intention




「へっ……」



と、まぬけな声が出た。真正面に感じる吐息がこのあり得ない状況を物語っていて。ど、どどどどうなってるの?え、ちょっ、何が…っ。ほんの数秒の間にこれでもかと過ぎる疑問符が解消されることはなく。


――事の発端は数分前。
暖かい日差しが注ぐ窓際で書類を片付けていた私は見事に睡魔に負け、はたと気付くと真横に隊長が立っていた。一応机に向かって座っていたわけだし、奇跡的に筆だって握ったまま寝落ちしていたし、これはもしかしてもしかするとまだギリギリでバレてなんいんじゃないかなてへ!と隊長を見上げると、隊長はとても残念そうな顔をして机に散乱する書類を一枚手に取った。



「苗字」

「はい」

「悪いな」

「はい?」

「俺には読めない」

「…わあ」



ぺらっと見せられた書類には、書きかけの文字の続きから紙面を横断するインクが踊っていた。ははっ…と力なく笑ってみる。いや、笑うしかない。うつらうつらする度に書いてしまったのであろう謎の象形文字は居眠りの動かぬ証拠。こんなことなら下手に悪あがきなんてしないで初めから謝っておけばよかった。バレてるうそを気付かずに吐き通し続けることほど恥ずかしいものはないもう消えたい。



「…すみません」

「何がだ」

「いや、だからその…」

「何で謝らなきゃならねえのか自分の口ではっきりと俺に説明しろ」

「…居眠りしていて書類が出来てませんごめんなさい」

「……」

「すいませんごめんなさい即行でやりますから!だからそんな霊圧ダダ漏れにしないでくださいお願いします!!」



悪気があったわけじゃないんですよ!?と半泣きで訴えれば、「悪気があったらそもそもお前は今喋れる状態でここにいない」と爽やかに言い放たれた。あれ、なんでだろう隊長の周りにどす黒いオーラが見えるよ。というか実際今とても寒いんですがもしかして気温とか下げちゃったりしてます?



「居眠りするほどここは気持ちの良い場所か」

「そ、そりゃもうお昼ごはん後の暖かい日差しのそそぐ執務室はどんなにまじめな隊士でも眠たくなるくらい気持ちの良いところでしたよ!」

「ほう…俺なら今すぐここを氷点下の雪原にも変えられるが…ああ、それともお前自身を凍りつかせてやろうか?え?」

「すいませんごめんなさいでも今のはふざけたわけではなく決死の弁明をですねッ、」

「黙れ能天気女」



絶対零度の声が突き刺さって、ひいっと私は震え上がった。うわあああ、まずいこれはまずい。重すぎる空気に耐えかねて、ちょっと明るく許してくださいテヘペロみたいなノリをかまそうとしたのが間違いだった。見事に目の前の隊長様の逆鱗に触れてしまったようだ……ようだも何も当たり前の結果すぎて、軽いノリでやり過ごせないかなとか思っていた数秒前までの自分を今私は本気で殴りたいと思っている。



「うっ、ご、ごめんなさいぃ…」



怖い、怖すぎる。
無表情の隊長が目の前に立っている。剣呑というかもはや光がないその瞳に見下ろされて、あまりの恐怖に半べそを通り越してがっつり涙が滲み始める。そんな自分が情けなくてみっともなくて。ああ、さらに隊長に失望されてしまうと思ったら余計に泣けてきた。俯いて震える声で謝罪を述べる私はまるで稚拙な子どもだ。駄目なやつだと、思われているんだろうなぁ…。



「おい、何情けねえ面してんだ」

「すっ、すい、ませんっ」

「ガキかお前は」

「…ごめんなさっ」

「泣くほど怖いのか、俺が」

「え……はい、あっいや違くてっ…!」



バカか、私は。
はいってなんだ、上官に向かってはい怖いですって何だよその自殺行為…いや違う、問題はそこじゃなくって。私のバカすぎる発言に少しだけ、ほんの少しだけど隊長は表情を曇らせた。酷いことを言ってしまった。それが一番、私を後悔のどん底に突き落とす。いい加減自分の文章能力のなさに腹が立つ。違うんです、私は、そういうことを言いたかったんじゃなくてっ。



「ち、違くてっ…その、た、隊長に…」

「…なんだ」

「き、嫌われたって思ったら、泣けてきて…自分が悪いのに何言ってんだって話ですよね…っ」

「苗字、お前…」

「っ、すいませんほんと気にしないでくださ、」

「いつもこんなにスキだらけなのか?」



ダンっと音がした。それが自分が机に押し倒された音だと気付いたのは、真上で見下ろしてくる隊長の顔を見てからだった。
そして、冒頭に戻る。



「へっ……」



情けないくらい掠れた声を吐き出して、それ以降私の声帯はろくに機能しなくなった。呆然と口をぱくぱくとさせる私は多分、人生史上最も間抜けな顔をしているに違いない。隊長はそんなことなど微塵も意に介さない表情で、組み敷いた私をじっと見つめていた。



「お前は、」



いつもそんな風に簡単に寝顔を晒して泣き顔を見せて男を悦ばせるようなことを言ってんのか。

射抜くような、感情の見えない瞳で隊長は私を見据えた。意味が、わからない。隊長は何を言っているんだ…。文字通り凍りついた身体、ヒュっと喉が鳴る。



「な、なに…をっ」

「何を、だと?…それはこっちの台詞だ」

「待っ、あの、さっきから仰る意味が、」

「嫌われたくない、ってんなら、お前は俺にどう思われたいんだ、苗字」

「……え?」

「何でもかんでも無自覚・天然で済ましてやれるほど俺は出来た男じゃない」



目の前の瞳が鈍く光る。私の身体の横に突かれていた手が頬に伸びてきて、顔にかかった髪をきれいな仕草で耳にかける。隊長の細く長い指がわずかに耳元に触れて、ぞくっと腰から背中へ何かが駆ける。



「言えよ」

「ふっ、…耳、やめっ…」

「お前の口ではっきりと俺に分かるように、言えよ」

「っ…わ、私は…」

「…私は?」

「たっ、隊長に、好かれたい…ですっ…!」

「それは何故だ」

「な、ぜ…って、それはっ…」



お、おかしい…。この状況は、絶対におかしいっ…!怒られるとかなら自業自得だけれども、これは、この状況はっ…!?
距離感とか尊厳だとかいったものが駆逐されてしまったような空間。隊長がわからない。何でこんなことをするの、私をどうしたいんだ。“好かれたい”。何故ってそんなの、理由なんて決まっているじゃないかっ…――え?…ちょっと待って。あれ、今私、もしかしてとんでもないことを言ってしまったんじゃ……。



「は、はははっ…」



思わず乾いた笑いが漏れた。笑うしかない。なんかデジャブだよ、これ。自分の失態に噴き出す嫌な汗を感じながら引きつった顔でそうへらへら笑った私を見て、隊長は静かに身体を離した。静かに離れて、静かに目を細める。そして次の瞬間。
ズダァンッ――!!私の頬スレスレに、腕が突き下ろされた。



「………」



フシュウゥ〜…と、顔の真横の机から煙が上がる。恐る恐る視線を向ける。目で追うことすら出来ない速さで突かれた腕が、そこにあった。声すらも出なかった。壁ドンならぬ机ドン的な、なんて冗談も現実逃避も出来ない。言ったら最後、私は氷の彫刻となるだろう。視線で人を殺せそうな冷えた瞳が今の実情を物語る。なんていうか、何もかもが裏目に出すぎて辛い。



「随分と余裕じゃねえか、苗字」

「……」

「こんな状況下で笑うたあ大層な神経だな、一体どんだけ図太いんだ?あ?」

「…よ、余裕なんてあるわけないじゃないですかあああっ!!」

「ほう…泣いたと思ったら今度は逆ギレか。ほんとにガキだな」

「ッ…だって!い、今ほんとに怖かったんですよ!?殴られるかとっ…それにっ…それにあんなこと言わせて…!」

「…なんだ。そこは自覚あったのか」



そう呟くと、隊長は意外にもあっさりと身体を離した。離れた、のに。私はというと氷のように固まったまま動けない。冷や汗が全身から噴き出す。
……逆ギレ、してしまった……。
上官、それも自隊の隊長に逆ギレしてしまった。ああ、私終了のお知らせ…。



「…あ、あの、日番谷隊長…」

「なんだ」

「そのっ、と、とんだご無礼をっ…」

「それは自分の無自覚で浅はかな行動についての謝罪か」

「(…むじかく…?)」

「どうなんだよ」

「えっ、は、ははははいそうですごめんなさい!」

「…なら、しっかりとその身体に刻み込んで身を持って反省すればいい…」



なあ、名前?

ぐっと、耳元に唇が寄せられる。初めて呼ばれた自分の名前は、隊長の唇から吐息となって私の脳に直接入ってくる。あまりの衝撃にくらりと視界が揺れた。ふわふわと浮くようなぼんやりとした感覚と腰を痺れさせる甘い戦慄きが私を襲う。



「…感じやすいんだろ、処女のくせに生意気だな」

「っ、は…!?」

「耳、感じるんだろ?」

「ちょっ…や、耳元で喋らないでくださ…っ」



必死に肩を押すと隊長はやっと顔を上げて、ふん、と見下すように鼻で笑った。
…な、名前を、呼ばれた…。
隊長が他人を名前で呼ぶところなど今まで見たことがなかった。ルキアさんと朽木隊長とを同じ朽木呼びするせいでいつも周りが混乱するにも関わらず知ったことかと一切苗字呼びを変えることのなかった、そんな隊長が。
“名前”。思い出しただけでぞくぞくと身体が震える。低く、甘く、少し吐息まじりの名前は、普段友達などから呼ばれているものと同じ言葉とは思えないほど堪らない響きを含んでいて。その衝撃は、自分が未経験だとバレていたとかいう諸々のショックやハプニングをも吹き飛ばしていた。



「俺が怖いか、名前」



再度問われた質問に、さすがの私も同じ過ちは繰り返さない。ブンブンと首を横に振って怖くないですごめんなさいと絞り出した声は、しかし無情にも可哀想なくらい震えて上ずっていた。ひりひりと視線が痛い。でも今の動揺は単に怖いからとかいうだけでなく、再び隊長の口から自分の名前が紡がれたことへの驚きや感動も合わさっているのだ。そのことを見透かしているのか何なのか、隊長は一先ずは勘弁してやるといった表情をしていた。
…意外に根に持つタイプなのかな…。



「そりゃあ好きな女から怖いなんて言われちゃ、考慮しないわけにもいかねえだろ」

「なるほど……―ええっ!?」

「…いい加減お前の鈍さは問題視すべきだが…まあいい。今までの反省はこれからたっぷりその身体に教え込んでやる」

「え?あの、何を…、」

「…何からナニまで事細かに説明して欲しいか?」

「ひっ!?や、やっぱり言わなくていいですごめんなさい!!」



どうしてこうなったんだとか、考え出すとそれはまあつまり何もかもが裏目に出ている本日の自分の運のなさが原因なのではないかと。そんなことをぐるぐると思案していたら、男に組み敷かれて考え事とは全くもって余裕だなと、酷くバイオレンスな色を瞳に浮かべて隊長は笑った。…ほんとに今日は何もかもが裏目に出ている。

――ああ、私終了のお知らせ。





end



もう少し今のまま上司と部下というあそびのある関係を愉しんでから堕とそうと思っていのに、想像以上に無自覚・天然で危なっかしかったヒロインちゃんにイラっ☆ときて手を出しちゃった系隊長。
隊長スペック:ガチサドジャイアン、でも彼女には(基本)甘い。

intention=思惑


 

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