焼けた御神木の近くにある木製の長椅子に二人並んで腰を掛けた。僕は右側。彼女の傷が見えない方に座った。ここに来る前に買ったお茶の入ったペットボトルを一本差し出すと、戸惑いの顔を浮かべられた。お金のことを気にしているであろうことはすぐにわかった。
「お金のことなら気にしないでください」
「でも…」
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
遠慮がちに受けとった彼女は毛布に一緒に入らないかと言ってきたが、彼女の為に持ってきた物なので丁重にお断りした。
「この御神木には何か特別な思い入れでもあるんですか?」
「そうですね……思い入れというか、もう一度咲いてるところを見せたい人がいるんです」
彼女の視線は真っ直ぐと御神木に向けられていた。一週間前に幹に括り付けたマフラーはまだそこにあった。
「それは春では駄目なんですか?」
「駄目ですね。これはわたしの都合になってしまうんですが…」
「お引越しですか?」
「まあ…そんな感じです」
彼女が困ったように笑った。これ以上触れて欲しくないのだとわかった。
「お名前をお聞きしてもいいですか?僕は黒子テツヤと言います」
何と呼んだらいいかわからないし、名前くらいなら大丈夫だろうと思った。だが彼女はさっき以上に困ったように笑った。
「申し訳ありませんが名前をお教えすることはできません。だからお好きなように呼んでください」
「そうですか…」
教えたくないのなら無理に聞き出しても仕方ない。何と呼ぼうか考える。
「……名前さん、とお呼びしてもいいですか?最近読んだ小説に出てきた女性の名前なんですが」
「名前ですか。素敵ですね。ではわたしはテツヤさんとお呼びします」
今度はふわりと笑った。良くも悪くもよく笑う人だ。
急に鼻がむず痒くなったかと思えばくしゃみが出た。
「本当に風邪ひいちゃいますよ。意地張ってないでどうぞ」
彼女、もとい名前さんは毛布を半分肩にかけてくれた。
「意地なんて張ってません」
「張ってますよ。寒いのでしょう?」
「寒くありません」
「ならさっきのくしゃみは何ですか」
「誰かが僕の噂話でもしているのかもしれません」
「強情ですね」
「名前さんも」
「……ふふ」
彼女が吹き出したように笑うのを見て、つられるようにして頬が緩んだ。毛布の中は、暖かかった。
それから毎日名前さんに会った。神社の前を通る時にはいつも彼女がいた。朝は挨拶を交わすだけだが、夜は少し話をした。彼女は自分のことを語ろうとはしないが僕のことはよく聞いてきた。バスケのことや友人や仲間のこと、最近読んだ本の話。話せば楽しそうに聞いてくれた。遅いので送ろうか尋ねると「もう少し待ってる」と名前を尋ねた時のように笑った。これは彼女が踏み込んで欲しくない時のサイン。何か事情があるのだろう。詳しく詮索する気はなかったので、彼女が困って笑う時はそれ以上は追及しないようにした。
ある雨の日、まさかと思いながら神社の前を通ると番傘をさした彼女がいた。その肩にはあの毛布がかかっている。
「名前さん」
「おはようございます、テツヤさん」
「おはようございます。……雨です」
「そうですね」
「ずっといるつもりですか?」
「はい」
彼女の返事は力強かった。こうなってしまえばテコでも動かないというのはここ数週間で学んだことだ。
まだかなあ。
無意識だろうか。声にはしないものの、彼女の口はそう動いていた。
「名前さん、これ使ってください」
付けていた手袋を外して彼女に差し出す。
「え、でも、」
「手真っ赤ですよ。そのままでは霜焼けになってしまいます」
「それではテツヤくんが、」
「受け取って貰えるまで僕はここを動きません」
「……強情」
「はい。何とでも」
彼女は口を尖らせて僕を睨んできた。その姿が可愛らしいとさえ思った。結局は彼女が折れて、手袋を受けとって貰えた。
「では僕はこれで。また夜に来ます」
「あ、テツヤさん、」
いってらっしゃい。彼女がふわりと笑う。花が咲いたように、というのはこういうことを言うのかと、初めて知るのだった。