「真白、遅いぞ」
遅いぞ、じゃない!!前から思っていたことだけど二人の走るスピードは速過ぎる。ごくごく普通の忍がついて行ける訳がない。トロトロ走るわたしを見兼ねたイタチが鬼鮫さんに目配せすると、鬼鮫さんはわたしを米俵のように抱えた。
「な、なに!?」
「捕まってないと振り落としますよ」
「え……いやああああああああああ」
今まで体感したことのない速さにめまぐるしく変わる景色。わたしの脳は全くついていけず完全にショートした。あの二人が今までペースを落としてくれていたことを思い知った瞬間だった。
「ここらで休憩にするか」
イタチの言葉を合図に鬼鮫さんが急に止まるものだからその反動でわたしは鬼鮫さんの腕からするりと抜け、地面に頭から突っ込んだ。
「痛たた……」
「忍とは思えない突っ込み方だな。受け身の訓練は受けただろ」
「顔面から突っ込まなかっただけいいと思ってよ」
また棘のある言い方。いつからイタチはこんなに嫌味ったらしくなっちゃったんだろう。昔のイタチなら笑いながら心配して手をかしてくれたのに。
「真白」
「なに……っ!」
顔を上げるとしゃがんだイタチの手が伸びてきて、頬に触れた。
「泥がついている。お前も一応女なんだから気を遣え」
イタチの顔が至近距離にあって咄嗟に視線を下げた。が、外套から覗く鎖骨が目に飛び込んできて、目のやり場に困り視線を泳がせた。
「い、一応は余計!」
恥ずかしくなってその手を払い退けると、イタチは払い退けられた手を見たままキョトンとしている。どうしていいかわからず「顔洗ってくる」とだけ言ってその場から逃げ出した。
別にイタチに触られたのが嫌だった訳じゃない。むしろ嬉しかった。けどあんな至近距離で見つめられたら、どうしていいかわからなくなっちゃうよ。
小川の水を掬って数回顔にかける。滴る水滴が波紋を描いては消えていった。
「……よし!行くか!」
両頬を二回叩いて喝をいれ、その場から立ち去ろうとした時だった。
「………か…さん…」
今誰かの声が聞こえたような。辺りを見渡すと、対岸に男の子が倒れているのを見つけた。まさかあの子が?川の上を渡って男の子に駆け寄る。
「君大丈夫!?」
その男の子は全身傷だらけで身体のあちこちにクナイやら手裏剣やらが刺さり、重傷を負っていた。忍の争い巻き込まれてしまったのか。こんな幼い子が……。急いで医療忍術を始めるが果たして間に合うだろうか。
しばらく経つとうっすら目を開けた男の子は縋るように天に向かって手を伸ばす。
「……おか…さん」
「大丈夫、大丈夫だよ」
母を求める手をぎゅっと握り返すと、男の子は縋るような目をわたしに向けた。
「たす…けて……」
刹那、握っていた男の子の手がするりと抜けて地に落ちた。
――まずい!
迷ってる暇はなかった。とにかく目の前のこの子を助けなければと思い、素早く印を結んで手を翳した。
「大丈夫。ちゃんとお母さんの所へ帰してあげるからね」
いつからこの世界は変わってしまったのだろう。罪のない者が罪を背負い、罪のない者が死んでいく。
巻き込まれたこの男の子がイタチに重なってみえた。今のイタチは笑顔も優しさも失ってしまった。イタチの心はあの夜、己の侵した罪の重圧により死んでしまったんだ。助けなきゃ、この子を。助けなきゃ、イタチを。
「……おね…ちゃ…」
「よかった!気がついた?」
「ぼく……」
ゆっくり上体を起こす男の子を支えながら起こしてあげると、身体のあちこちを触り始めた。
「いたくない…」
「お姉ちゃんが全部治したからもう大丈夫だよ」
「おねーちゃんすごいね!ありがとう!」
男の子の笑顔に、つられて笑った。
その後、男の子は帰りが遅い我が子を心配して探しに来た母親に連れられ帰っていった。
わたしもイタチ達のところに帰らなきゃ。
元いた対岸へ戻ろうと川に足を乗せる。ぴちゃり…。足の先が水に濡れた。あの術を使ったせいでチャクラがほとんどない。目眩もする。
岸まであと少しという所でわたしの足は完全に水に浸かってしまった。川の底はごろごろした石がたくさんあって、足をとられてしまう。やばい転ぶ!頭ではわかっていても身体にはもう力が入らない。ここで川に突っ込んだらまたイタチに呆れられちゃう。
傾いていた身体がぽすりと何かにあたった。
なんだろ。顔を徐々に上げていくと見慣れた黒の外套に、それから…
「イ、タチ?」
なんでイタチが?そう問おうとしたが、イタチの表情が険しいことに気付き言葉を飲み込む。イタチはわたしを抱えて岸まであがると、木に寄り掛かるように下ろしてくれた。
「イタチ、なんで」
「答えろ。さっきの術は何だ」
背筋が凍りついた。さっきの術を使用しているところをイタチに見られてしまった。
「……ただの医療忍術だよ」
「ただの医療忍術でここまで疲労するのか?」
「あの子酷い怪我だったし」
「あの子供は間違いなく死にかけていた」
「イタチいつから……」
「答えろ。数週間前オレが倒れた時お前は医療忍術を使ったと聞いた。しかし、お前はあの後死んだように眠り続け、起きてからもしばらくふらついていた」
「真白?」
「あはは、まだ眠いのかも。昨日あまり眠れなかったから」
「そして今回の疲労の様子からしてあの子供に使った術とオレに使った術は同じものだろう」
「……」
「お前は何を隠している。オレに使った術は何だ?」
「……」
「答えろ真白」
この時ばかりはイタチの頭の良さを呪った。イタチがもう少し馬鹿だったら誤魔化せたのに。
「イタチの言う通りだよ。さっきの術は医療忍術なんかじゃない。己の生命エネルギーを分け与える術」
イタチが僅かに目を細めた。
「昔、砂隠れで研究されていた忍術で、今では禁術とされている」
「その術をどうしてお前が使える?」
「わたしはイタチが里を抜けてすぐ医療忍術の修業を始めた。もしイタチが帰ってきたら、わたしが治療してあげられるように」
抜け忍である以上、里には戻って来ないと思った。でも、もしかしたらわたしに会いに来てくれるんじゃないか。そんな馬鹿みたいな淡い期待から、イタチの為に医療忍術の習得を目指した。
「わたしは戦闘はからっきしダメだったけど、医療忍術は素質があって習得できた。けど何か物足りなくて、いろんな里の医療忍術を調べているうちに偶然見つけたの。術の記録を見た瞬間これだと思った。わたしが求めていた忍術はこれだって」
「自らの命の削る忍術だぞ」
「構わなかった。イタチがどんな怪我をしてもわたしが助けてあげられる。そう考えると恐怖なんてなかった」
イタチを見ると、彼もまた真っ直ぐわたしを黒い瞳に映していた。
「わたしはイタチの為に死ねるなら本望だよ。イタチが倒れたらわたしは迷うことなくこの術を使う」
それがたとえ、この命が尽きることになろうとも。
「真白、この術は二度と使うな」
「なっ……!?」
「オレが倒れようともな」
「そんなの無理に決まってるじゃない!わかってるの?サスケくんに殺されるまで死ねないんでしょ?病気のことだってあるのに……もしものことがあったらどうするの?」
「薬がある」
「ちゃんとした治療も受けないで薬で延命するには限界がある。わたしは絶対にイタチを死なせない!」
こればかりは譲れないとイタチを睨みつけた。
どれくらいの間そうしていたのだろう。長い沈黙の後、先に口を開いたのはイタチだった。
「今後も術を使うと言うのならお前をここに置いていく」
「え……」
「今すぐオレの前から消えるか、術を使わないと誓うか。どちらか選べ」
その選択は言い換えれば、イタチの元を離れるか、それとも一緒に来るかという質問だった。イタチの元を離れるのいやだ。けど、そばにいてイタチが死んでいくのを何もせず見ていられる自信はない。
なかなか答えを出さないわたしに痺れを切らしたのか、イタチはわたしを置いたまま立ち上がり背を向けて歩き出す。
「イタチ!」
その姿は、あの夜、最後に見たイタチの姿そのものだ。
「イタチ、待って」
このままではイタチは行ってしまう。また離れ離れになるの?いやだ、いやだ。……そんなのいやだよ!
「――使わない!!」
イタチの足が止まる。
「もうあの術は使わないから、お願い……そばにいさせて」
今のわたしはイタチと離れることの方が何よりつらい。
イタチはくるりと向きを変えて無言で戻ってきた。
「イタチ、わたし」
「真白、それ以上はナンセンスだ」
「イタ……」
イタチの顔が近づいてきてぎゅっと目をつむると、額に柔らかいものが触れた。それがイタチの唇だと気付くのに時間はかからなかった。額から伝染するように顔から体全体へとみるみる熱を帯びていく。
「鬼鮫が待っている、行くぞ」
そう言ってイタチはわたしの前に背を向けてしゃがんだ。この状況に戸惑っていると早く乗れと促された。
「イタチが潰れちゃうよ」
「そんな柔な鍛え方はしていない」
「わたしのせいで発作が起きたりしたら…」
「置いていけと言っているのか?」
「乗ります乗せてください!」
うう……勢いで言ってしまったけど、重いって思われるかも。それにイタチとこんなに密着したらこのドキドキが伝わってしまう。一呼吸置き「失礼します」と断りを入れてイタチの背中に乗った。
「重くない?」
「…………ああ」
「今の間何?!やっぱり降りる!」
「冗談だ」
「真顔で冗談言わないでよバカ!」
本気で心配しちゃったじゃん。わたしの身体に負担をかけない為か、それとも本当に重いのか。イタチの足取りはゆっくりしたものだった。
昔、イタチの背中はサスケくんの場所だった。仲睦まじい兄弟の光景を何度も見た。わたしはイタチを独占できるサスケくんがちょっぴり羨ましかった。いやちょっぴりじゃない、かなり羨ましかった。今ならいいかな……今だけなら許されるかな……。
肩にそえるだけだった手を離し、腕をイタチの首に巻き付けた。歩き難いとか離せとか言われると思ったのにイタチは何も言ってこない。
距離が近くなったせいか、イタチの匂いがふわりと香る。どこか懐かしく感じたのは香りだけじゃない。今の心の距離は再会した日よりもグッと近づいている。
ねぇイタチ、わたしもっとイタチに近づきたいよ。どうしたらもっとあなたに近づけるの。
「イタチ」
「どうした?」
「……なんでもない」
「おかしな奴め」
顔は見えないけどイタチが笑ったような気がした。それが嬉しくて腕の力を更に強くした。
――イタチ、すきだよ。