マーキング
ぱたぱたと、忙しそうに駆ける音が聞こえる。
平日の昼下がり、隊舎の廊下。
行きかう隊員達の中でその足音を聞きつけたのは、霊圧を感じ取ったと言えば聞こえは良いが、只々その足音や気配を無意識に探しているからにすぎないというのが実際のところである。
書類を腕に抱えて角を曲がり、こちらへと小走りでやってくる名前を、何ともないという体で日番谷は見つめていた。
「あっ、日番谷隊長!お疲れ様ですっ」
現れた上司を前に急ブレーキをかけてぺこりと一礼。余程急いでいるのか、すぐさま失礼しますと横を駆けていった恋人に“つれないな”などとは思わない。
角を曲がり日番谷と目があった瞬間、確かにその頬は色付き、恋する乙女とでも言うような表情を見せたそれを日番谷は見逃してはいなかった。たったそれだけで優越感に浸れるものだから、我ながら燃費が良いと内心で笑っていた…のだが。
「………」
彼女が横を通り抜けた瞬間、ふわっと小さな風が頬を撫でる。しかし、その心地良さとは裏腹に、日番谷の眉間には深く皺が刻まれていた。
生物は本能的に、自分と合った異性を選ぶために、それを匂いで判別する。安直に言ってしまえば、良い匂いだと感じるらしい。御多分に洩れず、日番谷もまた彼女の香りを好いていた。
しかし今しがた頬を撫でたその香りは、いつものそれとは違うもので。
決して強くはない、けれど確実に感じられる甘いような優しい花のようなその香りは、今は他の匂いになってしまっている。男の匂い、とも言えるそれに、日番谷は小さく舌打ちをした。
「(そういえば、午前中に席官同士の集まりがあったな…)」
末席から数えた方が早いといえど、彼女もまた十番隊の立派な席官であり、選んだのは他でもない日番谷自身である。あまり席位を上げて危険な任務に就かせたくないと思う一方で、隊の長たるに相応しくあるために、そして何より彼女の努力を無下にすることは出来ず、任命した今の席位。
席官ともなると他隊の席官との会議も増えてくるし、それもまた大切な役割であるが、日番谷の懸念材料でもあった。当然の如く、割合としては圧倒的に男が多い席官職。その中に無防備な子うさぎを放り込むのだ、心配でないわけがない。
「誰にでもへらへらしやがって…」
見ずとも想像に難くない光景。あれだけ男の匂いをへばり付かせていたのである、きっと何も考えず馬鹿真面目に男の輪の中に入っていたのだろう。
はあ、と溜め息を吐くとともに、日番谷の瞳が鈍く光る。ちょっかいを出されるということは、それはつまり主張が足りないということである。
それが誰のものか、手を出すとどうなるか、もっとわかりやすく教えてやらなければならない…と。
***
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