カレフク
はたと目が覚めた。
…あれ、なんでだろう酷く腰が痛い。ぎしぎしと軋む全身と独特の鈍痛。身体もだるい。ふと隣に目を向けると飛び込んできた光景に、危うく心臓と共に大声が出そうになった。
「…日番谷隊長…」
思わず小さく呟いてしまった名前にも反応を示さないあたり、とても良く眠っているのだろう。こっそりと安堵の息を吐く。隊長がここにいるという事実によって、なぜ身体の具合が芳しくないかその理由を思い出して顔が熱くなる。途中から記憶が飛び飛びだけれども、とんでもなく恥ずかしいことをされたということだけは覚えている。
「(…もう思い出すのはやめようそうしよう)」
そういえば、と自分の身体をぺたぺたと触ってみる。…裸ではない。目を向ければ隊長の私物と思われる白い寝着が着せられていた。何度かこういうことがあったけれど、その度に衣服を着せられる意識のない自分というものを想像して居たたまれなくなる。落ちてしまう私が悪いのかそこまでやる隊長が悪いのか、比較対象となる経験がない私には判断しようがないけれども。
ふう、と軽くため息ひとつ。昨日着ていた死覇装は残念ながらびしょ濡れだ。乾くかどうかわからない。だから翌日の服がないのだ、取りに行かなくては。腰に絡まる腕を何とかそっとほどいて、私は自室へと足を向けた。
***
深夜二時、暗い廊下を闇に紛れるように急いで歩く。ベッドから抜け出す時に一瞬隊長が眉を顰めたように見えたけれど、気のせいだろうか。疲れているであろう隊長。眠りを邪魔してしまったのではないかと不安になった。
と、その時。
「あれぇ〜名前?」
「ひいっ!?」
目の前の暗闇から聞こえた声に思わず悲鳴を上げる。凝らして見れば、千鳥足で陽気に歩いてくる乱菊さんがそこにいた。飲み会帰りの乱菊さんに遭遇するという難易度MAXのシチュエーション。どうやってこの場を乗り切ろうか…。とりあえず私から話題を逸らさなくては。
「お疲れ様です、飲み会ですか?」
「相も変わらずパっとしない面子だったけどねぇ」
「パっとしないって…京楽隊長とかもいらっしゃったんですよね?」
「いたわよお財布代わりに」
「…京楽隊長の威厳て一体…」
「楽しく飲んでたのに、無理やり修兵にお開きにされちゃったのよヒドイと思わなぁい?」
「朝帰りコースだったんですか?また日番谷隊長に怒られちゃいます、よ…」
今一番触れてはいけないワード、“朝帰り”“日番谷隊長”。見事に墓穴を掘ってしまったオーマイガー。目の前の副官殿は、これ見よがしにニヤニヤとし始める。檜佐木さんたちが必死になってここまで落ち着かせ飲み会を終わらせたであろうそれに、再び火を点けてしまった。アルコールが入っている分、いつにもましてヒートアップだ。
「隊長の着物でしょ、ソレ」
「えっ!?あの、これは、そのっ…」
「そういうの、彼服っていうのよぉ」
あああ、と私は頭を抱える。そもそもこんなシチュエーションはミッション・インポッシブルだ。これからどんな質問攻めが来るのか、或いは飲み直しコースなのではないかと絶望的な顔をする私に降ってきた台詞。
かれふく、カレフク、……彼服?
なんだろう聞きなれない単語だと疑問符を浮かべていれば、「知らないの?」と説明する気満々の乱菊さん。
「お泊りした時に、彼氏の服を借りて着ることを言うのよ〜」
「…私は別にお泊りなんてしてません」
「なにあんた、まだそのスタンスでいくの」
「だっ、だって…恥ずかしいじゃないですか!」
「もっと恥ずかしいことしてたんでしょ?そんな腰痛そうにして」
「うわあああやめてくださいごめんなさい!!」
か、顔から火が出そうだっ…!
恥ずかしすぎると撃沈する私をよそにいじり倒してくる乱菊さんに思わず大きな声を出してしまった。こんな真夜中に、隊長がいたらうるさいと怒られそうだ。
「…うるせぇ」
そうそうこんな感じで……、え?
バッと後ろを振り向けば、ねみぃとぼやく日番谷隊長が腕を組んで立っていた。…え、なんでここに…。
「あっれぇ隊長じゃないっすかー!」
「うるせえっつってんだろ……酒臭えなどんだけ飲んだんだ」
「チョットですよちょっとぉ」
「松本お前、仕事中に1ミリでも酒残してたら減給すっからな」
「…隊長、お休みになってたんじゃ…」
上官同士のやり取りを尻目に呟く。もしかしてやっぱりあの時に起こしてしまったのだろうか…。だとしたらとても申し訳ないことをしてしまった。小さく肩を落として隊長の表情を伺う。それにしても、どうしてここにいるんだろう?
しおしおとへこみながら疑問符を浮かべる私はとても情けない表情だったのだろう。ちらりとこちらに目を向けた日番谷隊長は、乱菊さんと私とを見て少し面倒くさそうな顔をした。
「あ、そういえば隊長は彼服って知ってますー?」
「お前らのデカい喋り声で丸聞こえだ」
「!?」
「残念いじろうと思ってたのにー」
「上官に向かって堂々と…よほど減給されたいらしいな」
乱菊さんのマシンガントークにうんざりといった表情の隊長。でも表情の割に口数は多くて、意外にそれほど不機嫌ではないのかもしれない。
というより、全体的に往なすこの感じはなんだろう。乱菊さんの相手が適当なのはいつものことなのだけれども、それとも違うような。何か他に目的があるから適当にあしらっている印象……単に早く切り上げて寝たいだけか。でも、それなら最初からこんな所に来なければよかったのではないかと、ぐるぐると思案するけれど一向に疑問は解決されない。彼服についての会話を聞かれていたという事実もいたたまれない。
「おい松本、もう気が済んだろいい加減にしろ」
「えー」
「えーじゃねえよ、こいつで遊ぶんじゃねえ」
「だからあたしは名前だけじゃなく隊長でも遊ぼうと――いった!痛ぁい!隊長ヒドイ蹴るなんて!」
「わかったらとっとと消え去れ」
眼前で隊長の見事な蹴りを目の当たりにして、ひいっと私まで震え上がる。辛辣な言葉を放ちまくった隊長が眉間のしわを増やすと、危機察知能力人一倍の乱菊さんは仕方ないとばかりに肩をすくませた。
「ハイハイ邪魔者は退散しますよ〜」
ヒラヒラと手を振って自室へと足を向けた乱菊さん。お尻大丈夫かなぁとぺこりと頭を下げて見送れば、振り向いた乱菊さんがにやにやと笑った。
大事にされてるわね、と。
そこからの展開は速かった。無駄口は減給という台詞と共に隊長の氷点下の霊圧が向けられる、のと同時にダンッと床を蹴った乱菊さんはあっという間に夜風を切って見えなくなっていた。さすがは我ら十番隊のツートップ、なんて無駄な感動を覚えてしまう。
というか…大事にされてるとは、私のことなのでしょうか?
「何だったんだ…」
「何がだ」
「えっ?」
「お前の脳内は言語統制も出来てねえのか」
「うわあ口に出てましたか!?すいませんあああ恥ずかしい気にしないでください…」
「安心しろ。お前の場合口に出ようと出まいと考えてることなんぞだいたい解る」
なんと隊長はエスパーだったのですか…。
ンなわけねえだろとの声が返ってきて、やっぱりエスパーだと私は確信した。何故だろうすごく冷たい視線を感じるけれど、取りあえず今はそれどころではない。当初の目的である死覇装が一連のハプニングのせいでおざなりになっている。昨晩に酷使された身体は休息を欲していて、早く用事を済ませてしまいたかった。何より、何故ここにいるのかは分からないけれど自分のせいで目を覚ましてしまったであろう隊長に休んでほしかった。
それでは私も失礼します、と頭を下げて隊長に背を向ける。が、その瞬間バッと伸びてきた腕ががっしりと私の襟首を掴んだ。歩き出すのと同時に掴まれたせいで思いっきり首が絞まる。
「ゔえっ!?」
「どこに行く気だ」
「まっ、たいちょ、くる゙しっ」
「…お前が歩こうとするからだろうが」
ぱっと手が離されて私は勢いよく空気を吸い込んだ。さ、酸素…!
何事ですかっと振り向けば、同じことを言わせんなと隊長はあくびを一つ。
「どこにって、自分の部屋に戻ろうと…」
「ああ?」
「ひぃっ…こ、怖いです怖いですすいませんごめんなさい私何かしましたでしょうか!?」
「この期に及んで自分の部屋に戻るたあ随分色気のねえことしやがるな、どういう了見だ名前」
「いやっその、し、死覇装を用意しようとですね…!」
「…それだけか」
「…? はい、それだけですけど…」
私がぽかんと口を開けて答えれば、隊長ははあ…とため息を吐いて面倒くさそうにまたあくびをする。そして「戻るぞ」と言葉ひとつ、私の手を掴むとスタスタと歩き出した。
「えっ?ちょ、ちょ…っと待ってください隊長っ」
「うるせえな俺はねみぃんだよ」
「は、はいそれは承知してますっ。ですから私はこっそりと抜け出してですね、」
「お前あれでこっそりとは護廷隊士の名が泣くな」
「ゔぐっ、やっぱり起こしちゃったんですか…」
「……おい名前、」
やっぱりか…とへこむ私をよそに急に立ち止まった隊長。自然の摂理がごとく、当然私はその背中に衝突する。ぶふっという情けない声と共によろけた私に隊長は振り返って一言言い放った。
「夜中に出歩くんじゃねえよ」
心配するだろうが、と。
へ、と思わず私は固まる。今なんと仰いましたか。心配する、と…!?もしかして…もしかして隊長は、私を迎えに来てくれたのでしょうか。
“大事にされてるわね。”乱菊さんの言葉が脳内で再生されて顔が熱くなる。夜遅くまで仕事をこなして疲れているであろう隊長が、眠気を押して私を心配してくださったと、そういうことでいいのでしょうか…?
「…間抜け面してんじゃねえよ」
「じ、自分でも顔が赤いのは分かってるんですけどっ…こればっかりはしょうがないといいますか不可抗力といいますか…その、嬉しくて…」
「……」
「…あの、それだけのために、わざわざ来てくださったんですか…?」
「悪いか」
ブンブンともげるんじゃないかと思うくらい首を振って、ありがとうございますと小さく呟いた。悪いなんて、そんなことあるわけがない。どうしよう、嬉しすぎて涙出てきた…。
「…おい泣き虫、いつまでここに突っ立ってるつもりだ。廊下がそんな居心地良いとは思えねえぞ」
「い゙っ!?いひゃいいひゃいれすほっぺたつねらないれくらひゃい!」
「わかったらとっとと戻るぞ」
「うゔ痛い…あ、でも死覇装はっ…?」
「俺のを貸してやるよ」
私の手を掴むとグイッと隊長が引っ張る。重力に任せて前のめりになる身体。そして首に腕を回されて、何とも残念な体勢で私は捕獲された。食い下がる私がうっとうしかったのか、隊長はそのまま私を引きずって歩き出そうとする。
隊長の脇に首だけ抱えられて、えーと何だっけこういう技、ヘッドロック?というか、もしかしてもしかしなくても首絞まってますよねコレッ…!?き、キめられる…何らかの技をキめられるっ…!
ぱしぱしと回された腕を必死にタップしていると何とか力が緩められた。お花畑が見えましたよ隊長!あの景色はなんだったんですか怖いです!
「気になるならもう一度見に行くか?」
滅相もございません結構です!!と半べそで訴えれば、はっと鼻で笑って隊長は口を開いた。意味わかってんのか、と。
「…? 何のですか?」
「俺の服を貸してやるってのがどういうことか、わかってんのかって訊いてんだよ」
「ええと…絶対に汚さないように着ます…?」
「そういうことじゃねえ」
はて、と首を傾げる私を隊長は薄らと口角を上げて見下ろしてくる。何だろう、このバイオレンスな瞳はとてもデジャヴだ。
「返しに来いよ、今夜…な」
「……昼間じゃだめでしょうか」
「俺は一向に構わない。お前の素っ裸でいる時間が長くなるだけだ」
「うそですすいませんごめんなさい」
疎いと馬鹿にされる私でもさすがに隊長のこの表情と台詞を浴びせられれば嫌でも意図はわかる。わかってしまうのである。恥ずかしさと降伏せざるを得ないダブルパンチでがっくりとうなだれて寝着の首元に口を埋めれば、ふと香ってきたにおいにどきんと胸が高鳴った。
「(う、あ…隊長のにおいだっ…)」
隊長の寝着を借りているのだから隊長のにおいがするのは当たり前なのだけれども、何だろう乱菊さんがあんなことを言ったせいですごく、すごくすごくドキドキする…。意識してしまうと彼服とはこうも恥ずかしいものなのか。彼服。嬉しいというかこそばゆいというか、胸の奥がきゅんとしてムズムズする…。
ぽーっとしてくる隊長のにおい。未だ耐性のつかない、大好きだけどドキドキと落ち着かない気持ちにさせる隊長のにおい。ふわふわと赴くままに隊長を見上げると、鋭い視線に絡めとられた。
「…誘ってんのか」
「えあっ…、!?」
私を捕獲していた腕が襟首を掴んで引っ張り上げて真っ直ぐに立たせられる。そのまま後頭部に回った隊長の手に引き寄せられて唇が合わさった。ちゅうと吸い付いて暫く重なり合って、それからちゅ、ふちゅっと啄まれる。ゼロ距離で感じる本物のにおいにくらくらする。
「…おいそんなエロい顔すんじゃねえ」
「ええ…!?」
「舌入れりゃ入れたでヘロヘロになるくせに、これはこれでへたりやがって…毎度のことながらご苦労なこったな」
「わ、私のせいじゃないですもんっ…」
「俺のせいでもない」
「(清々しいくらい悪気がないな…!)」
「何のせいかと言えば、そうだな…」
腕を組み顎に指を添えた隊長がじっと見てくる。な、何ですかっ。自然と身構えてしまってどもりながら引ける腰。つう…と隊長の指が襟元から胸、脇腹を着物を撫でるように伝う。ぞくりと震える身体。
コレだ、と隊長が口を開いた。
「悪くねえな、カレフク」
如何にも俺のモノって感じが襲いたくなる。
何とも物騒なことを言ってのける隊長に私はひくりと頬を引きつらせる。今更ながら彼服とやらの危険性を認識し始めるがもう遅い。何か問題でもあるかないよなと、有無を言わせない表情が物語っていた。
end
▼
彼女と一緒に寝たかった日番谷さん。
続きとは思えないほど糖度が高くなってしまった…!あれですね、隊長が眠かったからってことにしておいてください…。
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