これは、変化が解けなくなる珍事件が起こる、少し前の物語――。
ここ最近は馬車馬のように任務に走り回っていた。今日はようやく訪れた貴重な非番。多忙な毎日を送っていると、その反動で休みの日は時間を気にせずにゆっくりしたくなる。家にいても急な呼び出しが来たりして何かと落ち着かない為、ここなら誰も来ないだろうと第三演習場の木の上に寝そべり愛読書を開いた。
思っていた通り此処は静かで、風が吹いて木々が揺れる音だけが耳に流れてくる。こんな風にゆったりと穏やかな時間を過ごすのもたまには悪くない。
暫く読み進めているとフッと目の前に影が落ちた。
「カーカシ!」
「朔……」
視線を上げるとひょっこりと逆さまに顔を覗かせた同僚の顔が目の前に現れる。さっきから気配が近づいていることには気づいていたから現れたことに驚きはしない。しかし、間合いがものすごく近くて少したじろいでしまう。
「またそんなエロ本読んで……この変態!」
「その変態にこんな所まで何か用?」
「三代目にこれをカカシに渡してくれって頼まれたの」
はいこれ、と朔は懐から四つ折りにされた一枚の紙きれを差し出した。真っ白でなんの変哲もないそれを受け取ってチャクラを流し込むと文字が浮かび上がってくる。この前任務で気になることがあったから確認してもらっていた内容だった。サッと目を通して「解」と唱えると、その紙切れは煙と共に消えた。
「ありがとね。助かった」
「別にいいよ。大した手間じゃないし」
朔は居座ることにしたのかオレの足元に回って腰を下ろした。
決して今いる木の上は広いわけじゃない。朔が座ると少しばかり狭く感じるし、足は朔に触れている。少しでも動かせばまた変態だのなんだの言われてしまいそうだ。だけどオレは悪くない。くっついてきたのは朔の方だ。
当の本人は密着していても何も言ってこないし離れようともしない。触れ合った箇所が熱を持って朔を意識してしまう。……これはちょっとやばいかも。
愛読書の文字を追う余裕もなくなって、意識を逸らそうと忍の心得を第一項から念仏のように心の中で唱えた。幼少の頃から頭に擦り込ませたそれは息をするようにつらつらと思い浮かんでくる。
こんな状況気にしているのはオレだけで、こいつは微塵も気にしていないんだろうなあ。
「カカシ」
突然、四つん這いになった朔がオレの体に跨ってどんどん迫ってきた。真ん丸い目にじっと見つめられて目が離せなくなる。
一歩、また一歩とじりじりと詰め寄ってくる。
何この状況。なんでオレが朔に襲われてるみたいになってるんだ。
気づけば追い詰められて逃げ場失っていた。
目の前まで迫った朔が口布を引き下ろす。
大きく息を呑んだ。
あと少し。このまま顔を寄せれば唇が重なる。
「えい!」
「んぐ!?」
甘いムードをぶち壊すように、いきなり口の中に何かを押し込まれた。何事かと体を起こすと、柔らかい感触と粉っぽさが口の中に広がる。これはもしや……。チラリと朔が手に持っている袋を見ると朔が贔屓にしてる甘味屋の名前が書かれている。どうやらオレは大福を押し込まれたらしい。
甘い物が苦手なオレへの嫌がらせか?なんとか飲み込んで朔を見ると、彼女は邪念なんて蹴散らすようににっこりと笑った。
「元気でた?」
「は?」
「カカシ何か悩んでるみたいだったから。そういう時は美味しい物食べたら元気出るよ」
そういうことには気付くくせに、なんでオレの気持ちには気づかないんだよ。
「あたしで良ければ相談のるよ?」
バカだな。誰のせいでこんなに悩んでると思ってるんだよ。「お前のことで悩んでた」だなんて本人に言えるわけがない。お前がもっと察しのいいやつだったらこんなに悩まずにすんだのに。
「朔……」
「ん?」
「お前に相談なんてするわけないでしょ。お前にするくらいならミジンコにでも話すよ」
「はあああ!?あたしはミジンコ以下ってこと!?」
「単細胞って所とかそっくりじゃない?」
「全然違う!あたしは二足歩行できるもん!」
「ククッ、気にするのそこなんだ」
もっと他に気にしなきゃいけないことあるだろ。斜め上を行く答えに思わず声に出して笑ってしまい慌てて口を押さえた。また朔の機嫌を損ねてしまっただろうか。恐る恐る様子を窺うと朔はぱあっと目を輝かせている。
「笑った!」
「そりゃオレだって笑うよ」
「そうじゃなくて、カカシ難しい顔してたからさ。元気ないとこっちも調子狂っちゃうよ。カカシが元気ないとあたしも悲しいし、カカシが元気だとあたしも嬉しい」
満面の笑みを浮かべられてどきりと胸が高鳴る。
そんなオレを気に止めることなく、朔は嬉しそうに大福を頬張っている。
「元気が出たのは大福のおかげかなーここの美味しいもんねー」
幸せそうな顔しちゃって。大福食べて元気になるのはお前くらいだよ。大福なんかより朔の一言の方がよっぽど元気が出ると思ってしまうオレは、彼女と同じくらい単純だ。
「あっ!」
大福を落とした朔が、その後を追って身を乗り出す。バランスを崩して落ちそうになる朔に手を伸ばして抱きかかえた。
「……び、びっくりした」
「危なっかしい奴」
「ありがとう」
朔が顔を上げる。その顔から目が離せなくなる。
「………ぷ」
「え!何?」
「クク…!もうだめ。その顔面白すぎだから」
笑いを堪えられなくなり腹を抱えて笑う。なんのことだか気づいていない朔が不思議そうにこちらを見る。
「唇粉まみれだよ」
「あ!」
「オレを笑わせようとしてるのかと思った」
「そんなわけないでしょ!もっと早く言ってよ!」
恥ずかしそうに唇を拭う朔をもったいないなと思いながら見ていた。
本当は、粉まみれになった唇が大福みたいに美味しそうで食べてしまおうかと思っただなんて。朔には口が裂けても言えそうにないけれど。
一人でゆったりとした穏やかな時間を過ごすのも悪くない。
けれど君となら、騒がしい時間を共に過ごすのも悪くない。
◆君となら悪くない
2017.08.08