2月下旬。まだまだ頬を掠める風は冷たいが、春は少しずつ近づいていた。
「梅の花を見に行きませんか?」
桜の開花はまだひと月は先だが、梅の花なら早い所はちらほら咲き始めている。彼女の気晴らしになればと思い提案したのだが、彼女の表情は浮かないものだった。
「ここから遠いですか?」
「自転車で15分くらいです」
「そうですか……」
「無理ならいいんです。名前さんの気晴らしになればと思っただけですから」
彼女は少し考える素振りをした後、顔を上げた。
「連れてって下さい。わたしも見たいです」
「無理してませんか?」
「無理なんてしてません。純粋に見たいと思っただけです」
「わかりました。行きましょう」
彼女はいつでもいいと言うので、花を見に行くのは部活が休みの今週の日曜日になった。
楽しみですね、と彼女が笑う。それだけでこの場の空気が暖かくなる。
「ーーあ、すみませ…」
そう断って彼女は咳をした。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。ちょっと変なところに入ってしまっただけですから」
風邪ではないのなら大丈夫かと思いその日は大して気にすることはなかった。
そして今週の日曜日になっても彼女は咳をしていた。今日はやめましょうかと言えば彼女は全力で首を横に振った。本当なら此処に来るのもどうかと思うのだが彼女に来るなと言っても無駄なことはわかっているので、遠出をしないというのはせめてもの譲歩だった。
「テツヤさんお願いします。今日すごく楽しみにしていたんです」
「ですが、」
「お願いします」
彼女が頭を下げた。ここまでされてはやめましょうとは言えず、具合い悪くなったらすぐに言うことを条件に行くことになった。
彼女を自転車の荷台に乗せゆっくりと漕ぐ。本当に乗っているのかどうかわからないくらい軽くて、時々確認の為に声を掛けなければ不安になる程だ。それを察してか彼女は目的地に着くまで鼻唄を口ずさんでいた。まるで自分の存在を教えてくれるかのように。
自転車を走らせること15分。目的地の運動公園に着いた。
「まだ咲いてなさそうですね」
「こっちは公園の裏口なので日当たりが悪いんです。中に行けば見れますよ」
舗装された道をしばらく歩くと拓けた芝生に出た。その芝生に沿うようにして何本も立っている木が梅の木だ。そこにはまだ蕾のものが多いが、赤い花を咲かせているものもいくつもあった。
「わあ……きれいですね」
彼女が感嘆の声をあげる。
その横顔を見れただけで今日ここに連れてきてよかったと思えた。
「桜は咲いている時よりも散る様が美しいと言われますが、梅の花は咲いている時が一番きれいですね……羨ましい」
「羨ましい、ですか?」
「女性としては一番輝いている時が一番美しくありたいじゃないすか」
「そういうものなんですか?」
「そういうものなんです」
「でも僕は、最後の瞬間まで美しくあろうとする姿も素敵だと思います」
そう言うと彼女は目を丸くした。
「……テツヤさんって結構恥ずかしいこと平気で言いますよね」
「そんなことないと思いますけど……」
「そんなことありますよ」
いまいち理解できてない僕に彼女は笑った。
それからしばらくベンチに並んで座って花を見ていた。
もし桜の花が咲いたら彼女は神社へは来なくなるのだろうか。そもそも、彼女は「二ヶ月も待てない」と言っていたが、その二ヶ月は着々と近づいている。花が咲くより前に彼女がいなくなってしまうのとも十分あり得るのだ。いつまでこうして彼女といられるのだろう。
「……テツヤ、さん」
「はい、!」
彼女の顔が青白くなっていた。声も弱々しく話すことすら辛そうで具合いがよくないことは一目瞭然だった。
「ごめんなさい……少し気分が……」
「帰りましょう。立てますか」
「はい……」
歩く足取りも頼りない。こんな寒い中連れて来て、やはり無理をさせてしまったのだろうか。
自転車の荷台に乗せ、なるべく彼女へ負担がいかないよう行きよりペースを落としてこぐ。背中に彼女の頭がコツンとあたった。
「名前さん?」
「ごめんなさい」
「なんで謝るんですか」
「せっかくテツヤさんが、連れてきてくれたのに」
「また行きましょう。今度は満開の時にでも」
「……はい」
家まで送ろうかと尋ねれば、いつものように神社まででいいと言われた。こんな時くらいと思うものの、彼女の性格はわかっている為神社で降ろしてそこで別れた。
また行きましょう。
その気持ちに偽りはない。しかし、その“また”は本当に訪れるのだろうか。彼女がいなくなることばかりが頭を過って、その夜はなかなか寝付けなかった。