短編 | ナノ

早番の帰り道。なんだか雲行きが怪しいなあと思って歩調を早めると、顔にぽつぽつと何かが当たった。朝見た天気予報ではにわか雨がちらつくと言っていたけど、ついに降ってきてしまったようだ。真昼間なのに人通りが少なかったのはこのせいだったらしい。朝は晴れ間も見えたので降らないだろうと高を括って折り畳み傘も持たずに家を出てしまった。こういう時に限って天気予報はよく当たる。

雨粒が何粒か顔にかかるだけだったのが次第に雨脚が強まり瞬く間にどしゃぶりになった。にわか雨じゃなかったのかと悪態をつきたくなるがこの雨の中帰るのは得策ではないと思い、どこか雨宿りできる場所はないかとあたりを見回す。丁度近くに公園があったので、休憩できるようにと建てられた四阿(しあ)で雨脚が落ち着くまで休むことにした。



四阿には先客がいたが、気にせずに屋根の中に入って雨を払った。服はすっかりびしょ濡れになってしまった。ポケットに入れていたハンカチまで濡れてしまった。拭かないよりはましだろうかと雨を拭うけど、そもそもこんな小さなハンカチでは追いつく程度の濡れ具合ではない。ある程度拭いてまたポケットにしまった。

備え付けられた木製のベンチに腰を下ろして先客を窺う。私と同じようにずぶ濡れで、ざあざあと降り注ぐ雨を眺めている横顔はとても美しくて思わず見惚れてしまうほどだ。後ろで一つに縛った綺麗な黒髪からは雨水が滴り落ちている。女性にも男性にも思える中世的な顔立ちをしているが、全体的に細身だけどすらりと覗く腕の筋肉の付き具合からして男性だろう。
ビニール袋を腕に下げているから買い物帰りにこの雨にあったのだろうか。お互いついてないですね、と勝手に変な仲間意識を持ってしまう。

あまりじろじろ見ては失礼なので視線を外へと戻す。雨は一向に止むことなくこんこんと降り続いている。

公園の片隅に咲いている紫色の紫陽花は大きな花をいくつもつけていた。そういえば家の近くに咲いていた紫陽花はもっと青っぽかった。土壌のph値によって花の色が変わると以前何かで読んだ覚えがある。

「雨なかなかやみませんね」
「……そう、ですね」

まさか話しかけられるとは思わなかったので少し驚いた。
そこで会話は途切れてまた降り注ぐ雨粒をただぼんやりと見つめた。

雨のせいか人通りも少なくて、まるで世界に二人だけ取り残されたみたい。雨のカーテンの内と外では別世界なのではないかと、普段考えもしない非現実的な妄想までしてしまうのは、雨独特の雰囲気にのまれているからかもしれない。

少しの沈黙の後、隣からがさごそ袋のこすれる音がした。なんだろうとそちらを見ると男性が持っていた袋の中からお団子を取り出していた。

「お団子濡れませんでしたか?」
「ええ。死守しましたから」

死守って……!どれだけお団子が大事なのだろうこの人!
真顔で言うのが可笑しくてつい声に出して笑ってハッとする。

「……」
「す、すみません」

慌てて口を噤んだ。気を悪くしてしまっただろうかと、恐る恐る様子を窺うと彼は穏やかな笑みを浮かべていた。無表情な人なのかと思ったけど、こんな顔もするんだ。

「気にしないでください。よかったらお一つどうですか?」
「え、でもせっかく死守したお団子なのに悪いですよ」
「此処で会ったのも何かの縁です。しばらく雨も止みそうにありませんし、どうぞ」

三色のお団子がついた串を差し出される。お団子と彼の顔を何度か見比べて、差し出されたそれを手に取った。

「ありがとうございます。いただきます」
「良かったらお茶もありますよ」
「準備いいですね。まるでこうなることを予測していたみたい」
「目はいい方ですが、未来を予知するような力はありませんよ」
「すみません、変なことを言ってしまいました」
「いえ。あまりのタイミングの良さに自分でも少し驚いています」

お互いにお団子を頬張った。ほどよい甘さが口の中に広がる。

「これはもしや甘栗甘ですか?」
「ええ。よくわかりましたね」
「私も好きでよく買うんです」
「甘味お好きなんですか?」
「大好きです。甘い物食べると幸せな気持ちになるじゃないですか。お兄さんは……」
「イタチ」
「え」
「うちはイタチです」
「イタチ、さん……」

それが彼の名前。イタチさん……イタチさん……。心の中で何度か反芻してみる。初めて聞いた名前なのに、自分の中で妙にしっくりきた。

「私のことはナマエとお呼びください」
「ナマエさん」
「はい」

今日会ったばかりの見ず知らずの人に名前を名乗るなんてどうかしている。でも名乗られたからには名乗り返さないわけにはいかない。それにこの人には自分ことを知って欲しいと思ったのもまた事実で、彼のことをもう少し知りたいと思っている自分がいる。

「イタチさんも甘い物お好きなんですか?」
「大好きです。引きましたか?」
「どうしてです?」
「男で甘味が好きってあまりいないでしょう」
「男性は苦手な方の方が多いみたいですけど、好みは個人の自由ですし、私は素敵だと思いますよ」
「そうですか。よかった」

目を細めてイタチさんは笑った。深い意味はないのだとわかっていても、不意に向けられた笑顔に胸が高鳴る。見た目の印象はだいぶ年上にみえるのに、笑うと第一印象よりいくらか幼く見える。もしかして私とそう変わらない年頃なのかもしれない。

「ナマエさんは病院に勤めていらっしゃるんですか?」
「どうしてそう思うんですか?」
「僅かに消毒薬の匂いがします。外傷があるわけではなさそうなので、病院勤めなのかと」
「当たりです。イタチさんは……特殊部隊系かなあ」
「なぜそうだと?」
「うーん。これ、っていう理由はないんですけど達人っぽいっていうか」
「何ですかそれ」
「言ってる自分でもよくわかりません」
「おかしな人だ」

彼はまた笑った。よく笑う人だ。
今日初めて会ったとは思えないくらいこの人の隣は居心地がいい。

雨がぱらぱらと降っている。土砂降りだった時に比べてだいぶ小雨になった。これくらいなら走れば帰れなくもないけど、ここから動く気にはどうしてもなれなかった。イタチさんも動こうとしないのは、完全に止むのを待っているのか、それともわたしと同じ理由で動けないのか。それを知る術はないけど、同じ理由だったら嬉しいな。

西の空には晴れ間が見える。もうすぐこの時間が終わってしまうのが、少し残念に思えた。

雨に降られて災難だなって思っていたけど、今はこの雨がもう少し続いてくれたら、と思っている自分がいる。そうしたら、イタチさんともう少し一緒にいられるのに。



「……止まなければいいのに」
「え……」

一瞬思っていたことが口から出てしまったのかと焦ったが、どうやらイタチさんが言った言葉だったらしい。

「すみません。こんなこと言って」
「いえ……。わたしも、同じことを思っていました」

イタチさんと目が合う。真っ黒な瞳は吸い込まれてしまいそうなくらい綺麗だ。

「よかったら今度、一緒に甘味巡りに行きませんか?今度は晴れの日に」

雨の音が次第に小さくなる。それが何を告げているのか理解しているのに、もう哀しくはなかった。

「はい。ぜひご一緒させてください」

紫陽花の葉を濡らす雫が、地面に落ちて弾けた。
雨はもう止んでいた。



午後二時の雨宿り

(2017.06.09/イタチさんお誕生日おめでとう!)

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