20140920


ほう、と淫魔が目を細めた。
どうせ出来やしないのだろうと笑われた気がして、なによと言えば……拍子抜けする程にあっさりと、淫魔は祝福の言葉を口にした。

「どうしたの……ドSさんらしく無いっていうか、何、なんか変なものでも食べたわけ?」
「へえ。せっかくこの俺が優しくしてやったというのに、お前はそーんな失礼なことを言うわけだ」

いや、だから。その情事の最中でもないのに優しくしようってこと自体が、充分おかしいと思う理由なんだけど。

「お前みたいな年の女なら、珍しくもねぇだろうが。まあお前相手に一生を誓うような物好きが居るってのは、正直かなり笑えるけどな」
「いや、まあ、まだ別に決まったわけじゃないし……ただ、そんな感じになるかなーっていう期待だけで……」

失礼な言葉への反論よりも先に、いろいろと予想外すぎて……パチパチと間抜けなまばたきを繰り返してしまった。


    ***


「結婚するかも」

なんとなく、今日のデートの雰囲気が良かったから。理由はと言えば、それだけだ。
思いついただけの確証も何もない段階だけれど、だからこそ。惚気ついでにポンと言ってみたのだ。「結婚」なんて言葉を浮かれて使ってみたくなったのだ。
だいたい、この年になれば、「うっかり」な冗談でも言えない一言である。高校生が「私、誰それ君と結婚する!」と彼氏を指すのとは崖っぷち度が違う。
たとえ冗談めかしても親兄弟なら期待するだろうし、面倒くさい。特にその後の展開次第では、よけいな混乱や失望まで生むだろうことは目に見えている。
友人相手もそうだ。いつの間にかちらほら増えた家庭持ちの友人はもとより、独身仲間だって一時のネタとして軽くは躱してくれない。
腫れ物に触るように扱われるのも、心底哀れむような目を向けられるのも、いつまでも蒸し返しがいのあるネタとして遊ばれるのも、御免だ。

でも、言ってみたい。
ちょっと、はしゃいでみたい。

そんな時にうってつけなのが、この淫魔の青年ですよ。
ただでさえ人外で、当然感性も違うし、歩く社会もルールも違う。私の現実とはちっとも絡まない。
それなのに話自体は理解してもらえて反応があるという、話し相手にはうってつけの人選だ。
しかも、どうせデフォルトからして酷い扱いなのだから、言って笑われようが後で笑われようが、いつものことと思って済ませていられる。

……という、冷静に考えれば結構酷い事を考えながら、言ってみたいという衝動のままに、会話のスパイス程度の認識で投下した言葉だった。
だというのに、肝心の淫魔からの反応はまさかの祝福の言葉ときたものだ。おかげで今、私は大変にびっくりしている。


  ***


「おいおい、そんなに喜んでるとこ悪りぃけど、ただの社交辞令だぜ」
あ、うん大丈夫。それくらいはわかる。というか、その社交辞令が言える事自体に驚いているのですが。
「あ? 失礼なことばっか言ってるとどうなっても知らねぇぞ……って……ああ。なるほど。つまりお仕置き希望ってわけか?」
まったく。虐めて欲しいなら最初っからそう言えよ。などという不穏な言葉を最後まで聞く事無く、慌てて首を振る。
慢性的に不足しているのは優しく触れてくれる手であって、お仕置きや虐めなんてのは常に供給過多に陥っている。
「ていうか、もっと驚くとか、気にするのかと思って」
「フン。言っただろう、その年なら子持ちも珍しく無いぜ? お前だって、結婚でもなんでも出来るうちにしといた方がいいだろう」
珍しく無いというのはただの一般論か、それとも「お食事」の相手としての経験か。聞いてみたいと思ったものの、尋ねる機会は訪れなかった。
なぜなら、もっと食いつかなくてはいけない問題発言が、さらりと投下されたから。

「ああ、だがな、気にはしているぜ。なんたって初夜が楽しみだからなぁ。神前で誓いを口にしたその夜、お前が花婿に抱かれた後で……たっぷり犯してやるのさ。
 夫婦で身を寄せ合って眠りながら、実は花嫁は夢の中で淫魔相手に浅ましく腰をくねらせているってわけだ。ハッ、堪んねぇなぁ」

クククと心底愉快そうに口を歪める淫魔の姿に、さすがに皮膚がざわりと泡立つ。
彼との結婚生活どころか子供なんて、まだぼんやりとしか想像できないけれど、でもその想像はきっといつだって……陽だまりのような幸福感とセットの筈なのに。
ある意味、下手に馬鹿にされるよりダメージを受ける反応だ。私の笑っちゃうくらいに能天気で綺麗な未来予想図を、どどめ色で乱暴に塗りたくられた気分だ。
けれど腹が立つというよりは、ああこの男はどこまでいってもやっぱりこの男だった……と妙に納得してしまう。相変わらず、人間を見下している上に餌場としか思っていない。
プライドが高い分、他人の女には興味無いとか言ってあっさり去るのではと思ったが、逆に燃える方だったとは。しかし、それにしても。さすがに発想が悪趣味にも程がある。
浮かれ気分も吹っ飛んで、今はもうただただ引いている私だったが、肝心の淫魔はというとそんなことを気にもしていない。

「そうだなぁ、どうせならガキは女がいいよな。お前のガキなら、味にも期待できるだろうし。そうすりゃ……ガキが女になる前に、俺が食ってやるよ。
 ガキは本来趣味じゃねぇんだが、その方が楽しいだろ? 人間の男を知る前に、淫魔の俺にすっかり雌犬にされるってわけだ。ハハハ、堪んねぇ」

いいことを思いついたと瞳を輝かす美男子。未来への希望がいっぱいで、全身全霊で嬉しそうだとわかる美形。
そんな絵は目には麗しいけれど、残念ながら聞こえてくる内容には麗しさの欠片も無い。音声機能をオフにしたいと切実に思う。
ついでに言えば、麗しく無いのは言葉だけではない。わざわざ目や手で確かめるまでもなく、そのズボンの内側がどうなっているのかも想像がついてしまう。
そして、昂った男に、この後の自分がどんな目に遭わされるのかも……。

けれど、せめてその前にこれだけは言っておかなければ。
恋に浮かれた女の、ささやかで可愛らしい楽しみを台無しにしてくれた淫魔に、これだけは言っておかなければ。
「ドSさん」
ここぞとばかりに名前を口にする。私が付けた、私にだけ呼ぶ事が許された、「私の淫魔」の名前を口にする。
絡み合った視線をそらす事無く、まっすぐ見つけて……私はゆっくりと口を開いた。

「……最低」



  


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