? 食堂なら売り切れはないですし、ラーメンとかうどんとか麺系を食べてる人達の席がすぐ空きますから」

 麺系、という単語に酷く違和感を感じつつも、福沢相手に言葉の指摘をした方が面倒なことになりそうだと思った荒井は、その単語自体を聞かなかったことにして、取り合えず頷いた。

「僕は別に構いませんが……福沢さんこそ、誰かと待ち合わせでは?」

 それがどれだけの間柄かどうかは知るよしもないが、福沢の交友関係は広いものだろうと荒井は思っていた。恐らくは浅く広くなのだろうが、それなりに広い顔で良い人を演じているのだろう、と思う。

 たいして、荒井は自分の交友関係が非常に狭いことを認識している。そして、対人関係がうまくないことも。いや、うまい下手以前に、見知らぬ相手と話すことなど苦手だ。好きじゃない。福沢が誰かと一緒ならば、その相手と一緒に食事をするなど是非ともご遠慮したいところだった。そんなのは、一人で食べる方がずっとマシだ。

 しかし福沢の周囲に人はおらず、福沢自身も笑って言う。

「いいえ、一人ですよーっ、今日は誰とも約束してないんで。私も今日お弁当なしだったから、何か適当に買ってクラス回るか、食堂で知り合いがいたら一緒に食べようと思ってて」

 そしたら、荒井先輩に会えました。だからこれでいいんです。ある意味計画通り、みたいな。ううん、計画以上かな。きゃはっ

 嬉しそうに福沢は笑い、荒井は返答に詰まる。こういう時の返答は三点リーダの羅列と決まっていて、それをわかっている福沢は返事を待たず、ご機嫌な様子で食堂の方へと踵を返した。






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