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「ばかっぷる、みたいだね」



 付き合い始めて一ヶ月。そう、まだたったの一ヶ月。だから、こんな短期間で自分の気持ちに変化が訪れるなんて、思ってもみなかったのだ。

 彼の勤務時間は不規則だから、毎週末会える、とか、夜何時以降なら会える、とか、そういう保証は全くない。それもそのはず。彼はプロヒーロー。休みの日でさえ緊急招集がかかれば飛んで行かなければならない職業である。そんなわけで、今こうして彼が私の隣でまったりテレビを見ているのはレアなことだった。
 この一ヶ月、平均して週に二、三回は昼ご飯や夜ご飯を食べに行ったり、デートという名目で出かけたりしている。けれど、お互いの家に行くことはほとんどなかった。回数にしたら二回。そのうちの一回が今だ。
 仕事が終わってから行く、とか、どちらかがどちらかの帰りを自宅で待つ、とか、できないことはない。むしろ私は、そうしたいなあ、なんて思っている。けれども行動に移せないのは、ちょっとだけ躊躇いがあるから。

 既に恋人としてやることはやり切っている。なんなら恋人になる前からやり切っているわけだけれど、ここにきて私は、彼との距離感の調節に困っていた。
 恋人になったのだから、好きなだけベタベタしたら良いのかもしれない。けれど、思っていたよりも彼の方が淡白というか、あまりグイグイこないものだから、私もそんなにベタベタしない方が良いのかなあと思ったりして。
 彼のことだから、私がベタベタしたとしても嫌がる素振りは見せないと思うし、何の抵抗もなく受け入れてくれるだろう。しかし私は面倒臭い女だから、彼の優しさにどこまで甘えても良いものかと考えあぐねているのだ。

「なまえちゃん、これ見てる?」
「ううん。あんまり」
「じゃあ消そっか」
「電気くん見てるんじゃなかったの?」
「そんなに真面目には見てない」

 うちに来てお昼ご飯を食べた後、彼はバラエティー番組に視線を向けたままだったから、てっきり真面目に見ているのだとばかり思っていたけれど、どうやらそうでもなかったらしい。よく考えてみれば、バラエティー番組を見ているのにくすりとも笑っていなかったし、あまり好きな内容じゃなかったのかもしれない。
 ぷつん、とテレビの電源が切れて、室内は一気に静寂に包まれる。それまで全く会話をしていなかったというわけではないけれど、テレビの音がなくなると途端に「何か喋らなくちゃ」と思ってしまうのは、私と彼の関係の浅さを物語っているようでちょっと悲しい。

「電気くん、明日も休みなんだっけ?」
「そう。珍しく二連休!」
「じゃあゆっくりできるね」
「なまえちゃんも休みっしょ?」
「うん」
「じゃあ二人でゆっくりしよっか」

 二人でゆっくり、とは。果たしてどういう意味で言ったのだろう。そこまで深く考えて発された言葉ではないような気もするけれど、彼の考える「ゆっくり」の意図が読み取れず、私は曖昧に笑みを浮かべることでしか返事ができなかった。
 それを彼はどう捉えたのか。なんとなく肩を落としながら時計を見て、おもむろに立ち上がる。トイレにでも行くのかな、と思いきや、彼の口からは思わぬセリフが飛び出した。

「そろそろ帰ろっかな」
「え、もう?」
「まあ……うん、」
「……そう」

 今の今、二人でゆっくりしよう、と言ったのはどこの誰だったか。それなのに「もう帰ろっかな」って。帰っちゃったら二人でゆっくりなんてできないじゃん。意味分かんない。
 私が可愛い女だったら「帰らないで」「もっと二人でいたい」と言えたのだろう。しかし生憎、私はそんなに素直に自分の気持ちを伝えることができるような性格ではなかった。だから勿論、玄関先に足を向けた彼を見送るために笑顔を作ることなんてできるはずもない。
 彼は何歩か足を進めて、けれども私がムスッとしていることに気付いたのか、進んだ分の距離戻って、私の隣にしゃがみ込んだ。横目で見た彼の顔は、非常に困惑している。

「あの、さ、」
「何?」
「なんか怒ってる?」
「……」

 帰ってほしくないのに帰ってしまう、私の心理を読み解いてくれない、それに腹を立てている……というか、拗ねている、なんて、まるで子どもみたいだと思ったら、頷いて肯定するのも憚られた。
 しかし、無言は肯定を意味する。というか、たぶん、表情や態度にこれでもかというほど「怒っています」「拗ねています」という感情が現れているだろうから、否定の言葉を口にしたところで意味がないとは思うのだけれど。

「帰ってほしくない、とか?」
「それをきいてどうするの?」
「帰ってほしくないって言うなら帰らない」
「電気くんが帰りたいなら帰れば良いじゃん」

 とことん可愛くない女だ。彼だってきっとそう思っている、はずなのに。ここで帰らないのが上鳴電気という男なのである。

「俺はなまえちゃんと一緒にいたいよ」
「でも帰るって言った」
「二人でゆっくりしよっかって言ったら微妙な反応だったから、俺と一緒にいんの嫌なのかなーと思って」
「そんなことない」
「俺、正直ちょっと分かんないんだよね」
「何が?」
「どこまで踏み込んでいいのか」

 いつの間にか私の隣で正座をして畏っている彼は非常に神妙な面持ちでぽつぽつと話し始めた。付き合い始めてからというもの、付き合う前よりも距離感が分からなくなってきたこと。それによって、私の出方を窺うためになんとなく距離を置いてしまっていたこと。距離を置いても何も言われないから自信を失いかけていたこと。
 最後に「俺、いっつも情けねーなあ」と、呟くように、嘆くように零した彼は、バツが悪そうに私の顔を下から覗き込んできた。確かに情けないかもしれないけれど、私はそんな彼が好きだ。だから今、すごくキュンとしている。
 そっか、私が戸惑っていたように、彼も困惑していたんだ。付き合い始めたからこそ、お互い腫れ物を触るように接していた。もし何かやらかして嫌われたらどうしよう。そう思ったら無難に距離を置く方が良いような気がして。好きだから、近付けなかった。私も、彼も。
 彼の目を見つめ返す。照れ臭いけれど、恥ずかしいけれど、今なら私も素直になれるような、ほんのちょっぴり可愛い女の子になれるような、そんな気がした。

「私も、電気くんと一緒にいたいと思ってるよ」
「ほんとに?」
「ほんとに。だから、帰らないで?」

 彼は返事をしなかった。「わかった」とも「嫌だ」とも言わず、ただ目を瞬かせるだけ。そうやって目をパチクリさせる彼が可愛いなと思っていたら、つい笑いが溢れてしまう。
 すると今度は、彼がムッと顔を顰めた。それはそれで可愛いのだけれど、ここで笑うと更に機嫌を損ねそうなのでグッと堪える。

「何笑ってんの」
「電気くんが可愛くて」
「それ、こっちのセリフだから」

 正直に思っていることを伝えたのは正解だったのか、それとも間違いだったのか。覗き込む姿勢のまま動かなかった彼の顔が、ぬうっと私の顔に近付いてきて、あと数ミリでぶつかるというところで止まった。
 吐息がかかる。息遣いが聞こえる。そんな距離。いっそぶつかってきてくれたらいいのにそうしてくれない彼は、可愛いくせに意地悪だ。

「電気くん……?」
「ね、ちゅーしよ?」
「う、んッ」

 私が肯定の意を伝える前に数ミリの距離が一気に埋まった。ゼロ、というかマイナス、みたいな。それぐらい隙間なく、彼の唇の感触が伝わってくる。付き合っているくせに、随分と久々の口付け。だから余計に熱く感じてしまうのかもしれない。
 一回一回の口付けはそれほど長くないのに、ちょっと離れたらまたすぐにくっ付くから、トータル的にはかなり長い間その行為に溺れていたのではないかと思う。

「でん、き、く、」
「かわいい」
「っ!」

 彼は「さっき可愛いって言われたお返し」なんて語尾にハートマークが付きそうな一言を囁くように落として、また私の唇に吸い付いた。ちゅっ、というリップノイズが軽やかに響く。それが恥ずかしくて、嬉しくて、でもやっぱり恥ずかしい。

「今まで我慢してた分、これからたっぷりなまえちゃんのこと堪能していい?」
「ダメって言ったら諦める?」
「その訊き方はずるくない?」
「ずるい女は嫌い?」
「だから、そういうのがずるいんだって……嫌いになれるわけないじゃん」

 俺、なまえちゃんのことすっげー好きだもん。
 そんなことをさらりと言ってのけちゃう電気くんの方がよっぽどずるいよ、とは言わなかった。その代わり、私もすっげー好きだよって気持ちが伝わるように、彼に飛びついた。
 バランスを崩して背中から倒れ込んだ彼に抱き付いて、もしかしたらこういう女は苦手かもってほんの少し考えて、でもこれが私だしって開き直ったら、あとはもう、簡単。

「ね、ちゅーしよ?」
「〜っ! マジで反則! どーなってもしんねーぞ!」

 どうなってもいいから誘ったんだよ。私は後頭部に回された手に笑みを浮かべた。
 まだ付き合い始めて一ヶ月。それなのに、こんなに彼への好きが増していくなんて、完全に想定外。でもいいや。好きで押し潰されて死にそうになっても助けてくれるはずだもんね、ヒーローさん。


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