風邪を引いた据え膳の話
据え膳食わねば何とやら、という諺がある。よくもまあこんな言い回しを考えつくものだと先人達を想いつつ、その使い勝手に感服を覚えたりもする。
冷たいと評される見た目とは裏腹に、人並み…もとい特定の人物に対して人並み以上に劣情を孕んだ下心を持つ日番谷にとっては、常日頃使わせて頂いているその諺。もちろん当の本人は据えているつもりもそもそも膳であるつもりもないのだから、全く以て心外な話ではあるのだが。
「はっ…ッ…はあ、は…ぁ」
「………」
荒い呼吸、赤く染まった頬、顰められた眉、力なくベッドボードに寄り掛かる身体。部屋の扉を開けて日番谷が見たものは、文字通り据え膳、というよりも高級フルコースディナーと化した自身の恋人の姿であった。
何とも美味しい話もあるものだと胸の内でほくそ笑む。まるで「お好きにどうぞ」とでも言っているようなこの状況。そもそもどうしてこんな事になっているのかという無粋な疑問など丸めて投げ捨てる。
さて今夜はどう食べてやろうか。言葉で苛め倒すのも焦らして本人の口から強請らせるのも悶え苦しむくらい嬲って責め立てるのも、どれも捨てがたい。ならばいっそ全部という選択肢もあるなと、一人善からぬ思考に耽る日番谷はすっかり失念していた。
世の中そんなに上手くはいかないのだということを。
「日番谷隊長…どうしてっ…」
「どうして、か?この時間に男が部屋に来てすることなんて一つだろう名前…って、それにしても顔赤いな」
「…気にしないでください」
「…もしかして熱があるのか?……風邪か」
季節の変わり目、風邪かと問えば困ったように言い渋るように眉を下げながらも小さく頷いた。
風邪。風邪を引いている。そう、つまり、据え膳もフルコースもへったくれもない。むしろこちらが上げ膳据え膳してやるべき立場である、と。
日番谷の口から長い溜息が漏れた。どうか許してほしい。一番に思い浮かんだ事柄が心配や容体を訊ねる言葉ではなく自身の欲求の不成就に対する落胆であることを。仕方がないのだ、男とは得てして皆そういう残念な生き物。例えそれが天才児であろうと護廷隊の隊長であろうと、それ以前に日番谷もまた男であるのだから。
「熱は…そこまで高くはなさそうだな。四番隊には行ったのか?」
「お薬をもらって来ました…一晩安静にしてればよくなるだろう、って」
「なら良かった。お前はすぐ無茶をするからな」
「その…だからもう大丈夫ですよ?ここに居たら隊長にも風邪が移っちゃうかもしれないですし…」
「馬鹿野郎、人の心配する前に自分の身体を心配しろ」
「でも…」
「恋人が寝込んでるんだ、看病くらい素直にされとけ」
ぶわあっと、もともと赤かった名前の頬にさらに赤みが増す。純粋に心配してくれているのだと可愛らしい無垢な反応を見せる恋人を後目に、日番谷は何とも複雑な心境で一人葛藤していた。
もう既に若干やる気になっている自身を見やる。どうする俺、唸ってみても名前の熱が下がるわけでも風邪が治るわけでもない。まだセーフ、まだ何とかセーフ。一線を超える前で良かったと、悟りを開いた微笑で日番谷は水を絞ったタオルでも持ってこようと背を向けた。
「、あっ……」
悟りの窓とは、こうも容易く閉じてしまうものなのだろうか。
くんっと突っ張った感覚に振り返れば、羽織の端を小さく掴む恋人の姿がそこにあった。掴んだ当人が驚いているのだから珍しく日番谷まで驚いたとておかしくはない。掴んだ手を眺め、そして自分のしたことに気付いて真っ赤になりながら弁解する。要は体調が悪いと人恋しくなったり甘えたくなるというアレである。
眼下で必死に忘れてくださいだの気にしないでくださいだの騒いでいる恋人を前に、日番谷は再び深い溜息を吐いた。ほんの数十秒前に決死の覚悟で開いた悟りの窓は、今では頑丈な鍵付きで堅く閉じられてしまっている。その一方で両腕を開いてウェルカム状態となった下半身に、頭を抱えたくなった。
「そんなに騒いで悪化したらどうすんだ…安心しろ、今夜はずっと隣にいてやる」
「たいちょうっ…」
混じりけのない無垢な視線が痛い。もちろん心の底から心配している。辛そうな彼女を見れば寄る眉間の皺は、そんな姿は見たくないと一刻も早い快復を望んでいるからに他ならない。が、しかしである。一度頭を擡げた男としてのさがは悲しいかな、その解消方法は一つなのだ。その上熱に苦しむ姿が情事のそれと重なってさらに興奮を煽っているなんてことは……断じてない。
「大丈夫か、寒くないか?」
「ちょっと、だけ…」
「なら俺に寄り掛かっていればいい。それなら寒くもないし楽だろう、ほら」
優しく甘く労わる言葉も、この葛藤の前では、まるで浮気をしている男が急に恋人に花束やらプレゼントを買ってくるようなものだと自分のことながら頭が痛くなる。
ベッドの端に座った日番谷の肩に頭を乗せて、気恥ずかしそうにしながらも息を吐く。触れた身体はやはり普段よりも熱くて、幾分か早い呼吸も苦しげである。日番谷は頭を振った。いかん、これではいかん。色んな意味でもたない。名前の髪を撫でながらそろそろ寝たらどうだと声をかける。相手が寝てしまえば、さすがに蛮行に及ぶ気にはならないだろう。しかしこんな時ばかり、普段は甘え下手なその反動か、名前はいやいやと首を振りながら日番谷の胸元に擦り寄った。
「………」
男とはどこまで欲望に忠実な生き物なのだろうか。
ふと思い浮かんでしまった言い訳。大変世俗的・王道的ではあるが汗をかけば治るというアレである。日番谷は再び頭を振った。そんな低俗な言い訳ひとつで事に及んでもしも名前の容体が悪化してしまったその日には。松本からは先々100年はネタにされ、卯ノ花からは未来永劫白い目で見られ続けるだろう。それこそまさに男の恥。据え膳を食う食わないどころの話ではない。
「…名前、頼むから寝てくれ…」
盛大に溜息を吐きながら額に手を当て天を仰ぐ。そうすれば、このウェルカムな代物もどうにかしようがあると日番谷は遠い目をする。そういえば、こいつと付き合ってからは久々の自己処理だと漏れた乾いた笑い。
熱い肌を撫でながら、せめてこの感触を手に焼き付けておこうとすれば妙に意図のある指使いになるが、当の本人は熱に浮かされているのか呑気に擦り寄ってくるばかりで。そんな姿を眺めながら日番谷は早く良くなってくれよと切に願った。もちろんそれは純粋な心配と気遣いからであり、一刻も早く今夜の雪辱をベッドの上で晴らしてやりたいとかいう理由からでは断じてない。
end
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何の考えもなく書いていたら予想以上にくだらない話になってしまいました。今更ですがこの話にかっこいい隊長は出てきません^^
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