うどんちゅるん
もちもちとした弾力のある麺をすすると、ちゅるんと唇の隙間をぬって通るこの感触がたまらない。ふうっと満足げにひと息ついて、唇にはねた汁を指先で拭った。
「…あの、」
「なんだ」
「いやそれこっちの台詞……なんなんですか」
昼まだだよな今から食いにいくぞと、質疑応答が成立しないまま連れてこられたお店でうどんをいただいている。一足先に食べ終わった隊長は、何を喋るわけでもなくひたすら目の前に座る私を見ていた。
気まずい。そしていたたまれない恥ずかしい。やだ私ちゃんときれいに食べれてるよね…あれ、わからなくなってきたうどんの食べ方ってこれでいいんだっけ。
「……」
「……」
痛い。真っ直ぐすぎる視線が顔面に突き刺さって辛い。ああほんとこれなんて罰ゲーム?困り果てた私は、もちもちとしたうどんを咀嚼して飲み込むと、もう一度、同じ質問を繰り返した。
「なんなんですか」
「…うどん」
「うどん?」
「食べてんの、なんかエロいなと思って」
「は、えっ…!?…ごほっごほっ…ちょ、熱でもあるんですかっ」
「別に、至って健全だが」
「いやうん健全ですね健全でしょうね違う意味でね!」
「うるさい騒ぐなうどん食ってろ」
「理不尽!」
威勢良くつっこんでみるものの、じっと見つめてくるその視線からは逃れられず。…というか、今えろいって言いませんでした?え、うどん食べてえろいって何?えっ?
頬杖をついてなんだか本格的に鑑賞モードに入った隊長は、待たせんなよと無言の圧力をかけてくる。意志の強いきれいな緑色の瞳に見つめられる。
そんなっ…そんな目をこんな状況でしないでよとんだ無駄遣いだよ……。
「…イタダキマス」
負けた、完敗だ…そもそも勝てる気がしない。何を考えてるのかこちらに読ませる隙を与えない、逆に相手の心を見透かすような隊長のあの目。悪いことをしている気分になって逆らえない。というか単純にあの顔に見つめられたらそりゃもう負ける気しかないよね。
汁飛ばさないようにしなきゃ、あとお箸の持ち方にも細心の注意を…。
例えるならこう、面接官の前でうどんを食べる…みたいなね。うどん如きになんなんだこの緊張感は。そうつっこんでみるものの、やっぱりこの人の前では少しでも女の子らしくいたいから。だから私はできる限りきれいに慎重にうどんを啜っていく。
ちゅるちゅるちゅ、ちゅるっ。
我ながらあからさまにぎこちないなと自覚しつつ、はらはらと前に落ちてくる髪を耳にかけながらちゅるるっと口を尖らせる。
「ストップ」
「、はへ?」
突然の声に、思わずその状態で固まって隊長を見上げる。上目使いに見た隊長とばっちりと目が合うと、隊長はなんだかよくわからない表情をしながら口元に手を当てて少し俯いた。そして何を思ったのか私の隣にやってくると、私を両サイドではさむテーブルと壁とに手をついて見下ろしてきた。
店内の照明が逆光になって余計に表情がわからない。中途半端に垂れたうどんから汁が垂れて、唇や顎をつたっていく。う、あ…そういえばうどんをくわえたままだった…!
恥ずかしさに我に返って慌てて身じろぐと、隊長が私の肩をがっしりと掴んでそのまま後ろの壁へ押し付けた。
「っ…!?」
「動くなって、言っただろ」
すいませんと反射的に固まる私を後目に覆い被さってくる隊長。あまりの展開の早さに置いてけぼりの私の頭は、さっきからチカチカと明滅して考えることを放棄している。肩越しに見える店内にこんな所で何をしているんだと声を上げたくなるけれど、初めて間近で感じるふわりと漂う隊長の匂いに私はくらくらしてしまう。掴まれた肩が熱い。
いよいよ吐息が交じる距離になって、私はきゅっと目を瞑った。
「そのまま、」
ダイレクトに響いた低く甘い声に、ぞくりと何かが背中を駆ける感覚。直接脳に届いてしまうくらいの距離なんだと理解するよりも早く、ふちゅ、という音とともに唇が重なった。驚いて目を開けるけれどすぐに私は後悔する。先ほど完敗を期したイケメン上司の顔が、ありえない距離にあったのだから…。
キスをしているんだから、目の前に顔があることは当たり前か…いやいやいやありえない。まずこのシチュエーションがありえない。ていうか、えっ、きす!?ちょっと待て、落ち着け落ち着くんだ私。この至近距離でこれ以上パニックを起こしたらさすがにばれっ……。
「!!?」
つぷっと私の唇を割って入ってくる温かい舌。ぬるりと舌で歯列をなぞられると、ぞくりと、身体が粟立ってくらくらと視界が揺れた。
反射的に固くなる私を和らげるように隊長の手が頬に触れて、そのままちゅうっとくわえたままだったうどんの端を持っていかれる。満足げに離れた隊長は、そのうどんの端切れを見せつけるように飲み込むと、ぺろりと唇を舐める。ちろりと見えた、赤い舌。
その姿を、私は食い入るように見つめてしまった。目が、離せない。どうしよう、さっきの隊長のセリフ、なんとなく共感してしまったかもしれない…。
「…もううどん食べれない…」
「そりゃよかったな」
「…さっきから理不尽すぎません!?ていうか、誰のせいだと思ってるんですか!」
「へえ…俺の食べ方、そんなに興奮したのか」
「えっ!?あっ、いやその………っ…隊長は、」
「?」
「隊長は、その、したんですか…興奮」
「…したよ」
「!!」
「それなのにお前ときたら鈍感でアホで無自覚で腹が立ったから今後のために俺がわからせてやった」
「なんかいちいち言葉に棘が…いや何でもないですごめんなさいありがとうございます」
どうやら想像以上に私の頭はポンコツだったらしく、この一連の衝撃的な流れについて一向に脳みそが働かない。会話をするのでいっぱいいっぱい、同時に二つのことができないとか馬鹿ですか…いや馬鹿だけども。
…初めて、だったんですよ隊長。どうしてくれるんですか隊長。本気、なわけないよね…うっ胸が痛い。
目の前で悠然と見下ろしてくる隊長の、その余裕そうな表情がとても悔しい。きっと慣れているんだろうな、こういうの。私が不慣れだってことも、あれだけパニックになってたらバレたよなぁ…。うわーこれだけ理不尽なことをされまくった上に、経験少ない奴だと思われたなんて情けない恥ずかしい消えたい。
「…つーかお前、“今後”の意味わかってねえだろ」
「ばっばかにしないでくださいそのくらいわかってますよ!これからは人様に変な思いをさせて迷惑をかけないようにしろってことですよね!」
「合ってるようで全然合ってねえな…」
「なんか今私とても可哀想なものを見る目で見られている…!?」
「こういう言い方も出来るな…。お前はもう俺以外の男と飯を食うんじゃねえ」
「何そのジャイアニズム!!」
もう仰っている意味がわかりませんと降参すれば、隊長はするりと私の頬を撫でて顔を近付ける。反射的にピクリと震えた私を薄っすらと笑いながら、その禁欲的な唇が至近距離で言葉を紡いでいく。
「お前のその恋愛スキルゼロの頭でもわかるように言ってやるよ」
「なっ…」
「お前が今後興奮させる、させられる相手は、俺だけだ」
「隊長、だけ…?」
「そうだ…お前みたいな馬鹿で鈍くて無防備な奴は、俺の手の届く所に居ればいいんだよ」
「っ、な、なんで…」
「なぜ?決まってるだろう、お前が俺のものだからだ」
なんというジャイアン的発言ですかというつっこみは、浮かんだ瞬間に霧散していった。
…それは、それはつまりそういうことなのだと、都合の良いように解釈してしまってもいいのでしょうか?私のファーストキスは無駄じゃなかったと、そう思っても良いのでしょうか?
ドクドクとうるさい心臓を押さえながらも湧き上がる疑問に目を向ければ、不敵な笑みを唇に乗せた隊長に瞳を射抜かれる。
「…さあな、自分で考えろ」
「…は?…えええっ!?」
「うるせえなデカい声出すなよ」
「だ、だってそんな…ここまでしておいてひどいですよ隊長!」
「…名前、別に俺は遊んでいるつもりはねえぞ」
「だったらなんで…」
「そりゃお前、正式な告白の場がこんなうどん屋じゃ色気もクソもないからだろうが」
「!?」
「それとも…もう少し色気のある場所を用意してやろうという俺の心意気をへし折ってでも、今この場で言葉が欲しい、と?」
ブンブンと首がもげるのではないかというくらい横に振った。横に振るしかなかった。ここまで色々と好き放題やっておいて何を今更とは思いつつも、隊長のそんな素敵な申し出を断るなんて私に出来るはずがなかった。
と同時に、ここがどこだかを強制的に思い出して、居たたまれなくなったという理由もあるのだけれども。
「…しかし、お前のファーストキスがここになっちまったのだけは想定外だったな」
「ファーストキスだとバレている!?」
「逆にお前ほどわかりやすくて、どうして気付かないでいられるか教えて欲しいものだな」
「…さようですか…」
「まあしょうがねえな、煽った名前が悪い」
もう理不尽だとかジャイアンだとかつっこむ気力もなくなりましたと泣き言を漏らせば、諦めが早いのは得策だと隊長は言ってのける。そもそもはただうどんを食べに来ただけのはずだったのに、なんだかとんでもないことになってしまった。好きな人が想像以上にドSだったとか、その当人と一方ならぬ間柄になってしまっただとか。
うんうんと頭を抱えてみても、一向に状況は整理されない。
「そろそろ行くぞ」
ふいに掛けられた声に顔を上げれば、隊長は身支度を整えて呼び止めた店員に会計を済ませたところだった。お会計っ…と慌てた私に隊長は呆れながら言ってのける。そんなに俺を甲斐性なしにしたいのか、と。
その言葉の意味を悟って赤くなる頬を隠そうと顔を逸らすよりも早く、スッと差し出された手。
「ほら」
「っ……」
「何今更照れてんだ。…それとも、手の繋ぎ方すら知らねえのかお前は」
「だ、だって…――うわっ」
全く手の掛かる奴だと口角を上げた隊長に嫌でも胸が高鳴る。少し、というかかなり強引に私の手を取りぐいぐいと歩き出す隊長に、私は慌てて付いて行くしかない。手を繋がれ歩く道すがら、ちらりと振り返って見上げたうどん屋さん。
うどんをちゅるん。
それだけで始まる恋もあるものなのだと、私は何とも言えない感慨を覚えながら隊長の手を握り返した。
end
▼
うどんちゅるんてえろいねって話を書きたかっただけなのに。
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