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来い恋


「あの!」
「はい?」
「これ落としませんでした?」
「え? あ……ほんとだ! ありがとうございます」

 今時ありえないほどベタな出会いだった。ハンカチ……ではなかったけれど、定期入れを落として拾ってもらう、なんて。
 駅の改札口に向かって歩いていた私を呼び止めたのは、真面目そうな感じの男の人だった。迷わず私に声をかけてきたということは、落とした瞬間を見ていたのだろう。拾ってくれただけでも良い人なのに、追いかけて渡してきてくれるなんて、更に輪をかけて良い人だ。
 私はその人から定期入れを受け取って、何度かお礼を重ねる。男の人は「そんなにお礼言われるようなことしてないです」と謙遜し続けているから、根っからの良い人なのだろうと推察した私は、お礼の代わりに軽い気持ちで提案してみた。

「何かお礼させていただけませんか?」
「定期入れ拾っただけやのにお礼なんかしてもらったらバチが当たりそうで怖いんで遠慮しときます」
「ふふっ、面白いこと言いますね」
「今何かおもろいこと言いましたっけ?」

 そのイントネーションのせいかもしれないけれど、その男の人と話していると自然と笑みが溢れた。それほど面白いことじゃなくても、なんならすごく真面目な話をしていたとしても笑ってしまうというか。勿論、良い意味で。
 とはいえ、初対面の見ず知らずの男の人だ。なんなら名前も知らない。でも、初対面にもかかわらず、私はその人に不思議と惹かれていた。だから、お礼をさせてほしいと言い出したのは、ちょっぴり下心があったのかもしれない。
 まあ、人生そう上手くはいかないものだ。ただ定期入れを拾ってもらっただけで名前を訊くのはおかしいし、もう一度お礼を言って別れよう。そう思っていた時だった。

「あの、バチが当たりそうやからって断っといてアレなんですけど」
「はい?」
「お礼の代わりに、名前とか連絡先とか教えてもらうんは駄目ですか」
「……え」

 びっくりしすぎて思わず呆けてしまった。それを男の人は、私が嫌がっていると捉えたらしい。「嫌なら全然ええんですけど!」と慌てた様子で引き下がられた。
 嫌だとは全然思っていない。ただ、先ほどまでの私の望みがこうも簡単に叶えられてしまって驚いているだけで。
 そのまま引き下がられてしまったら、もうこの人とは二度と会えないかもしれない。というか、ほぼ確実に会えないだろう。それはちょっと、否、かなり残念だと思った。だから私は慌てて「嫌じゃないです」と口にする。
 すると男の人は目を数回瞬かせ、やがてぱあっと顔を輝かせた。こんなにわかりやすい反応をする人には初めて出会ったような気がする。男の人に対する感想としては失礼かもしれないけれど、私は初対面のその人のことをちょっと可愛いと思ってしまった。

「ほんまですか?」
「私、みょうじなまえって言います」
「あ、生駒達人って言います」
「生駒さん」
「はい。イコさんです」
「え? えーと、イコさん?」
「周りからそう呼ばれることが多くて。別に強制やないんで、生駒さんでもイコちゃんでもたっちゃんでも、好きなように呼んでくれたらええんですけど」

 すごく真面目な顔で言うから真面目に話をしてくれているのだとは思うけれど、例として挙げられた呼び方が可愛くて、私はどうしても笑いが堪えられなかった。いくら「どうぞ呼んでください」と言われても、初対面の人を「たっちゃん」なんて呼べるわけがない。普通なら。しかし生駒さんのことは、不思議と呼んでみても良いかなという気分にさせられた。いや、さすがに本気で呼んだりはしないけれども。
 私はひとしきりクスクス笑った後で「すみません」と謝罪してスマホを取り出す。生駒さんとなら楽しくやりとりができそうな気がして既に心を躍らせているなんて、私はちょっとおかしいのかもしれない。
 連絡先の交換は難なく終了。その後はお互い用事があるからとあっさり別れてしまったけれど、生駒さんはその日の夜に早速丁寧なメッセージを寄越してくれた。それからは、一日に何回か他愛ないやりとりをするのが日課になっている。
 生駒さんが私より五つも年下の大学生だと知った時には驚いたけれど、生駒さんの方も、まさか私がそこまで年上だとは思っていなかったようだ。ちなみに年齢のことがわかってからは、なんとなく「生駒さん」ではなく「生駒くん」と呼ぶようになった。
 生駒くんの方はずっと「みょうじさん」呼び。年齢のことがあるからだとは思うけれど、どれだけやりとりを重ねても縮まらない距離を感じてしまって寂しく思っている、なんてことは言えない。
 それにしても、生駒くんはマメだなあと思う。私の返事がどれだけ遅くなってもキッチリ返事をしてくれるし、ほぼ必ず質問をしてくれるから途切れることがない。女の子とのやりとりに慣れているのだろうか。そこらへんのことは、まだ踏み込めない。

 出会ってから一ヶ月。やりとりは毎日続いていた。そして生駒くんから、デートのお誘いのようなものを受けてしまった私は、珍しく浮かれていた。
 付き合っていない、なんなら会ったのはたった一度きりの相手なのにデートというとおこがましいかもしれない。けれど、私はどうにも喜びを抑えきれなかった。
 生駒くんがどういうつもりで私を誘ってくれたのかはわからないけれど、勝手ながら期待してしまう。もしかしたら私に好意を持ってくれているんじゃないか、って。

「食べたいもんありますか」
「うーん……」
「和食でも洋食でも中華でも何でも言うてください」
「めぼしいお店があるの?」
「何言われてもええように調べときました」
「フランス料理も?」
「あります」
「うそでしょ」
「ほんまです。見ますか、メモ」

 興味本位で覗かせてもらったスマホのメモ機能のページには、確かに沢山のお食事処の店名と場所が羅列してあった。どれだけ調べたのかわからないけれど、モンゴル料理って何だろう。私がリクエストする可能性があると思ったのかな。

「モンゴル料理とかどう?」
「肉多めみたいですけどええですか」
「ふふっ、うん、初体験」
「俺もです」

 そりゃあそうだろう。モンゴル料理なんて、生駒くんが調べてくれていなかったら知りもしなかったと断言できる。

「生駒くんは真面目なんだね」
「え。全然そんなことないですけど」
「だって普通そこまで調べないよ」
「咄嗟にええ店が思い浮かぶような男やないんで……」
「そうなの?」
「え。こういうの慣れとるように見えます?」

 マメにメッセージのやりとりができる人だから、私はてっきり、女の子とどこかに行く、みたいなシチュエーションにもそこそこ慣れているのだと思っていた。けれど、生駒くんの反応を見る限りどうやら違うらしい。
 だとすると、どうして私を誘ってくれたのか。ますます疑問は深まるばかりだ。

「そんなに慣れてないんだとしたら、どうして私を誘ってくれたの?」
「それ訊きます?」
「訊いちゃだめなら訊かない」
「……一目惚れやったんで」
「え」
「ええとこ見せたかったんです」
「わ、私に、一目惚れ?」
「だめですか」
「いえ、そんな、だめではないんですけど、」
「なんで敬語なんですか」
「だってなんかもう、びっくりしちゃって……」

 しどろもどろする私をじっと見つめてくる生駒くんの視線が痛い。ずっと真面目な顔をしているから「一目惚れだ」と言われてもなかなか信じられない。

「今日ずっと笑顔のひとつも見せてくれないから楽しくないのかと思ってた」
「緊張しすぎて笑い方忘れました」
「えっ」
「一回笑ったらそのままずっとニヤニヤしそうでヤバイんでこのままがちょうどええと思います」
「ちょうどよくないよ。私は生駒くんの笑った顔が見たい」

 今度は私の方が生駒くんをじっと見つめる。すると「ちょっと待ってください」と片手で顔を覆った生駒くん。もしかして、その手を退けたら笑顔が見えるんじゃないだろうか。どうにかして顔を見るために下から覗き込もうとしたら、生駒くんは観念したように手を退けてくれた。
 照れているのも口元が緩んでいるのも新鮮で、そんな生駒くんを見ていたらつられて私も口元を緩めて照れてしまったりして。





▼しーさんへ
 この度はリクエストありがとうございました!
 イコさん自体書くのが難しいキャラなのですが、イコさんの方から女の子にアプローチするシチュエーションがなかなか思い浮かばずこんな感じになってしまいました…いかがだったでしょうか…?年上の女性にアプローチするイコさんが事前準備に必死だったりしたら可愛いなと思ったんですけどそうでもないですか…?笑
 普段なかなか書くことのないキャラだったので挑戦させていただけて楽しかったです!これに懲りずまた遊びにきていただけますと幸いです。