「ルイちゃん、おかえりー!」

 司令室は、いつ来ても書類や本で溢れかえっている。訪れる度にどこから声がするのかわからなくなるのだ。

 積もった紙の影から顔を出したコムイは疲れているのが見てとれたが、笑顔で久方ぶりに帰還したエクソシストを出迎えた。

「イノセンスの回収お疲れさま、怪我はないかい?」
「乱戦になる前に潰してきたので、お構いなく」
「はっはっは、実にキミらしい!リナリー、連れて来てくれてありがとう」
「コーヒー淹れ直してくるわね。ルイにも」

 奥に消えるリナリーを見送りつつ机に近付くと、身なりを整えながらコムイも自分の指定席に落ち着いた。
 袖にしまっていた、回収したイノセンスを入れた小箱を取り出してみせる。

「これはどうすれば?」
「ボクが預かるよ」

 机の上に置くと、コムイは代わりに書類を差し出した。
 受け取って、向かいのソファにどっかりと腰を下ろす。(『もっとおしとやかになさい!』と注意する者はこの場にいないため、粗忽な態度を叱咤する声はなかった。)

「久しぶりの本部だ、ゆっくり休んで……と言いたいところだけど、直ぐに次の任務に行ってもらいたくてね。ソレがその資料だよ」

 当人も受け取った時点でそんなことだろうと思っているので、資料をパラパラとめくった。慣れからざっと見て任務の概要は理解できる。

 イノセンスが起こしていると思われる奇怪の調査、回収。いつもと同じだった。

 意外と普通な中身で、はっきり言って拍子抜けだった。
 室長自ら任務通達なんて言い出すから、一体どんな難題が振られるかと気を張って来たというのに。

「噂を知ったのは昨日なんだが、探索部隊を送っている猶予はないみたいなんだ。調査からお願いすることになるけど、いい?」
「構わないけれど……コレだけなら、わざわざ呼び戻さなくてもいいでしょう?」
「いい質問だ。確かに、“ただの奇怪だけなら”、キミを派遣する必要はないね」

 意味深に微笑むコムイを見返し、改めて渡された資料に目を通す。
 今度は慎重に、読み進めていくと……1度目には気付かなかったが、地図に目が留まった。そして、記されているとある数値を見て、納得する。

(……あぁ、なるほど。そういう脚本なわけか)

 自分という存在が居る以上、どうあっても多少の改変はやむを得ないだろうと予想はしていた。
 アレンも入団したことだし、これからは控えなくてはいけないと思っていたけれど……なかなかどうして、儘ならないことだと。
 口元が緩むのを、抑えることはできなかった。

「わかった。直ぐに向かいましょう」
「急かして悪いね、よろしく」
「いーえ、任務ですから」

 立ち上がろうとして、ふとあることに思い至る。先ほど話をしていたこともあり、連想したのかもしれないが。

 地図に示された地名を見直すと、有り得ないくらいの近さであることもあり、時間的にもぴったりだった。
 これは、期待しても、いいのだろうか。

「ん?何?」
「いえ……大したことじゃないけれど」

 口に乗せるか、少しだけ迷う。――それは、自らに科している枷。
 誰に知られることもない、決して越えてはならないとしている一線が。自分には存在する。

 しかし、この機会を逃したら、『彼』に関わる機会は相当に喪われるに違いなかった。
 できることなら、当然会ってみたいし話してみたい。
 それが、自分には許される行為なのか……躊躇しながらも、資料から顔を上げコムイを見据える。

「今の任務が終わったらで構わないから、新しく入ったクロス元帥の弟子、回して貰えないかな?」
「……え?アレンくんを?」
「そう。アレン・ウォーカー、今マテールに居るでしょう?」

 まったく予想外の名前が挙がったことに、コムイは目を丸くする。
 
 枷がある自身にとって、同じ任務につけるかどうかは賭けだった。
 それでも、こうも好条件の機会がまたあるとは思えない。多少強引にでも通したい。

 コムイは「うーん…どうだろう…」と彼にしては珍しく歯切れの悪い返事をした。

「今、ちょっと状況が状況らしくて……マテールから動けないらしいんだ、あとどれくらいかかるのか分からない」
「3日」
「…3日?」

 提示した日数の意味を聞き返され、思わず苦笑する。

(ああ、これは、フェアじゃない)

 自覚はしている…けれど。
 
 徐に開いた扇で苦笑を隠し、意識して、表情と『言葉』を変える。
 コムイはその意図を察して、瞠目した。

「今日を含めて3日で、マテールの一件は終結します。それに間に合うよう調査は済ませますし、彼は怪我人の上、第2開放を会得したばかりで体への負担も大きい」
「――!」
「怪我に障るような事態には決してしません。そもそも、発動をさせることもないでしょう。それで、いかがでしょうか?」

 その場に居たわけではないのに、まるで全て見ていたかのような口振りで。
 先ほど報告を受けたばかりの情報を言い連ねる目の前の少女に、今更ながらコムイは思い知らされる。

 忘れてはならない――ルイは、普通の少女ではないことを。

 表情を一気に引き締めたコムイは、室長の顔をしていた。

「…他でもないキミが言うのなら、マテールの件はそうなるんだろう。3日後、彼をそちらの任務に派遣すること自体は、難しいことじゃない」
「それなら、」
「しかし、キミの任務に彼を同行させることが、どういうことか……分かった上で言っているんだろうね?」

 コムイは教団のトップに立つものとして、考えなければならないことは数え切れないほどある。
 言いたくないことも言わなくてはならないし、やりたくなくてもやらなくてはならないこともある。彼個人としては、ルイを年相応の少女、何年も成長を見守ってきた者として扱いたくても…立場として、そうはいかない場面もある。

 言うまでも無く、コムイの立場を理解していたし、そう言われるだろうことは予想に難くなかった。
 堅い表情をするコムイに対して、微笑みを崩さなかった。

「大丈夫。心得ているよ、心配しなくていい」

 鋭い視線が、じっとルイを見据える。
 しばらくして、やれやれと嘆息したコムイは徐に立ち上がり、ペンをとった。

「わかった。そこまで言うなら、許可するよ。ちゃんと面倒みてあげてね」
「ありがとう」
「にしても、なんでアレンくんなんだい?」
「それは……」
「もう次の任務の話?」

 ルイが答えようとしたところに、リナリーが2つのマグカップをお盆に乗せて戻ってきた。
 コムイの机に片方を置くと、赤色のマグカップをルイに渡し、隣に腰を降ろす。

「ありがとう。これを飲んだら行くよ」
「帰って来たばかりなのに…また会えなくなるなんて嫌だわ…」
「大丈夫だよリナリー。これからは、ルイちゃんはずっと本部に居るから」
「…うん?」

 リナリーは皆の好みを把握しているので、淹れてくれるコーヒーには言わずともちょうど良い量の砂糖とミルクが入っている。
 懐かしささえ憶える味に浸っていたのだが、何か聞き捨てならないことを聞いた。
 
 コムイはブラックに口をつけ、ニマッと悪戯心溢れる笑みを浮かべた。

「長期任務は一時解任。継続して貰う部分もあるけど……ルイちゃんはまた本部勤務に戻ってもらう」
「ホント兄さん!?嬉しい、良かったわルイ!」
「…わっ、と、危ない危ない…」

 リナリーが飛びついてきた反動で、危うくひっくり返すところだったカップを両手でひっつかむ。愛する妹が淹れた神々しいばかりのコーヒーが粗末に扱われれば、目の前の男は振り切れるに違いないのだから。

 内心ヒヤヒヤしたルイの様子には気づかず、ただただ嬉しそうなリナリー。
 本当に喜んでくれているのだと知って、苦笑せざるを得なかった。

 懐かれていることは知っていたし、自分が遠征していることに対して良く思っていないことも知っていた。長期任務が与えられたその理由を、彼女は認めていなかったからだ。

 初めから……任務通達なんか、ついでだったに違いない。

(……これが、本当の理由か……)

 コムイは、兄の顔をして笑っていた。……様々な顔を持っている人だ、と再認識させられる。
 教団一の頭脳の思考なんか、まったく予想できるはずもないのだけれど。

「改めて、長い間お疲れ様。おかえり、ホームへ」
「おかえりなさい」

 リー兄妹から当たり前のように与えられる歓迎は、心地良くもあり、また小さな罪悪感を覚えるものだった。
 うまく笑えていることを願いながら、心からの言葉を返す。

「うん、ただいま。……いってくるよ」

 立ち上がったルイは、出口へと歩き出す。
 予想に違わず、返された『いってらっしゃい』は、優しく背を押してくれた。

 今度こそ素直に微笑み返して、その場を後にする。


 ……とても、良くして貰っている。有り難くもあり、切なくもあった。
 今の自分には、此処が唯一の『家』だった。













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