※死ネタで暗いです。
※流血表現あります、苦手な方はご注意。
「名前様、名前様」
「なぁに、ノボリ君?」
わたくしの最愛の人である名前様をお呼びすると、にこりと笑いかけてくださりました。それだけの事にこの心臓は一瞬にして高波を打ちわたくしを満たしてゆきます。
「名前様、わたくし名前様を心の底よりお慕い申しております」
「嬉しい。私もノボリ君が大好きだよ」
(ああ!なんてお可愛らしいのでしょう!)
幼少の時から変わらぬその真っ直ぐで温かい瞳はわたくしだけを見つめてくださる。わたくしが彼女の手を取れば、彼女ははにかみながら握り返してくださる。唇を落とせばわたくしをもっと求めてくださる。
「ああ名前様、今生だけでなく前世からずっと、そして来世でもずっと愛しております」
「ありがとう、私もずっと大好き」
少し離れてわたくしを見上げなさる名前様。わたくしだけの幸せ、わたくしだけの恋人、わたくしだけの名前様、誰にも渡しません。名前様、愛しの名前様、貴女様はわたくし、の……?
「ノボリ…君?」
(な、にが…?)
背から腹に熱い衝撃を感じ、恐る恐る腹部に手を伸ばします。ああ、なんでしょうか、これ。
「…ぐぁっ……」
「の、ノボリ君……」
足から力が抜けわたくしは、蒼白のお顔で目を見開いた名前様に見つめられる中、崩れ落ちました。手を汚した赤黒い液体と同じものが、口から零れ散ります。鉄の臭いに脳味噌を殺られたのか、体が言うことをききません。
「狡い」
俯せに倒れたわたくしを蔑む様に、背後から声が降ってきました。
「狡い、狡い狡い狡い狡い狡い狡い狡い狡い狡い!僕の方が名前を愛してるのに!なのにどうしてこれが名前の傍にいるの?教えてよ名前、名前!ねぇどうして名前、ぼく君のこと誰よりも誰よりも誰よりもだぁぁぁあああああああい好きなのにどうして僕を見てくれないの!狡い狡い狡い狡い狡い!ああねぇでもこれで僕だけを見てくれるよね?名前大好きだよ、愛してる。本当は君も僕のこと好きなんでしょ?こんな奴嫌いなんでしょ?そうだよね?」
あり得ない、あり得ない、そんな事はあり得ないのです。現に名前様はわたくしの傍に膝をつき、ガタガタと震え泣いておられます。ああ、その涙を拭って差し上げたいのに腕が動きません。わたくしの名前様に訳の解らぬ戯言を申すのは何処の馬鹿ですか?その顔が、ああでも、意識、すら……。
「名前、こんなに震えて…大丈夫、僕が護ってあげるからね。誰にも触れさせない。僕だけの名前」
(触、る…な……)
呆然としている名前様の腕を、真っ赤な腕が引っ張り上げました。嫌々と泣き叫び抵抗する彼女を連れ去る背中は――嘘でしょう?嘘でしょう?
(何故、貴方が……)
完全に動かなくなった体、霞んで闇に墜ちてゆく視界。
(名前、さ、ま……)
双子の弟の高笑いの中に、彼女がわたくしを呼ぶ声が聞こえた気が致しました。
「名前、名前」
「なぁに、クダリ君?」
「僕ね、名前が大好き!」
「ありがとう、私もだよ」
恋人の名前はそう言って照れた様に笑った。ああ何て可愛いんだろう!幼馴染みの彼女は他の誰でもない、僕だけの女の子。僕が抱き締めればそっと手を廻してくれる。頭を首筋に埋めたらくすぐったそうな声を出してくれる。
「大好き。前世からずっと来世でもずっと、ずっとずっと愛してる」
「私も、ずっとクダリ君が大好き」
名前は僕から少し離れて笑いかけてくれた。幸せ、仕合わせ!名前が傍にいてくれるなら僕は彼女に何だってしてあげるんだ。人殺しだってね!僕には名前だけ、名前さえいればいいんだから!だから、だか……ら?
「クダリ、君…?」
「……あ、れ?」
後ろから大きな衝撃。何かが僕を――貫いた?
「クダリ君……!?」
じんじんと熱を持った腹に手を当てる。どくどくと心臓が波打つ度にたった今創られた穴から溢れ出す真っ赤な液体。
これ、何?
「がはっ……」
「く…だ…」
咳と鉄の臭いを吐き出しながら、僕は地面に倒れこんだ。尚も流れ出る赤色が名前の足許を染めていく。
「酷いです…」
哀しそうな声が背後から堕ちてきた。だれ、何で、懐かしい、声。
「酷い、酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い、酷いです!何故ですか名前様何故わたくしではないのですか!?教えてくださいまし名前様!わたくしの方がこれの何倍も何倍も何倍も何倍も名前様を愛しておりますのに、誰よりも誰よりも誰よりも誰よりも名前様を愛しておりますのに!わたくし名前様を前世からずっとずっと愛しておりましたのに、何故名前様はわたくしを見てくださらないのですか!ああでもこれで名前様はわたくしをわたくしだけを見てくださるのですね!わたくしシアワセでございます!愛しております名前様、名前様も本当はわたくしを愛していらっしゃったのでしょう?これにはたいそう迷惑していらっしゃったのでしょう?」
嘘だ、嘘だ。だって名前泣いてる。傍に膝をついて泣いて僕のこと何度も呼んでくれてる。ああでも、腕が、動かない。ごめんね、涙、拭えないよ。
「ああ、ああ、名前様、こんなに震えなさって…もう大丈夫です、わたくしが護って差し上げますからね」
(やめ、ろ……)
僕はもう声も出せなくて、震える彼女を後ろから抱き締めた腕に、何も出来ない。
(名前……)
ああ、もう目も見えない。
「愛しております。わたくしだけの、名前様……」
「――くん…」
間際、僕を刺したのは双子の兄だって、名前の声で漸く気付いた。
『ああ、愛しております名前様』
『大好き、大好きだよ名前』
『誰よりも』
『何よりも』
『前世からずっと』
『来世でもずっと』
『なのに』
『どうして』
『貴女様は…』
『君は…』
『折角貴女様を』
『アレから取り返せたと』
思ったのに。
血を塗りつけた様な真赤な空、線路、踏切、信号。此処は駅のホーム。黄色い線の内側で私は電車を待っている。
「名前様」
「名前」
振り向くと、そこにはよく似た顔の幼馴染み二人、双子の兄弟のノボリ君とクダリ君がいた。これで、ここにいるのは私達三人だけ。
「来てくれてありがとう」
私は今日、旅立つ。電車に乗って遠く遠くへ。二人にはそれを告げていない。ただ「話があるから来てほしい」と、そう伝えた。旅立つ事は知られたくなかったけど、見送ってほしかったから。
「さて突然だけど、今日は二人とさよならをする為に来てもらいました」
私の言葉に二人は目を見開いた。あはは、そっくりだなぁ。
「さよなら、って、何ですか…」
「そのままの意味」
「解らないよ……」
「お別れ。私は次の電車に乗って旅に出るの」
笑う私と唖然とする二人。そのうち小さく震え出して、澄んでいたはずの瞳が鈍く影を孕んで、ああその目は……。
「嫌だ…嫌だ!何で、どうしてそんな酷いこと言うの!?僕ら小さい頃からずっと一緒だった、これからもずっと一緒でしょ!?」
「お許し出来ません、そんなことは絶対に許しません!急すぎます!そもそも何処に旅立つ必要があるのですか!?何故お一人で決めてしまったのですか!?」
狂った様に悲痛な声をあげて私に詰め寄る二人をやんわりと押し返す。
「急じゃない、ずっとずっと昔から考えてた」
そう、それこそ『生まれたとき』からずっと。
小さい頃から不思議な夢を視てた。ノボリ君がクダリ君を殺して、クダリ君がノボリ君を殺す夢を、交互に。『今の二人の瞳の様な』こんな赤い空の日に。私がノボリ君を愛せばクダリ君が、クダリ君を愛せばノボリ君が相手を殺す夢を。
これがきっと俗に言う……。
「何も訊かずに見送ってよ」
「そんなの…!」
「名前様……」
遠くで踏切のベルが鳴った。ああ、もうすぐお別れだね。
「二人と出逢えて良かった」
「そんなこと仰らないでくださいまし!わたくし名前様を、」
「嫌だ、行かないで!僕、僕名前を、」
離さないと言わんばかりに私の体を抱寄せる二人。ああ、私が愛さなきゃそうやって良い兄弟でいられたのに、いつだって一人だけを愛しちゃったから。そして、今回も。
「「愛して――」」
もう戻れないよ。
ガタンゴトン、電車が近付く音。
「さよなら、二人とも」
私は笑って二人を突き放し、
そのまま仰向けに線路へ墜ちた。
「名前様…!?」
「名前、嘘っ!?」
さよなら×××君、今生は君を愛してたの。
来世で思い出せるように『彼』をしっかり心に刻み付けて、私は
120324(23)
リンネ/ハチ
彼女を追う様にして、しかし別々に男二人が飛び込んだのは、環状線の線路でした。