ワンだふるでいず | ナノ



鈍い痛みがして重い瞼をゆっくり持ち上げると、白で覆われた無機質な世界が広がっていた。消毒薬の匂いが鼻にツンときてここが病院のベッドであることに気づいた。

体を動かそうとして右腕に激痛が走る。痛みの先へ目をやるとギブスで固定されて包帯でぐるぐる巻きにされていた。一方左腕には点滴が刺さっている。呼吸する度に胸の下あたりがズキズキと痛んだ。

そもそも何でこんなことになったんだっけ?
確か案山子を追って森に入って、そこで天ノ国のヤツらと戦闘になって、もうダメかもって思ったら…………そうだ、カカシ達が来てくれたんだ。そこであたしは紅に手当てしてもらってる最中に意識を失った。

あれからどうなって、あたしはどれくらいこうしていたんだろう。カーテンの隙間から明かりが漏れているから日中だろうか。ずっと寝ていたせいか、喉がカラカラだ。

左手で体を支えて、痛みに顔を歪めながらなんとか体を起こすと病室のドアが開いた。開けた人物と目が合って、名前を呼ぼうとして息が止まる。彼が持っていたコンビニのビニール袋が音を立てて床に落ちるのと、体が強い衝撃に包まれたのはほぼ同時だった。

「朔……!」
「…か…し……」

出てきた声はひどく掠れていたけど、カカシには届いていたらしい。名前を呼ぶと、抱きしめる力がさらに強くなった。

「朔……朔……」
「カカシ……痛いよ……」
「ごめん」

名残惜しいけど体を離すと、気遣わしげな表情を浮かべるカカシと目が合った。その瞳は不安の色が浮かんでいて、目の下にはクマができている。もしかして、あたしが気を失ってる間も寝ずにずっとついててくれたのだろうか。

「ごめん……もう少しこのままでいさせて」

また抱き寄せられて、強い力で抱きしめられた。まるで生きていることを確認しているみたいに顔を摺り寄せてくる。動くたびに髪が首筋に触れてくすぐったい。胸に押し付けられて体は少し痛いけどカカシの体温が伝わってきて、離して欲しいとは思わなかった。もっとこうしていたい。もっとカカシでいっぱいになって、このまま二人で溶け合ってしまえたらいいのに。

唯一動く左腕をカカシの背中に回して、目を閉じた。








「ゴホン!取り込みの所すまないが、そろそろ入らせてもらうよ」


「ぎゃああああああああああ!!」
「ぐあっ!」

第三者の声に驚いてカカシを力いっぱい突き放すと、吹っ飛んだカカシが点滴立てにぶつかって床に倒れこむ。その上に点滴立てが激しい音を立てて倒れた。

「か、カカシごめん!」
「それだけ元気が有り余ってるなら問題なさそうだね」

病室に入ってきた綱手様はやれやれといった風に肩を竦めてみせた。その傍らには当然シズネさんもいる。お二人共、いつからいらしてたんですか。見られていたことを思い出し恥ずかしくなって俯いた。



効果が切れかかっていた鎮痛剤を投与してもらったら、痛みが和らいでだいぶ楽になった。
綱手様曰く、あたしは丸二日間眠りっぱなしだったらしい。通りでカカシがあんなに焦るわけだ。

あの後、カカシ達が天ノ国の忍を一掃し研究者の男も捕まって、今は里の牢に入れられているらしい。あの忍達は、元は各国の抜け忍なので、それぞれの隠れ里に引き渡し処分はそちらで検討されるそうだ。研究者は忍ではないが火の国の者なので、厳重な管理の元、身柄は里で預かることになった。

綱手様の話の中に、案山子の話は出なかった。彼は一人森の中を彷徨っているのだろうか。あの姿のまま、ずっと……。

「それにしても、右腕の神経損傷に肋骨三本骨折他切り傷打撲多数。久々に派手にやったねえ」

綱手様がカラカラと笑い飛ばす。笑い事じゃないんですが。

「肋骨は安静にしときゃ治るだろう。右腕の神経は危ないところだったがなんとか繋いだ。こっちは完治までは時間がかかるだろうから、少なくとも三週間は入院してもらうよ」
「え!三週間も!?」
「安静にしろって言っても誰かさんは言うこと聞きゃあしないからね、見張っておく必要があるだろう?」

綱手様が額に青筋を立てている。あ、これ里から出たこと超怒ってる。
入り口付近の壁に寄りかかって一緒に話を聞いているカカシに視線を送り助け舟を求める。カカシはそれに気づくと潔いくらいの笑顔を向けて「どうかした?」と訊いてきた。あ、こっちも超怒ってる。どうやらここにあたしの味方してくれる人はいないらしい。

「カカシ、しっかり見張っておきなよ」と言い残して、綱手様とシズネさんは出て行った。

「三週間……退屈だなあ」
「毎日会いに行くるよ」
「本当!?」
「無茶しないか見張っておかないとだしね」
「……」

会いに来てくれるのは嬉しいけど、理由が理由なだけに素直に喜べなかった。






退屈な入院生活だけど、カカシは忙しい合間をぬって毎日お見舞いという名の見張りに来てくれた。手ぶらでいいって言ってるのに、プリンだったり、あたしが好きなお店の大福だったり、毎日何かしら手土産を持ってきてくれるから嬉しいやら申し訳ないやら。

今日は林檎を持ってきて、果物ナイフで皮を剥いてくれている。手慣れた手つきで皮を途切れさせることなくスルスルと剥いていく。
あたしはその様子を眺めながら、ずっとききそびれていた事を訊いてみることにした。

「天ノ国の忍のこと……なんで言ってくれなかったの?」
「せっかく元に戻れたのに、お前には余計な心配かけたくなかったんだよ」

カカシが手元から目を離さずに言った。

「言ってくれれば、囮ぐらいにはなれたのに」
「そう言うと思った。だから黙ってたんだよ。お前は無茶ばっかりするから」

でも、とカカシの手が止まる。

「その結果、こんな怪我を負わせてしまった。守れなくて……すまない」
「言いつけ破ったあたしが悪いんだからそんな顔しないでよ。大事なかったんだしさ。助けに来てくれてありがとう」

そう言って笑ってみせると、カカシの眉間の皺が少し和らいで、また手元を動かし始める。

「カカシは、案山子が怪しいって気づいてたの?」
「タイミング的に怪しいなとは思ったけど、仲が悪かったのは単にアイツが気に入らなかっただけだよ」
「…………案山子、今どうしてるのかな」
「気になるの?」
「うん……」

結果として案山子には嵌められた訳だけど、短い間だけど一緒に暮らしていたからか、同じ術を受けて妙な親近感が湧いてしまったからか、その後の事が気がかりだった。綱手様なら元に戻せるのかもしれない。でも案山子は敵だから戻ったとしても処分が下されるだろう。ならば、猫のままでいた方が案山子にとってはいいのだろうか。

「剥けたよ」
「ありがとう」

フォークを持とうとするとカカシに先を越された。食べたいのかなと思っているとカカシは等分割された林檎の一欠片をフォークに刺し、あたしの前に差し出した。目の前の林檎のかけらとカカシの顔を見比べる。

「あのさ、左手使えば自分で食べられるんだけど」
「初日にプリン溢してシーツべちゃべちゃにして看護師さんに怒られたの忘れたの?」
「う……でも林檎なら固形だし」
「つべこべ言ってる間に傷んで色変わっちゃうから、早く口開けて」
「うん……」

おずおずと口を開ける。横目でカカシを見るとじっとこちらを見ている。そんなに見られると食べにくいんだけどな。唇に当てがわれた林檎を一口含んで噛むとシャキシャキと音がした。

「美味しい?」
「うん、おいしいよ」

正直、カカシに見られてると思うと意識してしまい、味なんてよくわからない。
入院してから、カカシはあたしが食べてる姿をじっと見つめてくるようになった。初めは差し入れを食べたいのかなとか、溢されると困るから見張ってるのかとも思ったけど、あの目は違う。押し倒された時に見せたような、獲物を見つけた、オオカミみたいな目。物欲しそうに見てくる癖に、目が覚めた時に抱きしめられて以降、全然触れてこようとしない。あたしから触れようとしても上手いこと躱されてしまうのだ。あたしはあの時みたいに、もっと、カカシと触れていたいのに。

「ねえ、カカシ」
「んー?」
「あたし、カカシと……」




カカシの藍色の瞳と視線が交錯する。




「…………朔」





カカシが口元で人差し指を突き立てた。そして視界から消えたかと思うと病室のドアを勢いよく開け放った。

「あ」
「よ、ようカカシ」
「ちっ……いいところだったのに」
「ゲンマ、アスマ、紅、三人揃ってこんな所で何してるのかな?」

あたしからカカシの表情は見えないけど、後ろから見えるオーラがやばい。三人には気の毒だけど、立ち聞きした方が悪い。ご愁傷様、と心の中で唱えて手を合わせた。



「思ったより元気そうで安心したわ」
「うん……みんなの方が疲れているように見えるよ」

チラッと視線をゲンマとアスマに向ける。二人は気まずそうに口を噤んだ。ただ一人、紅だけはどうってことないようにけろっとしている。

「はい、これ頼まれてたやつ」
「ありがとう!いつもごめんね」

紅には部屋に下着などの着替えを持ってきてもらっている。流石にこればっかりはカカシに頼めないから。

「一時はどうなることかと思ったけど、ケリついてよかったな」
「この一か月カカシの気苦労が絶えなかったもんなあ」
「朔が里を飛び出したって聞いた時の焦ったカカシは傑作だったな」
「それを言うなら朔が気を失った時のカカシの動揺も見ものよ。あの後瞬殺だったじゃない」
「え?え?その話もっと聞きたい!」

三人から繰り出される話に気まずそうにするのは今度はカカシの番だった。

「お前達ね、済んだ話蒸し返すのやめなさいよ」
「だいたい朔が心配だから言うなって、朔に対して過保護すぎるのよカカシは」
「しょうがないじゃない。コイツ目を離すとすぐどっか行くんだから」
「カカシがしっかり手綱握っておかないとな」
「首輪でもつけておいた方がいいんじゃないか?」
「カカシはもっと広いを持たないと嫌われるわよ」
「安心しろカカシ。オレ達には珍獣にしか見えないから」
「珍獣でも手懐ければかわいいもんだよ」

「プ……アハハハ!」

四人の会話の応酬を追っていたけど、耐え切れなくなってお腹を抱えて笑った。四人が何がおかしいだ?というような目で見てくる。

「ごめんごめん。なんか、こういう感じ久ぶりだなと思って」

こんな風にみんなで笑い合えることがどれだけ幸せなことか、改めて実感した。みんなが助けに来てくれなければこんな楽しい未来は望めなかった。

「みんな、助けに来てくれてありがとう」

素敵な仲間に囲まれてあたしは幸せ者だ。








それから数週間後、お目付け役がいて大人しくしていたこともあり経過は良好。予定より少し早く退院することができた。

退院できたことに浮かれて、ある重大な問題を抱えていたことにこの時のあたしは気づいていない。

そしてその日の夜、重大な問題に直面することとなる。



そろそろ寝ようかとベッドの前まで来て疑問が浮かんだ。

カカシと一緒に寝るのだろうか。

ドタバタしてすっかり忘れていたけど、カカシに少し距離を置かれているんだった。あの日以来、カカシとは一緒に寝ていない為久しぶりすぎて変に緊張してしまう。それにカカシは、病院のあれはともかく、あの日以来触れてこようともしないから、こっちも変に意識してしまう。

「そんなとこ突っ立って何してるの?早く寝なよ」
「う、うん……」

歯切れの悪いあたしとベッドを見て何かを察したらしいカカシがニコリと笑う。

「ベッドは朔が使いなよ。一応病み上がりなんだから」
「カカシは?」
「オレはまた適当に寝るよ」

そう言ってカカシは背を向けてしまう。

そんな悲しい顔で言わないでよ。
また、出て行っちゃうの?
一緒にいたいよ。




「…………っ行かないで!」




気づけばカカシの服の裾を掴んで引き留めていた。
カカシが少し驚いた顔で振り返る。

「カカシの部屋なのにカカシが出ていくのはおかしいよ。出ていくならあたしが出ていく」
「こんな時間に、お前を行かせるわけにはいかないでしょーが」
「うん、だからね……一緒に寝よう?」
「は?」
「……ダメ?」
「……」

カカシは渋い顔をして口を一直線に結んだ。カカシがあたしと一緒に寝ようとしない理由も触れてこない理由もわかってる。わかってるけど、あたしは今、カカシと一緒にいたい。
カカシは俯いて首の後ろを掻きながら深い溜め息を吐いた。

「…………わかった、いいよ」
「本当!?」
「電気消すから布団入って」
「うん!」

カカシに促され先にベッドへ潜り込む。いつも横を向いて寝るのが癖になっているのだが、今は右腕を怪我しているので自然と左側を向くような体勢になる。電気を消したカカシがベッドに入ったまでは良かったが、カカシはあたしに対して背を向けてしまった。

なんか……遠くない?

このシングルベッドはひっついて寝ないと二人で寝るには狭いのに、二人の間にあるワンコ二匹分入りそうなスペースはなんなんだろう。あたしが邪魔にならないように端に寄っているせいもあるけど、カカシも少しでも動いたらベッドから落ちるんじゃないかってくらいに寄っている。
一緒に寝ようと誘ったのはあたしだけど、体の関係を望んだわけじゃないからこうなるのは仕方のないことなのかもしれない。だけどこの距離は、堪えるなあ。

「カカシ……もう寝ちゃった?」

目の前の背中を見つめて、問いかけてみる。
まだ起きているのは間違いないのに、返事はない。

手を伸ばせば届く距離にいるのに、届かない。
今のカカシはすごく遠いところにいるみたいだ。
このまま先もぎこちないまま過ごしていくのかな。
あたしはただ前みたいに、二人で笑い合って、ぎゅーって抱き合って寝たいだけなのに。もうできないの?そんなの、さみしすぎるよ。


「カカシ……」


カカシとの距離を縮めて額を背中にくっつけると、カカシの肩が僅かに揺れた。





「………抱きしめて?」





カカシの反応を待ってみるけど、ピクリとも動かない。さっき肩が動いたから起きているのは確かなのに。それとも、それが答えなのかな。

そんな考えが頭を過って視界が涙でぼやけてきた時だった。カカシが動いたかと思うと、音を立ててベッドから落ちた。

「カカシ!?」

それほど高さはないから怪我はないだろうけど、心配になって体を起こすと、カカシは床に寝転がっている。腕で顔を覆っていてその表情は読み取れない。

「人が我慢してるのにこっちの気も知らないで…………オレの負けだよ」

カカシが顔を見せて柔らかく微笑んだ。

「おいで、朔」
「うん!」

腕を広げて待つカカシの腕に飛び込んだ。

抱き上げられてベッドに寝かされると、今度はカカシもくっつくくらいの距離で横になった。嬉しくて緩みきった顔に気づいたカカシが不思議そうに首を傾げた。何でもないと返すとカカシの腕が背中に回される。
抱きしめる力は強いけど、病院の時とは違い体を気遣ってくれているのがわかる。カカシの胸に擦り寄って顔を埋めると、カカシの香りが肺の中いっぱいに入ってきて、体の中も外もカカシでいっぱいになった。まるでカカシと溶け合ったみたい。

「あのねカカシ」
「ん?」
「あたし、まだ…そういうことは心の準備ができてないから無理だけど、その……カカシが嫌とか、そういうんじゃないから、もう少しだけ待ってて」
「…………」
「カカシ?」
「朔、お願いだからもう寝て」
「…?うん」

さっきよりも強い力で胸板に顔を押し付けられた。何か変なこと言ったかなと思っていると、耳元に吐息がかかる。

「…………待ってる」

時間差とかずるい。負けじと強く抱きしめた。

そういえば、カカシとこうして一緒に寝るのはすごく久しぶりな気がする。だけどこの腕の中は一番安心できるのだ。
ほっとしたからか急に眠くなってきた。カカシが「寝ていいよ」と頭を撫でてくれる。せっかくカカシと仲直りできたのにこのまま寝てしまうのはなんだか惜しい気がしたけど、睡魔には勝てなかった。

瞼を閉じて睡魔の波に浚われて意識が沈んでいく中、遠くでカカシが「おやすみ」と言ってくれたような気がした。


『おやすみなさい』


夢でもカカシに会える。
そんな予感を胸に眠りについた。



◆夢の中で会いましょう


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