それから二人で身を寄せて空を見ていた。
星も月も雲に隠れて見えないけれど、イタチのそばは心地よくて、このまま時が止まってしまえばいいとさえ思った。そしたらずっと一緒にいられるのに。
「ねぇイタチ、もしあんなことになっていなかったら、今頃二人で笑っていられたかな」
「あの時里が警戒すべきはうちはだけじゃなかった。他里もいつ木ノ葉を攻めるか様子を窺っていた。うちはがクーデターを起こしていたら確実に戦争は起こっていただろう。そしたらオレもお前も今ここに存在していなかったかもしれない」
「でも……」
今の木ノ葉があるのはイタチのお陰とも言える。平和の為、木ノ葉の為にイタチは汚名を背負った。
「イタチが犠牲になるのはおかしいよ」
どうしてイタチだったの?木ノ葉のスパイが、うちは一族のスパイがイタチじゃなかったら、こんなに苦しむことはなかったのに。
「わたしとずっと一緒にいてとは言わないから生きてよ!イタチが死ぬなんて嫌だよ!」
はじめはイタチと一緒にいたいだけだった。イタチのそばにいられればそれでよかった。でも今は、イタチに生きて欲しい。ただそれだけなのに、どうしてこんなに難しいの。
「オレが一族を殺した。これは消えようのない罪だ。サスケには憎しみと孤独という辛い思いをさせてしまった。サスケに殺されることが、兄としてあいつにしてやれる精一杯のことだ。それにオレはこの先長くない。いずれ尽きる命なら、サスケの為に……ゲホッ…ゲホッ」
「イタチ!」
「………大丈夫だ」
体を起こしてイタチの背中を摩る。わたしの顔を見たイタチがフッと口元を緩めた。
「今咄嗟に印を結ぼうとしただろ、あの術の」
「あ……」
「お前はオレがこうして咳込む度に印を結ぼうとする」
「だって……」
怖いよ。イタチががいなくなっちゃうんじゃないかって。だからもしもの時はイタチとの約束を破ってでも術を使う気だった。
「その術はオレには使うな」
「イタチ!」
「使うなら、お前が未来を託せると思う奴の為に使ってやれ」
「え……」
「争いの種はたくさん転がっている。世界は不安定だ。本当の意味で平和だと言える世界になって欲しい。お前は優しいから使うなと言っても目の前で倒れている人がいたら放っておけないだろう。己の命を削るリスクの高い術だ。どうせ使うならオレではなく未来を託せる奴の為に使ってくれ」
そう言って微笑むイタチの目はとても優しかった。
わたしは優しくなんかない。本当に優しいのはあなたの方でしょ。あなたは里の平和を、世界の平和を一番に願っているけど、わたしは違う。目の前の人のことしか考えられない。
神様はなんて意地悪なんだろう。本当に幸せになるべき人を幸せにしてくれないなんて。イタチの人生、つらい思いだけで終わってしまうのかな。
イタチの本音を聞いたあの日を境にイタチの態度が変わった。
今までなら移動中はわたしの数歩前を歩いてこっちなんて見向きもしなかったのに、振り返って手を差し出された。その意味を理解するのに少し時間がかかって差し出された手をまじまじと見てしまう。小さく笑ったイタチに手を取られてまた歩き出した。
鬼鮫さんにからかわれるんじゃないかと思ったけどにやにやしているだけで何も言ってこないのが気味が悪い。鬼鮫さんなりに気を遣っているのだろうか。
誰も何も言わないけれど、なんとなくわかっていた。
別れの時が刻一刻と迫っていることに――。
その日の夜は洞窟で一夜を明かすことになった。
見張りも何もしなくていいわたしは、洞窟の隅で膝を抱えてうとうとしていた。誰かが隣に腰を下ろす気配がして目を開ける。
「すまない。起こしたか?」
「イタチ……」
「そのままでいい」
「うん……」
抱き寄せられて、イタチの肩に頭を預けて目を閉じた。
目を閉じていても感じる温もりが、イタチがまだここに居るのだと教えてくれる。
イタチはあの術を自分には使うなと言ったけれど、今使えばイタチは救える。術を使えばイタチの傍にはいられなくなるからこれまでは使わないようにしていたけれど、どうせ離ればなれになるのなら、今ここで、使ってしまおうか。
そんな考えが頭を過った時だった。
手をぎゅっと握られた。ハッとしてイタチを見る。イタチは優しく微笑むだけで何も言ってこない。ただ、重ねられた手が「馬鹿なことはやめろ」と言っているような気がして唇を噛む。そんな優しい顔で止められたら振り切れない……。
重なった手を強く握り返してイタチの肩に顔を埋めた。子どもをあやすように頭を撫でる手は、昔の優しいイタチそのものだった。
このまま心地よく眠ってしまいたいような、でも眠ってしまうのがもったいないような。少し葛藤して目を閉じると、睡魔の波はわたしの意識をあっという間に攫っていった。
いつもより少しだけ早く目が覚めた。
まだ寝ているイタチを起こさないようにそっと抜け出して外に出た。
東の空が濃い青に染まり始めている。夜のうちに雨が降っていたのか空気は湿っていた。葉にのっていた露が滑り落ちて地面で跳ねた。
「貴女がこんな時間に起きているとは珍しいですね」
振り返ると身支度を整えた鬼鮫さんが立っていた。
「おはようございます鬼鮫さん。早いですね」
「寝坊助な貴女とは違うんですよ」
これでもいつもより早いです、と言い返したいけれど起きたててでそういう気分ではない為大人しく口を噤む。また後で言えばいいやと思っていると、鬼鮫さんは大刀を担いだ。何も聞いていないけど鬼鮫さんとは今日は別行動なのかな。
「真白さん」
「なんでしょうか?」
わたしを呼んだ鬼鮫さんの声色は普段のからかうような口調とは違い真剣そのものだった。鬼鮫さんがわたしにそんな風に話すのは珍しい。何事だろうかと身構えてしまう。
「貴女達の決めたことに私は口出しする気はありません。ですが、お二人が後悔しない道を選んで欲しいと私は思っています」
「鬼鮫さん……」
「では、私はこれで」
鬼鮫さんはそれだけ言うと一足先に行ってしまった。急にどうしたんだろう。
目を覚ましたイタチに鬼鮫さんが先に行ったことを伝えるとイタチは知っていたのか気にしていないようだった。
身支度を整え終えると「ついて来い」とイタチが言うので、その後ろを黙ってついて行く。
どこへ行くのかと訊けないのはこの重苦しい空気と、嫌な予感があったからだ。
しばらく歩くと、見晴らしのいい高い丘に着いた。
今日は天気も良くて、肌を掠める風も心地よい。しかし、この胸のもやもやはなんなのだろう。
「真白」
不意にイタチがわたしの名前を呼んだので、体ごとイタチに向き直った。
「此処でさよならだ」
「うん……」
驚きはしなかった。そろそろなんじゃないかという予感はあった。
ついにこの時が来てしまったんだね。
「……」
「……」
何か話さなきゃ。これで最後なんだから。此処で別れたらイタチはサスケくんとの戦いに向けて動き出す。そしたらイタチは……。
まだまだイタチに言いたいことはあるはずなのに、肝心な時に何も思い浮かばない。
言葉に悩んでいると同じく口を閉ざしていたイタチが先に口を開いた。
「お前には辛い思いをさせてしまったな」
「そんなことないよ」
これで最後という言葉が頭の中を駆け巡る。
本当は行かないで欲しい。
引き止めたい。
でもできない。
イタチが望んでいることだから。
イタチが決めたことだから。
「わたしこそ迷惑ばかりかけてごめん」
声が震える。これ以上喋ったら涙がこぼれてしまいそう。
泣くな。泣くな。
最後くらい笑顔でいなきゃ。
イタチの姿をしっかり目に焼き付けておこうと、真っ直ぐ見つめた。
「……そろそろ」
「……うん」
イタチがこっち向かって歩いてくる。わたしは目線を逸らすことなく真っすぐ前を見据えた。
イタチがわたしの横を通りすぎる際
「 」
風に掻き消されてしまいそうなくらい小さな声だった。でも確かにわたしの耳に届いてきた言葉。
「……っイタチ!」
振り返ってもそこには、イタチの姿はなかった。
昔のイタチやこの一年のイタチが頭に浮かんでは消えていく。
最後の言葉の直前、イタチは昔みたいに笑っていた。
『最後にまたお前に会えてよかった』
さようなら、優しきひと。
あなたがだいすきでした。
頬を一筋の雫が伝った。