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はじまりのそのまえ
※結婚後妊娠する前のお話


 ヒーローはいつの時代も忙しい。どれだけ昔より治安が良くなったとか、ヴィランは少なくなったとか言われていても、事件や事故がゼロになることはないからだ。
 そんなわけで、新婚だろうがなんだろうがお構いなく、プロヒーローである彼の元には容赦なく色んな仕事が舞い込んできていた。同じ事務所で働いているにもかかわらず、事務所を出ずっぱりの彼と事務所内での仕事中心である私が会話を交わすのは、業務連絡がある時のみ。一ミリも新婚夫婦らしい雰囲気にはなっていない。
 そりゃあ家に帰れば二人きりにはなれるわけだし、仕事中までイチャつきたいなどとは微塵も思っていない。けれど、あまりの忙しさで家に帰ってからもそれらしい雰囲気にならないのは、まあ、ちょっと寂しいなと思ったりする。
 そんな状況だったから、このタイミングで彼が任務の応援のため一週間ほど県外出張することになったと聞いた時は、もしかして新婚早々浮気の可能性があるのでは? と僅かな疑念を抱いたけれど、彼がそんなことをする人間じゃないことは私が一番よく知っているので、すぐにその思考は停止させた。そういうことは考えるだけ無駄である。

「いってらっしゃい」
「戸締まり忘れんじゃねェぞ」
「わかってるよ。それ言うの何回目?」
「百万回行っても信用なんねえから言っとんだ!」
「勝己くんは心配性だねえ」
「なんかあったらすぐ連絡しろ」
「それも耳にタコができるほど聞きました」

 過保護というか、愛されていると言うべきか。彼は同じことを何度も繰り返し私に念押ししてから、一週間の出張に旅立った。
 仕事が忙しいのは彼も私も同じ。だから一週間なんてあっと言う間。……だと思っていたのだけれど、家に帰ると痛感した。彼がいないことの寂しさを。
 結婚する前は、彼と出会って付き合い始めるまでは、真っ暗な部屋にパチリと電気をつけて、一人で夜ご飯を食べるのが普通だった。それが今はどうだろう。一人ということが、こんなにも寂しい。

 子どもがいたらこの寂しさも少しは紛れるのだろうか。一人でカップラーメンを啜りながら考えるのは、私たちの将来のこと。
 自分の寂しさを埋めるために子どもがほしいと思っているわけではない。彼との、愛する人との子どもなら、いつか一人ぐらいはほしいなあ、と。結婚してからずっと、なんとなく思っている。ただ、その気持ちを彼に打ち明けたことはなかった。
 だって、彼の性格上、子どもなんて以ての外だって言いそうだし。見るからに子ども嫌いそう、というか苦手そうだし。その手の話を持ち出すのは、本能的にやめた方が良いような気がして。
 結婚する前に、あるいは結婚してからでも良いのだけれど、兎に角そういう未来ビジョンみたいなものを彼と少しぐらい話していたら良かった。今はお互い忙しくて、ゆっくりそういう話ができる雰囲気じゃないし。

「子どもかあ……」

 私と彼との子ども。全然想像できないけれど、もし子どもができたら私がせっせと家事育児をすることになるんだろうなあとは思っている。彼はご覧の通り大忙しだし、なんてったってプロヒーロー。替えのきかない職業だ。これからも頑張り続けてもらわなければならない。
 私は事務職だし、他に替えがきく。辞めるとしても引き継ぎが少しバタつくぐらいで、専業主婦になったって金銭的に困ることはないだろう。……って、そもそも子どもをつくるのかって話なんだけど。
 考えたところで、子どもをつくる、つくらないは彼と話をしなければ何も決まらない。そもそも万が一「子どもをつくろう!」という方針になったとしても、爆豪家が子宝を授かれるかどうかはわからないのだ。
 彼が出張から帰ってきて、落ち着いた頃合いを見計らって話をしてみようかな。私たちのこれからの話。彼はそういうの、あんまり興味がないかもしれないけれど。聞いてくれないとか、ちっとも考えてくれないということはないと思うし。

 そんなこんなで、寂しい夜を過ごすこと一週間。漸く彼が帰ってくる日を迎えた。
 私は必死に仕事を片付けて、早めに帰宅することに成功。何の連絡もないけれど、恐らくそろそろ帰ってくる頃だろうと時刻を確認しようと時計を見上げた時だった。
 ガチャリと音がした後、ガシャン! と扉が盛大な音を立てる。しまった。私が鍵をかけ忘れていたせいで、彼が鍵を開けようと鍵穴を回したら逆に鍵が閉まってしまい、扉が開かなかったのだ。
 もう一度ガチャリと音がして、今度こそ扉が開く。戸締まりできてなかったから怒られるかな、おかえりって言う前に怒鳴られるかも。それなりに覚悟しながら玄関先までお出迎えに行くと、一週間ぶりに見る愛しい旦那様の眉間には相変わらず皺が寄っていた。

「おかえり」
「……」
「鍵、かけ忘れてたのは今日だけなんだよ」
「……」
「勝己くん?」

 玄関の鍵をかけ忘れていたことが、そんなに彼の逆鱗に触れたのだろうか。そりゃあ確かに「戸締まり忘れんじゃねェぞ」と言われていたのに言い付けを守っていなかったのは私の落ち度だとは思うけれど、一週間ぶりの再会で無言を貫くほど怒ることだろうか。
 彼は無言のままドスドスと近付いてきて、私の目の前で立ち止まる。そして、ただいまの前に何を言われるのだろうかと身構えていた私の顎を掬って、唇を重ねてきたではないか。
 あまりにも突然の出来事に、私は目を瞑ることも忘れてしまう。彼の方も目を瞑っていないものだからこれ以上ないほどの至近距離で視線が絡み合って逸らすことができない。
 僅かに唇と唇の間に距離を作って「キスの仕方も忘れたかよ」と小さく低めの声で憎まれ口を叩かれ、目を瞑らなきゃと慌てて目を閉じた。それに満足したのか、彼は再び丁寧に口を塞ぎ、長めのキスをして離れる。
 その行為自体は嫌じゃない。むしろ飛び跳ねたくなるほど嬉しかった。けれどそれ以上に驚いている。何も言わずに近付いてきて、急にこんなことをしてくるなんて思ってもみなかったから。

「なに、どうしたの、勝己くん、何か変なものでも食べた?」
「うるせェ。ちったァ空気読めや」
「な、」

 まさか彼にそんなことを言われる日がくるとは思わなかった。と、考えている最中に、また重ねられるそれ。後頭部と腰に手を回され、私の逃げ場はなし。ずりずりと後退させられて、リビングへと続く扉に背中がぶつかる。
 入り込んでくる舌。弾む吐息。吐き出される息の熱さを感じて、これからの展開を肌で感じた。

「勝己くん、おふろは?」
「後でいい」
「そんなに私のことが恋しかった?」
「それはテメェの方だろ」
「……うん。寂しかった」

 素直にカミングアウトして、ぎゅっと抱き付く。だって本当のことだもん。寂しかったもん。そんな気持ちが伝われば良いと思って、一生懸命しがみ付く。
 彼の温度を自分の肌に馴染ませながら、この雰囲気なら言えるかも、とふと思い出したのは、私たちの未来に関すること。思い立ったが吉日というし、どうにでもなれという気持ちで「私子どもほしいかも」と、本日二度目のカミングアウトをする。すると彼はほとんど間を置かずに返事をした。「つくりゃ良いじゃねえか」と、私が予想だにしていなかった返事を。
 思わず彼の胸元に擦り付けていた顔を上げた。目を丸くしてあからさまに驚いている私に、彼は訝しそうな顔をしている。「そんなに驚くことかよ」と言いたげな表情だ。

「自分から子ども欲しいかもって言っといてこんなこと言うのもどうかと思うけど、勝己くん絶対子ども嫌いだし子育てとか無理でしょ!」
「ンなもん産んでみねェと分かんねーだろ」
「え」
「赤の他人のクソガキと自分の子どもじゃ違ェだろっつっとんだ。わかったら相手しろや」
「ぅえっ!?」

 捲し立てるように言われて、私が驚きと理解を飲み込みきる前に彼が口を塞いで、飲み込みきれなかった全てを無理矢理押し込まれる。私、何もわかってないけど、これはとりあえず相手した方がいいやつだな、って、それだけは理解。
 子どもができるかできないか、もしできたらどうしようか、そういうことは、まあ、彼とならどうにかなるか。流されているような気がしないでもないけれど、彼が私のことを恋しく思ってくれていたことは全身から伝わってきたから、今はそれだけで十分ってことにしておこう。

 この数年後、彼が立派すぎるお父さんになっているなんて、この時の私はまだ知らない。